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はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

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2020.03.04

大震災と障がい児の生きる力

今新型コロナウィルス対策で、子どもたちに厳しい状況が生まれてきています。当然その環境は障がい児にとっては一層厳しいものになる面もあります。けれどもここではもうひとつの面について考えてみたいと思います。

1995年の1月17日の明け方のことでした。

かなり大きな揺れに目が覚めたのですが、それまで経験してきた地震と比べて、強さ自体はそれほど極端ではありませんでした。ところがその揺れが続く時間が明らかに異常でした。すぐにテレビをつけました。阪神淡路大震災です。

当時、私は奈良女子大学に勤めており、官舎に住んでいました。建物自体には目立った損傷はありませんでした。ただ、大学の建物ではガラスの破損など、小さな被害は見られました。

そのころ、私は兵庫県の宝塚市の就学前知的障がい児通所施設に発達相談員として月に一、二度通っていました。午前中に子どもたちの自由遊びを観察し、給食を一緒に食べた後、午後に発達検査をやって保護者の相談に乗り、夕方に施設の先生たちと事例検討会をする、という仕事です。

宝塚と言えば、まさに被害の中心地のひとつです。すこし落ち着いて発達相談が再開されたとき、現地を訪れて見たものは、10階建て程度のマンションが、道路に向かって30度位かしがっているような姿でした。

いつもならそれだけで驚愕の状態ですが、すでにそれ以上の惨状をテレビで見続けていたため、今から思えば半ば非現実的にも思えるその状態を見ても、「ここもそうか」という思い以上には、極端に驚いた記憶はありません。

幸いその施設に通っている子どもたちや家族には亡くなった方はなかったようでした。ただ、多くの方が避難所生活を余儀なくされていました。

環境の変化が苦手な自閉症児です。また当時、施設に通う子は今と比べればとても重たい子が多くありました。そういう子にはその子自身のペースを守ってあげることがとても大事、というのが通常の状態での対応の基本でした。

ところが避難所生活など、とてもじゃないがそんな条件があるわけではありません。自分のペースも、自分の空間も守られない、見知らぬ人がたくさん行きかう異常な環境に、みんなパニックになってしまっているのではないか。そんな心配をスタッフのみなさんもしていたのですね。

久しぶりに再開されたその日の事例検討会でもひとしきりそのことが話題になりました。

ところがその時の話題は「パニックになって、状態が悪くなって大変」という話ではなく、逆に「みんなたくましくなっていた」という話だったんです。

「僕は僕なんだから」の彼の場合、お母さんが積極的にいろんな経験を彼にさせてあげていました。周囲の理解が得られにくい中で、「障がい児だから」とむしろ引きこもりがちになる保護者の方も少なくないように思えるところ、いろんなことに一緒に「挑戦する」環境を作られる中で、彼もだんだんと「新しい挑戦」への思いが強くなっていったようです。そしてそのことが今の就労にも結び付いています。(その経緯については第一回公開講座のこちらの動画講義で少し説明しています)

京大の耳鼻科で助手をされていた川野先生が、口蓋裂の子どもを皮切りにいろんな障がい児を集めてよく合宿をされていました。私も学生の頃、K君と一緒に何度か参加しましたが、そこでも大文字山登山とか、琵琶湖の北にある余呉湖一周マラソンとか、お餅つきだとか、いろんな「挑戦」が設定されていました。

私がこれらに共通して感じるのは、人が自然に持ってる「生きる力」を引き出そうとするかかわり方です。「逞しさ」と言ってもいいかもしれません。そしてその延長上に大震災の時の子どもたちのことを考えると、彼らはその厳しい環境で自分が持っている「生命の逞しさ」を引き出されたのではないかという気がするのです。

それが成立するには、もしかすると二つくらい、条件があるかもしれません。なぜなら子どもに「挑戦」させようとするかかわりが、単に大人の要求を押し付けて子どもにつらい思いを重ねさせてしまい、やがてそれが二次障がいにつながるケースもあるからです。

その条件と言うのは、ひとつには「大人も一緒に頑張る」という雰囲気が共有されることです。震災の時には大人も必死でした。大人自身の「生きる力」が試されている状況がそこにはあって、その真剣さの雰囲気の中で、子どもにも「一緒に頑張る」ことが求められていたのだろうという気がします。

もうひとつは、その頑張りがいわゆる「普通」をめざしたものではなく、「その子にあった頑張り」が自然と設定されていることです。それが可能になるのは、「同じ境遇にいる人たちとのつながり」があることでしょう。

大震災では同じような被災者の集まりの中で、その中でみんなで協力し合って「生きる」道が模索されていた。そこには力のある若者もいれば、体の弱いお年寄りもいる。健康な人も病気がちな人もいる。いろんな条件を抱えている人たちが一緒になって、お互いに助け合うことが必要な状況を作っています。その中では「障がい」もそういう「いろんな条件」のひとつにすぎなくなる。

障がい児の合宿も同じです。普段「普通」との違いに苦しめられている親子が、その状況を共有した人たちと一緒に「みんなで頑張る」場を作ってます。それぞれの子が、一人一人違うその子なりの困難を抱え、そのことをみんなで理解して応援しあう雰囲気がそこにできる。

そうですね。つまりは「それぞれにいろんな困難を抱えながら、その中で頑張って一緒に生きる」という気持ちを共有する人たちが集まって、そこで子どもの頑張りが応援され、「挑戦」が行われる。「普通」の中で自分の特性を否定され、ただ自分には合わない「普通への挑戦」を押し付けられるのとは、同じ「挑戦」と言う言葉で語られてもその内実は180度違うと言ってもいいでしょう。その違いがあるとき、「挑戦」はその子の「生きる力」を引き出すのだと思えます。

関連して、先日、障がい者雇用を積極的に進めているある企業を見学させていただき、大変に驚き、また感激したことがありました。そこでも障がい者枠で働く人たちが、ごく自然に職場に溶け込み、その「生きる力」をその中で引き出されて活躍しているのです。このことについてはいずれインタビュー記事を掲載する予定ですので、是非ご覧ください。私にとっては「障がい者支援」とは何かということについて、発想を大きく進展させるきっかけになるような体験でした。

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コメント欄

  1. こどもサポート教室「きらり」女池神明校 こどもサポート教室「きらり」女池神明校

    幸いにも私は阪神淡路大震災の前年に就職で仮住まいの京都から離れました。その為、体験はしておらず知人からの情報や報道でしかしることができませんでした。報道の中では、障がい者についての報道はあまり目にしたことがありません。災害時の子ども達の様子の一端を教えていただけることはとても参考になります。ありがとうございます。

    「経験」と「挑戦」のお話しはとても納得がいきました。高校の教員をしているとき、不登校生や学校からはみ出してしまいがちになる生徒と一緒に他県の高校生たちと合宿することをしていました。そこでは自分たちの枠では考えつかないような行動を見聞きしすることで、様々な問題に自分の課題を設定し「挑戦」していこうという気持ちになった生徒が多く出ました。不完全な自分を否定されないことがそれを後押ししたのかなと思うようになりました。それを愛知県の先生は「大きな学力」という言葉で表現されていました。これは山本先生が仰る「生きる力」のことだったのだと思います。
    障がい者に限らず健常者(定型発達者も)にも共通して山本先生の考察はとても重要なことなのだと改めて考えるようになりました。
    ありがとうございました。