はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

2019.11.18

R君の積み木(10) 共有の仕方の特徴

これで三回連続ですが、今の展開は私にとって自閉の子のコミュニケーションの発達を考える上でたいへん意味のあることに感じられるので、書いておきたいと思います。

前回、先生が積み木で家の形を作っち見せたら、最初はそれを崩す遊びが繰り返され、そのあと今度は先生の積み木にさらに積み木を重ねていく、という展開になったということでした。

つまり、

①それまでR君の興味関心を大事に読み取るという大人の側からの関係作りが展開する

②次に大人が新しい展開をR君の遊びを邪魔しない形で見せてあげる

③その展開に誘われるかのように、R君がそれを壊すという形でやり取りが成立し始める

④そしてそのあと、今度は大人のやっていることに自分も加わるという共同製作の形ができる

といった順序で、最初は一人っきりでやっていた活動が大人と共有されて展開する、という状態が生まれたことになります。

人と活動を共有するのが苦手な自閉の子でも、子どもの状態をしっかり見て、その活動にまずはこちらから寄り添いつつ展開をさせることで、子どもの方からもちゃんと大人の活動に参加するようになるのだということをこの例でも見てとることができます。

 
もう一点、ここで興味深いことは、④でのR君の参加の仕方です。

R君が大人のやっていることに関心をもって、それに自分も参加しているわけですが、ただ、参加ということのニュアンスについては少し慎重に考える必要がありそうです。

とりあえず二つのポイントを考えることができるでしょう。

ひとつは大人のやっていることをそのまま真似する形にまではなっていないことです。つまり、それまで自分がやっていた、「積み木を積み上げる」、というやり方を、そのまま大人の家の形の積み木に加えたというやり方で、自分も真似して自分の家を作る、といった展開にまではなっていないことです。

これについては面白い話があります。

新版K式発達検査に「トラック模倣」という項目があり、積木四つを使ってトラックの形を作り、子どもに真似してもらう、というものです。

最初は全くできませんが、やがて出来始めのころ、渡された自分の四つの積み木を、大人の作ったモデルに載っけてくる子どもがいます。「自分のを作ってごらん」と改めて促してもだいたい同じ結果です。ちょうどR君が大人の作った家にそのまま重ねてくるのに似ていますね。(※)

下に少し説明したように(※)、これは自他理解とか、自他分離の問題と見ることも可能ですし、自閉系の方が対人関係でしばしば困難に陥られるのは、定型的な自他関係の距離の取り方がうまくとれず、極端に離れたり、極端にくっついたりしすぎる傾向がある、ということのように私は感じているので、そのような傾向の一部として見ることもできなくはありません。

ただ、ここでは自他分離の話とは少し違った角度から、考えてみたいと思っています。それは「人と活動を共有する」というやり方について、R君は「相手から示された具体的なイメージ」を取り込んで、まねをする、という形で進むのではなく、それ以前のスタイルとして、「相手の活動の結果を見て、それに自分の活動を重ねる」というやり方で進むように見える、という点です。

つまり、家の形をまねして作るのではなくて、そこに自分の積み木を積み上げる、ということですね。

これは「まねができる」という力、あるいは「イメージを共有する」という力として見たときは、まだそれが「できない」という評価になるのかもしれません。でもそうではなく、そこにR君なりにほかの人の活動を取り込むことが「できる」スタイルが見えている、という風に積極的にとらえた方がいいのだろうと思うわけです。

 
これは私自身そのあたりについて意識してデータを採って分析したこともないので、はっきりとは言えませんが、定型発達の子どもでも、ごく短期間R君のような取り込み方をする可能性はあります。けれどもそうであってもそこはかなり早く次のステップに移行してしまい、そういう段階があることにも周囲はあまり気づかなかったりする。それに対して、R君の場合(あるいはカナータイプの子の場合)、その微妙なステップをじっくりと経験することで、次のステップに進むのではないかとも考えられるのです。

 
もうひとつのポイントは、多分R君の場合、「相手と一緒に<活動を共有している>」という感じよりも、「相手の活動の<結果を取り込んで結果として共有している>」とでも表現したほうがよいような傾向があるのではないか、という点です。

これは「他者との世界の共有の仕方」について、定型的な共有の仕方と、自閉的な共有の仕方の質的な違いに関係するものとして私がこのところずっと関心を抱いている問題でもあります。たとえ自閉的な人との間でも、確実に何かを共有することができていくし、その世界が広がっていくという点では私は確信を持っていますが、ただ共有の仕方、共有ということのニュアンスに違いが残り続ける。そう思えるのです。

その違いがあるために、言葉の発達の仕方についても、活動の共有の発達の仕方についても、ずっと微妙なズレが残り続けてそれぞれに異なるパターンでの発達過程を作り出していく。という問題です。

これについてはまたおいおい考えを進めていきたいと思っていますが、なんにせよ、R君と周囲のみなさんのやりとりの発達を見ていると、そこから発達心理学的研究の観点からみても、とても重要な問題がたくさん見えてくるということを、改めて確信しているのでした。

  
 
※ これはひとつには自他分離のレベルの違いと解釈できます。自分のやっていることと相手がやっていることを区別した上でやり取りすることが難しいために重ねてくると考えられるからです。
 相手と同じものを作るには、「私が作るものの形」=「相手が作るものの形」というふうに、作られる「物」(またはその活動)については両方が「同じ」なんだけど、でも「私」≠「相手」というふうに、作る「人」については、「私」と「相手」は「違う」んだ、ということが同時にわからないといけません。「同じ」だけど「違う」という、ある意味ややこしい関係がそこにあるわけです。ですから、その二つをうまく組み合わせて理解できないと、「同じものを作る」ということが「私」=「相手」とごっちゃになってしまって、相手のものに重ねて作ってしまうことになると考えられるのですね。そういう意味で「自他分離」の問題になります。
 その証拠に、そういう失敗をする子には、二枚の紙を準備して、こちらが作るモデルは自分の紙の上に、そして子どもには「この上に作ってごらん」とこどもの前の紙を指し示して話をするとできたりします。つまり作る場所の違いを視覚的にわかりやすく提示することで、「私」≠「相手」が混乱しにくくなるわけです。(ちなみにこれもまたスキャフォールディングの一種と考えられます)

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