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はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

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2019.11.20

自閉症児の共同制作

 以下、別の場所に書いた文章で、去年東北大で開かれた発達心理学会で、山梨大学の吉井勘人さんの面白いポスター発表を見てきて、その内容を紹介したものです。

 発表のタイトルは「自閉スペクトラム症児の言語を介した仲間との協同活動の特徴:「顔づくり」課題における相互作用の分析を通して」

 やったことは発達年齢4,5歳(生活年齢9歳)の自閉症の男の子二人に、福笑いのような遊びを3か月に1回、15か月にわたってやらせてみた話です(その後も継続中)。「二人で一緒に作って」という課題を提供して、あとはただ二人に任せてみているというやり方です。

 そうすると、4回目くらいまではいわゆる典型的に自閉的な感じで他児に働きかけることも極めて少なく進行するのですが、5回目6回目と急激に変化が現れ、相手の子に確認をしたり、提案をしたりといった調整的な活動が急増してきているというのです。

 吉井さんの話を聞いていて私が思ったのは、この「最初は相手を無視しているような<自閉的>な様子を見せながら、実はほかのことのかかわり方を自分の中でじっと考え続けていて、あるとき堰を切ったようにそれが表に出てくる」というような展開です。これに限らず療育の中でしばしば同じように感じられる事態があるのですね。

 定型のこの場合は、かなり早い段階からお互いにいろいろ言いあいながら調整をしていきます。そしてだんだんとそれが上手になっていく。そういう「なだらかな変化」ではなく、「ほとんどない」状態からいきなり「すごくやる」状態に階段状に変化する、という印象があるんですね。

 その話を吉井さんにしたら、「ああ、それよくわかります」と喜ばれていました。

 日々の療育の中で感じられている支援スタッフも多いかと思いますが、自閉と言われる子も他者に対する関心がないのでもないし、他者のやっていることを取り込まないわけでもない。ただその関心の向け方や取り込み方に独特のスタイルがあって、そこを見逃すと「他者を無視している」という見方になってしまうのですね。

 この自閉の子に独特のかかわりの作り方について、学会後に知り合い9人で飲みに行ったときに、ほぼ同年代の細馬宏通さんと話をしていてまたすごい面白かったんです。

 彼は研究のほうでもユニークな視点から内外で活躍していますが、音楽活動でも弾き語りでCDを出していたり、また自閉症児・者とミュージシャンたちで音楽活動をやったりといった実に多彩な活動をしている面白い人です。

 もちろん(?)定型のように、「せいの、」でリズムやテーマを共有して音楽をかなでることが目指されているのではなくて、それぞれになんとなく音を出したりしている中で合奏のようになっていって、なんとなくおわっていく、という展開になる。

 このなんとなく始まり、終わる状態を細馬さんは「のりしろの部分」という言い方で表現されていましたが、そういう自閉の子たちとのコラボを通して、ミュージシャンたちのほうが逆に「ああ、音楽はこれでいいんだ」ということを発見したというわけです。

 定型的な基準だけで見るから、「この子はコミュニケーション障がいだ」という見方になりますが、でも彼らは彼らなりのコミュニケーションスタイルを持っている。それを前提に無理せず付き合っていると、なんとなく独特のコミュニケーションや共同活動がそこから育って行ったりするわけですね。

 ある意味で新しい文化がそこから生まれていくと考えることもできます。

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