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はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

    ブログ総目次(リンク)はこちらからご覧いただけます。

2024.05.30

障がいと物語: 意味の世界を重ね合う試み

文科省の「学校卒業後における障害者の学びの支援推進事業」にも採択されているみんなの大学校での今年の授業は「障がいと物語」というタイトルで通年で行います。一昨日で第4回目の授業でした。

 「文化理解の方法論研究会(MC研)」のメーリングリストで参加者を募集したときは、こんな感じで説明をしました。

目的は以下のようなことです。

「障がい」に様々な立場(障がい当事者・支援者・家族・研究者など)でかかわりのある方が、お互いに自分のこれまでの経験や思いを語り合うことを通し,お互いの「人生の物語」を重ねあわせ,それぞれの多様な環境・条件の中で「生きている」ことの中に「障がい」という問題の共有を図る。

 たとえば

「子どものころ,こんな経験をした。それが自分にとってひとつの転機ともなる体験だった」
「身近にいた<障がい者>とのかかわりの中で,こんなことを考えてきた」
「自分自身の<障がい>と,こんな付き合い方をしてきた」
「私はこんな趣味を持っている。それは私にとってこんな意味を感じさせる」
「私はこんなことを大事にして生きているけど,その根っこにはこんな体験がある」
……などなど

 毎回とりあえずの話題提供のような形で誰かにお話しいただき,それを契機として,参加者が提供されたエピソードに触発された自分の思い出などを自由に語っていく。といったやり方などいろいろ模索していきます。

なんでそういうことを思いついたかというと、その発想の道筋はこんな感じのことでした。

これまで山本は,「発達心理学」「心の仕組み」「ディスコミュニケーション論」「対話と支援」(いずれも半期)といった授業を行ってきましたが,そこでは「知識の伝達」ではなく,私の授業は「話のネタ」としてその後の交流に時間を割くようなやり方をしてきました。そしてある段階からは授業時間終了後に希望者がさらにお昼ご飯を食べながら話を続けたりし始めました。

続いてだんだんと「支援者」の方たちにも積極的に参加していただくことを意識し始め,「対話と支援」では,「支援を受ける側として支援者に聞いてみたいこと」「支援する側として被支援者に聞いてみたいこと」を順に具体的なテーマとして設定してお互いの立場からそれにこたえるといったやりとりをしてみました。

そこでは支援する立場からは想像していなかった被支援者の思い・世界に支援者が気づき,学び,被支援者の立場からは想像しにくかった支援者の思いや悩みへの気づきが起こる,といったことがいろいろ起こりました。

そういう流れの中で,「障がい」という問題を外形的に理解するのではなく,「その人が生きていること」「その人の人生」の中でお互いに受け止めていくということの重要性が浮き彫りになってきたと感じています。「障がい」はそれにいろいろな形で関わる人にとっては,まさに「自分が生きているこの意味世界」の中での出来事であり,その自ら日々作り上げる意味世界の中で意味づけられ,「障がい」をめぐる生き方を方向付けていくことになります。

そのような意味世界がお互いに相手の意味世界と切り離されて「支援」が行われるとき,「支援」は往々にして被支援者を外的にコントロールするテクニックとして展開することになり,被支援者は自分の「障がい」をしばしば否定的に意味づけられる形で体験し,それとの葛藤の中で自分の意味世界を作ってなんとか生きていくことを強いられることにもなりえます。

支援者はもちろん「被支援者のため」に,頑張って支援をしようとしているのですが,そんな状況の中でお互いにとって不幸な状況が生まれていくことにもなります。支援の現場に研修などの形で関わってきた体験から,そういう事例に出会うこともあるのです。

 

これまでの研修や研究などで模索してきた「当事者視点を大切にした対話的な共生関係を目指す支援」がその背景となる視点なのですが、そこにつながるなと感じる議論には、たとえば次のような三つのものがあります。

ひとつはASDと診断されている大内雅登さんが「自閉症を語りなおす」(新曜社)の中で周囲には理解されにくい自分のふるまいかたの「意味」について,自分の中に形成されている「自己物語」という概念で説明を試みられているものです。

「わけのわからないこだわり」「意味のない行動」「自己コントロールの不全」などとして、特に自閉的なふるまいは「なぜそうするのか意味がよくわからない」ものとして他者からから見なされることが多いわけですが,しかし実際にはその当事者と対話を重ねていくと、その人なりに大事な「意味」がそこにあることが分かってきます。それは少しずつその人の人生の中で意味のあるふるまいなんだと感じられるようになるのです。

ところがその意味がなかなか周囲と共有されない状況の中で、他者から切り離されたまま自分自身の中でなんとか意味をつなぎながら,他者から距離を持つ「意味世界」を構築していくことになります。そうやって構成された「意味世界」が大内さんから「自己物語」として語られるわけです。

定型発達者も「世の中、こんなもんだよ」「人間てこういうものだよね」「その中で私はこういうことを大事にして生きている」みたいな自分自身の物語を紡ぎながら生きています。それと同じように、発達障がい者のみなさんも、定型とは異なる身体を持ちながら、自分自身の独自の物語を生きているわけです。決して「意味のない世界」を生きているのではありません。ただその「意味」を共有してもらいにくいだけです。

今回の授業は,このお互いに孤立して形成されがちな「意味世界」をどうやってつなぎ,お互いの「意味世界」を「もの語りあう」ことを通して豊かにしていけるのかへのひとつの挑戦になりますし,その新しい意味世界の語り合いの中で「支援」の意味も「障がい」の意味も豊かに生まれていくことが期待されてるわけです。

ふたつめはやまだようこさんが展開されてきた物語論の中での「重ね合わせ」の視点です。

 人はそれぞれ常に自分だけの視点(主観)を持っており,その視点は自分の体から離れられませんし、それを逃れることが原理的にできません。その視点を足場に他者と関わり合い,他者の視点(についての自己理解)と調整を図りながら日々の生活を組み立て、自分の意味世界を作り出していきます。

ではどうやって自分の視点を「自己中心的な自己物語」に閉じこもらずに、人と共有する意味の世界を広げていけるのかということが問題になります。その時それぞれの人が生きている「意味世界」が一緒に「もの語られる」ことによってお互いの意味世界に共振や共鳴,不協和や対立などの状態が生まれて,お互いの意味世界をさらに変化させていくということが起こるとかんがえられるわけです。

もちろんそこでお互いの意味世界がスムーズにつながるとは限りません。むしろそこに不協和や対立が生まれることの方が多いかもしれません。その時には自分の意味世界から理解していた「他者」を、改めてもの語りあう中で「理解しなおす」ことを通して,お互いの関係を作り直すことが重要になってきます。

そうはいっても、自分の意味世界は他者のものとは完全には重なり切れませんから、お互いに「完全な相手の理解」はもともとありえません。だから自分の理解で相手を覆いつくせることはありえず,あえてそうしてしまうと、結局相手の人の「意味世界」を無視し,自分の「意味世界」で決めつけ、相手を支配してしまうことにもなります。

けれどもそこでやまださんが注目したのは他者の「もの語り」を聞く体験は,聞く人の新しい「もの語り」を引き出す力を持つということです。そのような「語り合い」=「重ね合い」の中にお互いの「意味世界」が更新されて生き,お互いの「意味世界」の重なりに新たな広がりと深さが生まれてくることになります。

今回話題提供者の「語り」に続き,それを聞いた人がそこから触発された「自己の体験の語り」あう場を作ってみようとしているのは,そういう形での「触発しあうつながり」としての「重ね合い」の模索としてなのです。

そしてみっつめは私(たち)がこれまでしつこく展開してきたディスコミュニケーション論です。

ちょっと理屈っぽくなりますが、今回は社会的存在・認識・実践の単位構造として想定されているEMS(拡張された媒介構造)を「もの語り」という「異なる意味世界のつなぎ方」の視点からその性質を見ていくことになるでしょう。「主観」同士がその意味世界のつなぎ方の模索の中で自分の主観を超え、他者の主観とも共有される「客観的な意味の世界」を生み出していく。

 

障がいというものを意味の世界から切り離して形式的な「特性」で理解してしまうことで、そう見られた人の人生が貧しくなっていきます。意味を共有する世界がどんどん切り捨てられていくからです。その逆を行くために、お互いに「自分の物語という意味の世界を語り合う」ことが、これからの共生には欠かすことのできないことになる。その試みとして、「障がいと物語」が計画され、そしてすでに思いもかけないようなたくさんの語りがお互いに響きあったり、不協和音を奏でたり、面白い展開が生まれ始めています。

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