はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

2019.08.19

自閉のK君に支えられる

 
 
 また自閉症のK君とK君のお母さんとの思い出です。
 
 K君の「アルバイト療育?」をお引き受けしたのは、私が大学院浪人になる年でした。どうも私は試験と言うのが苦手でなかなかストレートに行きません(笑)。このときもちょっとカウンセラーになろうかと考えて、違う学部の臨床心理学のコースを受験したのですが、河合隼雄さんと「意見」が合わず(笑)、あえなく浪人に。翌年やっぱり発達心理学を、と考えてもとの学部で院に進みました。(私たちはこれを「入院」と呼んでいました(笑))
 
 閑話休題。そのお話は初回にも書いた京大教養の中島誠先生から「やってみないか?」とお誘いを受けての事でした。けれども浪人と言う身分で、ただでさえプレッシャーが大きい中で、初めて重い自閉症児の相手を引き受けることが果たしでできるのだろうか?無責任なことにならないだろうか?とかなり迷いました。
 
 基本的に走りながら考える、おっちょこちょいのタイプなので、それでもお引き受けすることにして、週一回、土曜日にその子の家に伺って一緒に遊ぶ、というアルバイト療育が始まりました。
 
 最初、私は「遊び」が基本とは思っていても、それでも何か訓練のようなことをしなければいけないのではないかと思っていました。それでお母さんにそういうこともお尋ねしてみたのですが、お母さんはきっぱりとそういうことは望まない、とおっしゃりました。しっかり(?)一緒に遊んでほしい、ということで、毎週とにかく一緒に遊ぶアルバイトでした。
 
 浜田さんも講義(4)の中で「(重たい自閉症の子が)「一緒に何かをする」ことがむつかしい」ということと、その意味を語られていますが、それ以降私もそのことを身に染みて体験し続けることになりました。
 
 大学と言うのは学問の世界ですし、領域にもよりますが、ほとんどの場合、学問は言葉によって成り立ちます。物理を専攻していたある先輩は、中学校の時、逆上がりができないのはなぜか、と数式で考えようとしていたそうでした。この先輩は周りから「足が臭い」と常々指摘されて、一生懸命足を洗い続けたのですが、一向に改善する様子がなく、あるとき周囲が「靴下を洗ってないからだ」と気づいてそれで解決した、という類の楽しいエピソードがたくさんある方です。私の周囲にはそういう面白い人がごろごろしていました。
 
 そんな感じで大学と言うのはとにかく「体で学ぶ」のではなく、「頭で考える」ことが一番大事とされるような世界です。その中で大学院に進もうと考えるような人間は、一層「理屈」の世界で生きる傾向があります。
 
 その世界は「議論をして理屈を整理する」ことと「実際にデータを集めてその理屈が正しいかどうかを確かめる」、あるいは「理屈の整理の仕方が間違っていないかを理屈で証明する」といった、ある意味辛気臭いことを延々とやり続ける世界です。
 
 ところがそんな姿勢で子どもに向き合ったって、うまくはいきません。子どもはそういう理屈で生きているわけではなく、感覚や感情といった、もっと生きることの一番の根っこにある力で生きています。出産のときに生まれた赤ちゃんが最初にすることは「産声を上げる」ことで、それ以降おなかがすいたと言っては泣き、おむつがぬれて気持ち悪いと言っては泣き、そうやって自分の感情をストレートに出すことで生き抜くのです。
 
 知的な力も頭で考えることで育つのではなく、素朴な感覚に基づいていろいろ実際に体で味わい、運動してみる中で育つのだ、ということを、知能の発達段階を研究したピアジェも重視して、2歳までの段階を「感覚運動期」と名付けています。
 
 しかもピアジェの議論ではとどかないポイントですが(ピアジェの「知能の誕生」を訳した浜田さんのインタビューでも論じられています)、そこでは感覚的なことや身体的な運動を一人でするのではなく、「一緒に楽しめる」ことが発達の初期の基本になります。ところがそこでむつかしさが起こるのが自閉的な子どもの特徴なのです(※)。
 
 たとえばその子が積み木を横に並べて遊んでいるとき、そこに大人が入って一緒に遊ぼうとすれば、それを列車に見立て、その遊びを発展させるために、駅を作ってお客さんの人形を立たせて待ってみたり、踏切を作って「カンカンカンカン」と言ってみたり、何か新しいことを加えてみたくなるものです。
 
 定型的な発達をする子どもの場合、見たての力がついてくるとこのあたりはすぐに受け止めて、大人を入れて一緒に楽しむ形になりやすいですし、また自分からも大人に参加してもらうことを喜んだりします。私ももともと子どもは好きだったので、そういうかかわり方はそれなりにできました。
 
 ところが、K君のようなタイプの子の場合は、そうやって働きかけても全く何もなかったかのように無視されたり、繰り返しされると怒って壊したり、いなくなってしまったり、ということがよくあります。「一緒に楽しもう」とする大人の方はそんな応答をされて少なからずショックを受けることになります。
 
 そんなこんなで、自分がそれまで持っていた「普通の感覚」でK君と「楽しもう」とするとことごとく失敗するわけです。その「普通の感覚」に基づいて、頭で工夫していろいろバリエーションを作ってみても全部無視され、どうしようもないところに追い込まれていきます。
 
 そのときの私にできたことは、とにかく自分の頭を柔らかくすること、そして自分の定型的に固まった感覚を柔らかくすることでしかありませんでした。「頭でっかちの学生」ではどうしようもないのです。
 
 そういう状況の展開の中で、毎週その子に寄り添う形で「一緒に遊ぶ」ことを繰り返しましたし、またお母さんは家に閉じこもらず、毎回公園に行ったり、ドライブで少し離れたところに遊びに行ったり、積極的にいろんなところを一緒に楽しむ機会を作ってくれました(この辺りも「僕は僕なんだから」のお母さんと同じですね)。
 
  
 さて、つらく苦しい浪人生活です。
 
 はじめはその大変さに加えて重い自閉の子どもと付き合うことで、しんどさが倍加して耐えられるのだろうか、と思っていました。ところが実際には逆でした。K君との週1回の付き合いが、私を逆に支えてくれたのです。
 
 それは多分、「浪人生活」という、「自分の事に精一杯」で自分に閉じこもって固まってしまう状況を、K君との付き合いがその都度開いてくれたからだろうと思います。自分の小さな世界に閉じこもっている限り、K君との世界に触れることはできないからです。K君に近づこうと思えば自分を開くよりない。それが私の精神的な健康を引き出し、支えてくれたのだろうと思います。
 
  
 発達心理学に始まって、文化の問題、冤罪をも生み出す法の領域での供述の問題など、いろんなことに関心を持って研究をしてきましたが、それらに一貫している私の問題意識は「お互いに理解しにくい異質なもの同士をどうつなげることができるのか」というテーマです。
 
 自閉の子の世界は、定型発達者の頭ではなかなか理解がむつかしい「異質さ」を強く持っています。脳科学者はその「異質さ」を「脳の機能の差」で説明しようとします。浜田さんのような心理学者は定型発達者が生まれて以降作り上げていく「人と世界を共有して生きていく(心理学的な)仕組み」に生ずるずれから理解しようとします。いろんなアプローチがあり得ますが、いずれにせよそこには簡単に乗り越えることができない「異質さ」がお互いの間に存在しているわけです。
  
 そういうお互いの間にあるずれに、自分を柔らかく開いて向き合っていく姿勢の重要さを、私はK君にまず教えてもらったのかもしれません。そして「訓練」の申し出をすっと断られたお母さんが「一緒に遊ぶ」かかわりこそを求められたのも、そこにつながることだったのだろうと、今振り返って思えば感じられるのでした。
  
  
 
※ 私が使っていた新版K式発達検査の場合、知的発達にも遅れが目立つ自閉症児が示す典型的なプロフィールに、「認知・適応」は相対的に高めの値で、「言語・社会」が低く出る、というパターンがあります。これは「認知・適応」に配されている課題が基本的に「物の扱い」が中心のもので、ある程度は他者が関係なくひとりでも理解を進めることができる分野であり、「言語・社会」の方はそれに比べて言葉の理解ややりとりなど、「人の扱い」とか「人からの扱われ方」といった人間関係に関わる力が前提になっているものが多いことから起こることです。自閉症児はその後者に典型的に困難を抱えやすいのだということになります。

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