はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

2019.08.15

はじめまして。所長の山本です。

 はつけんラボで「所長ブログ」を担当することになりました。まずはご挨拶がてら簡単な自己紹介を。
 
 私が発達障がいの問題(といっても当時はそういう概念はありませんでしたが)に初めて意識して向き合ったのは、大学生の頃です。心理学、中でも発達心理学で卒論を書こ うとしていました。

 当時私の所属していたのは文学部哲学科心理学教室の、学生が分野ごとに自主的に作っている研究会のうち、「発達心理学研究会」というところでした。学部生から院生までここに所属して議論したり研究発表をしたりしながら、先輩に助けられつつ論文を仕上げていく、そんな場です。
 
 そこでは伝統的に「発達を語るには障がいのことを語れなければならない」という考え方が受け継がれてきており、その源流はあるいは当時すでに他界されていた園原太郎先生だったかもしれません。発達心理学にはピアジェという巨人がいて、知能の発達の研究を中心に、心理学の小さな枠を超えて、人類学のレヴィストロースや経済学のアルチュセールなどに代表される構造主義という大きな科学上の展開のリーダー的存在の一人として活躍した人です(本人は構成主義と名付けていました)。
 
 そのピアジェが来日した際、園原先生がピアジェに「あなたは障がいの問題をどう考えるのですか?」と尋ねられたそうです。するとピアジェはちょっと困ったように、「私は障がいの問題は扱っていない」という意味のことを答えたとのことで、園原先生はその答えに大変に怒られた、という伝説のような話が伝わっていました。障がいの問題を語れないで、なんで発達が語れるの?という雰囲気があったんですね。
 
 大先輩にはやはり発達心理学と障がいの問題を早い段階から結びつけて考えてこられた村井潤一先生がおられ、発達心理研究会の夏合宿にも顔を出したりされていましたし、やはり著名な発達心理学者の岡本夏木先生が主宰されていた研究会などにも私たちはよく顔を出していました。その岡本先生が常々「心酔されていた」と言ってもいい私の先輩(岡本先生よりはるかに年下なのですが)が、私たちの研究所の客員研究員にもなってくださった浜田寿美男先生です。
 
 はつけんラボでも早速浜田先生のインタビューを載せさせていただいていますし、さらには浜田先生が独創的に切り拓いてこられた重要な自閉症理解の視点について、講義をしていただいたものを動画として公開し始めました。それをご覧になっていただければわかるように、その議論は自閉症児・自閉症者との地道な付き合いの中で、そこに足場を置きながら考え抜かれた議論になっています。
 
 浜田先生はとてもやさしい言葉で、身近な出来事を例に、ものすごく深いことを語られる方です。この講義でも「人は自分の話す言葉を自分でも聴いている」という素朴な話から、なぜ自閉症児が「私」と「あなた」といった人称代名詞の使い方を間違えるのか、という、自閉症と発達を考えるうえで本質的な問題にぐいぐい迫っていかれます。動画化ではすこしでもみなさんに理解していただきたくて、図や解説などをいろいろ入れてみました。一応ご本人には確認していただきましたが、なにせ私の理解の範囲のことで十分とは言えませんし、その作業も結構大変でした(笑)。
 
 そんな雰囲気の中で、発達心理学研究会のメンバーは、早ければ学部生のうちから、さらに院生になればだいたい、発達障がい児療育の現場に通うのが普通、という雰囲気でした。私も大学院浪人の時期からカナータイプの自閉症の男の子とアルバイト療育(?)という形で付き合うことを始めていました。大学院に入ってからは関西のいろいろな自治体が行っている1歳半検診や3歳児検診などの心理判定の仕事や、そこで経過を見ることが必要と考えられた子どもさんを定期的にフォローする発達相談の仕事を始めましたし、さらに大学に就職してからも自治体が設置している、就学前の知的障がい児通園施設で、月に1、2回通って子どもを見て先生たちと事例検討をするアドバイザーを10年以上も続けています。
 
 そういう経験の中で、「ことばが出ないってどうしてなのかな」とか、「私の給食(施設で子どもたちと一緒に給食を食べてました)をこの子がいきなり食べてしまうのはなぜなんだろう?」とか、そういうことを考え続けたわけです。やがて「健常児」の観察研究から、その社会性発達について「三極構造の形成」とか「二重媒介的行動」といった概念を作っていき、その後の国際共同研究の中でそれらが「EMS:拡張された媒介構造」という分析概念に展開していったのですが(※)、そのおおもとはと言えば、少なくとも半分はこの施設などで障がいの問題を考え続けたことにあります。
 
 ということで、もともと研究室に籠って研究するより、現実世界に出ていってそれとの接点の中で、素朴な体験に基づきながら、いろんな方たちと対話しながら、考えていくというのが好きなタイプの人間です。この場でもいろんな視点をもって生きていらっしゃるいろんな方たちと、「発達障がいってなに?」ということを一緒に考えていけるようになればうれしいなと思っています。
 
 考えるのは好きですが、勉強は苦手という、孔子の「思而不学則殆(考えるけど学ばないのはあぶない)」そのままのタイプですが(笑)、そこは「対話」によってみんなと広く考えることで乗り切ろうとしています。個別の専門的知識やテクニックにこだわるのも好きでなく、それぞれのやり方・考え方にはそれぞれの可能性と限界が必ずあるので、そこをしっかり見ていきたいなと思います。
 
 専門家と素人という分け方(特にある種の上下関係としての分け方)も好きではなくて、それぞれ持っている知識や経験、視点に差があるだけとも言えるので、お互いの持っているものを交流しながらさらに理解や実践の仕方を柔軟に深めたり広げていければと思います。実際、現場のスタッフのみなさんとの事例検討会はほんとに勉強になります。そのたびにいろいろ新しい発見があり、スタッフの皆さんの話からも目が見開かれていきます。
 
 あと、結局療育支援ということで一番大事なのは、それぞれの人が自分の持っているものを活かして生きていけるような関係づくりで、そのなかでその人なりの幸せを探していくことなんだろうと思っています。そこについては障がいがあろうがなかろうが、重かろうが軽かろうが別に関係ありません。人生はその人のものなのですし、その人はその人に与えられた条件の中でその人なりの人生を生きるということに、だれも変わりがあるわけではありません。
 
 そんな感じでここでも大事な問題に肩ひじ張らずに向き合って考えていければと思います。よろしければお付き合いください。
 
※(山本登志哉 (2015) 文化とは何か、どこにあるのか:対立と共生の心理学、新曜社、Yamamoto, T. (2017) Cultural Psychology of Differences and EMS; a New Theoretical Framework for Understanding and Reconstructing Culture, Integrative Psychological and Behavioral Science, 51(3) ,pp345-358, DOI 10.1007/s12124-017-9388-4 ほか)

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