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はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

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2023.11.13

アニメ聖地巡礼と自閉=定型間のリアリティの共有

みんなの大学校の授業(ディスコミュニケーション論)で自閉系の参加者の方とアニメの聖地巡礼の話になっておもしろかったです。何が面白いのか、自閉=定型間の世界の共有の仕方に関する問題がそこにありそうなのですが、探り探り言葉にしてみたいと思っています。

 

アニメ聖地巡礼というのはアニメの舞台になった場所を実際に訪れることで、アニメというヴァーチャルな世界をリアルな場所に行って追体験するみたいな感じなのかなと思います。

その何が面白いのかということですが、自閉系の方はイマジネーションの力が弱いみたいな見方もされることがあり、またそういうイメージ世界を他者と共有することもできにくい、という見方もあるように思えるのですが、なんかそういう見方は怪しいなと思っていたからです。

確かに自閉系の人は定型とイメージ世界を共有するのがむつかしいところはあるだろうと思え、そのこと自体はある程度言えそうな気はするんですが、でも逆に言えば定型は自閉の人のイメージ世界を共有するのがむつかしいということと裏腹の関係、言ってみればお互い様と感じます。

実際自閉系の芸術家で活躍されている人もいらっしゃりますし、それは定型的な人とはちょっと違う、独特の世界観をそこで表しているように感じます。有名な文学賞をもらった自閉の方もいらっしゃる。つまり、イマジネーションが弱いのではなく、定型とちょっと違ったイメージ世界を作っていると考えたほうがよさそうに思えるわけです。

しかもそういう自閉系の芸術家も、自分の作品をみんなに楽しんでもらうことで喜びを感じられていますし、イメージ世界を共有したい気持ちも十分にある。その点で定型との違いは考えにくいのです。

ただ、イメージ世界の作られ方に定型との違いと共通点がありそうであるように、その共有の仕方にも共通点と違いがともにあるような気がします。

その点で、授業の参加者でもある自閉の方のアニメ巡礼の話は面白いポイントの一つなのかなと思えるのです。何を私が面白く感じているのか、多少なりとも言葉になればいいのですが・・・

 

アニメの世界は現実ではない、イメージ世界の話です。見方によっては現実の人間世界とは異なったアニメの世界だから、実際の人間関係では生きづらさを感じる自閉系の人が、現実世界とは離れた世界に魅力を感じ、没頭する、という面もあるのかもしれません。

もしそれだけだと、単に「現実逃避」みたいな感じで自分のアニメ世界に入り込んで外界とは断絶する方向に行くような気もするんですが、聖地巡礼はそのアニメ世界を「リアルな場所」とつなぐことなわけです。そしてそのことに喜びを感じられている。「あ、ここがあのシーンの場所なんだ」みたいなことを確認して楽しむわけですし。

そうすると、そういう「リアルな場所」は、定型にも共有されますし、定型でも聖地巡礼をする人はいるわけですから、仮に定型と自閉の間にイマジネーションの世界の作られ方にずれがあったとしても、「リアルな場所」という同一の場の共有によってその二つの世界が緩やかにつながりうるわけですね。またそこに価値を感じるという点では世界が共有されるともいえます。

 

自閉であろうと定型であろうと、数学とか論理の世界では区別がありません。1+1=2という考え方はどちらの人にとっても同じです。2進法だと1+1=11となる、というのもどちらの人も理解できる。

自然科学的な理屈については、たとえばおそらくかなり自閉的であったと思われるアインシュタインの立てた理論は定型も共有できます(私は理解しきれませんが(笑))。そこに区別はない。

そんな風に抽象的な理屈とか「客観的」といわれる自然科学的な理解の世界では自閉=定型は共通する基盤を持っていると考えられます。でも感情的な世界の作られ方はずれることが多い。

にもかかわらず、アニメというイマジネーションの世界と現実を結んで喜びを感じるという聖地巡礼についてはある意味自閉=定型間で共有されるところがあるわけですね。

私自身はアニメに関して聖地巡礼というのはしたことがないですし、今のところ積極的にしたいという気持ちもありませんけれど、似たようなことで考えると、「史蹟めぐり」とかはある程度好きです。「ここで昔、歴史上有名な○○があった」とか思うと感慨深くなるわけです。

表面的には歴史は「実際にあったこと」で、アニメはそれに比べると完全に「空想(うそんこ)」の世界ですから、同じではない、と思われるかもしれませんが、でも歴史的な事実も私自身が昔体験したことではなくて、そういう言い伝えを聞いているだけですから、それもある意味で「想像の世界」を超えるものではありません。

そう考えれば、史蹟めぐりもアニメの聖地巡礼も、似たようなものといえるわけです。その点では似たような世界とのかかわり方を共有しているといえなくもなさそうな気がして、ちょっと親近感も増すわけです。

 

なんか、まだポイントがうまく整理しきれない感じがしていますが、自閉=定型間の世界の共有の仕方について考えるうえで、何か大事な手掛かりの一つがこのあたりにもありそうな気がしてきました。

 

 

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