はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

2020.06.08

「記録」を求めない生き方

また将棋の藤井聡太さんの趣味ネタで失礼します。

彼は今や国民的なヒーローになってきている感じがありますが、でもある意味、彼ほどヒーローという生き方から遠い人はないのかもしれないと思うんです。

今回も三十年ぶりの大記録を打ち立てました。それはタイトル戦に挑戦する最年少記録というものです。今回のコロナ問題で実現が一時危ぶまれましたが、緊急事態の解除後、おそらく将棋連盟の配慮もあったのか、特別日程で記録更新が可能なスケジュールとなり、見事それを実現しました。

終局後の勝利者インタビューの中で、記者は当然のようにこの大記録について感想を聞きます

――棋聖戦、タイトル初挑戦ということが決まったわけですけれども、初挑戦を勝ち取ったお気持ちはいかがでしょうか?
  藤井「挑戦することができて嬉しく思います。五番勝負がまたすぐ開幕になるので、しっかり準備したいと思っています」
――タイトル挑戦最年少記録更新という結果についてはいかがですか?
  藤井「自分としては意識はしてなかったですが、結果的にそういう形になってよかったと思っています」

読まれてどんな印象を持たれるでしょうか?最初に「初挑戦を勝ち取ったお気持ち」と聞いた記者は、たぶん「その大記録を打ち立てた喜び」を聞きたかったのでしょう。ところがその答えは意外なほどにあっさりしていて、記録には何も触れずに、次に現在の最高の騎士渡辺三冠に挑戦できることがうれしいとだけ言っています。

それで改めて記録について聞かれたのですが、そこで「自分としては意識してなかった」と答えています。

これ、普通ならまずありえないですよね。この快挙について、何人かの方が「あの大変なプレッシャーの中でよく偉業を達成できた」とか「素晴らしい自制心だ」みたいな感心の仕方をしていました。そういいたくなるのは、「この状況なら当然ものすごい記録について意識して、それがプレッシャーになるに決まっている」と信じ込んでいるからです。

もしそれが本当なら、彼の言い方は、ある意味すごくキザな答えだということになります。本当は大変なプレッシャーを受けながら、それを乗り越えて栄冠を勝ち得たのに、「いや、そんなこと別に気にしてませんでした」と言ってごまかしていることになりますから。

あるいはものすごく傲慢な言い方という見方もできるでしょう。「あなたたちはこんな程度の事で大騒ぎしているけど、私の実力を持ってしたら、こんなのなんでもないんだよ。」と言っているようにも考えられるからです。

でも、私は全然そうじゃないと感じるんです。

彼が「自分としては意識していなかった」というのは、まったくの本心、本当に素直な気持ちだと思えるのです。

世の中にはいろんなタイプの人がいます。感覚もさまざま、価値観も様々。

お金に対する欲望がものすごく強い人もいます。地位とか名誉に対する欲望が強烈な人もいる。それを得るためなら、自分以外のものはいろんなことを犠牲にしてもいいと、そう考える人もいる。人間の世の中はそういう欲望によって成り立っている部分があるので、いい悪いの問題ではなく、それもまたある意味自然なことです。

でもそういうものに全然興味がわかない人も確かにいるんですね。

分析心理学のカール・ユングの有名な概念で「外向性と内向性」というのがありますが、よく誤解されているように、外交的な人は人づきあいが好きで活発で、内向的な人は内気で一人でいるのが好き、という話とは全然違います。人と付き合いがよかろうが悪かろうが、その人の関心が「人との関係」そのものに向いていくのが外向性で、付き合いが上手でも下手でも、そこで自分自身に関心が向いていくのが内向性です。

この分類を借りれば、藤井さんはあきらかに内向的な人です。だから記者会見の時にも、いつも伏し目がちに、問われたことについて自分の気持ちに問いかけるような表情で答えています。「相手に訴えたい」という感じは全然ない。自分の中の真実を確かめるような、そんなやりとりになっています。ある記者が最後に、いつもうつむいて話をするから、応援しているファンのために、カメラを見てしゃべって欲しいと、実に野暮なことを言っていましたが、その記者には藤井さんの生き方がピンとこなかったんでしょうね。

昔から、職人肌の人にはこういう人が多いといわれます。どんなにお金を積まれても、どんなに褒められても、自分が納得するしごと、自分がやりたいと思える仕事しかしない。貧しさも関係ない。他の人からいくら褒められても、自分で納得のいかない作品は怒りとともに打ち壊してしまったりする。

そんな印象なんですね、彼にとっての将棋は。自分にとって納得できる将棋が指せるかどうかだけが問題。人がそれをどう見ているか、ということは、ほとんど問題にならない。だから周りがいくら記録記録と騒いでもほとんど自分の気持ちには響いてこない。だから常にマイペースも保てる。プレッシャーに強い、というより、そもそもそういうプレッシャーが成り立ちにくい生き方なんです。

全然ヒーローっぽくないのに、彼がこれだけもてはやされる理由の一つはそこにあるんじゃないでしょうか。周囲の目にばかり引きずられ、自分を保てない状況に追いやられることが多い中で、彼はただ素直に自分にとっての真実を追い求める。そして結果としてそれが素晴らしい成果にも結び付いている。しかもそれは「自分にとっての成果」である。負けると悔しいのは、相手に負けたからではなく、自分が将棋の真実にたどり着けなかったからです。

少なくとも私にはそういう風に見えますし、そしてそういう彼の姿はとても魅力的に映ります。研究もひたすら「真理」を求めることが重要と思えるのですが、その理想にも近く感じるのです。

発達障がいの問題を考えるときに、「多様な生き方」を大事にする、という視点が絶対に欠かせないと私は思っています。価値観も感性も多様。そのことを大事にするうえでも、多くの人が「大記録を打ち立ててうれしくてしょうがないだろう」と思い込んでいる中で、「これで渡辺さんとすばらしい対局の場が手に入った。渡辺三冠を通してまた将棋の真実に近づく可能性が手に入る」という喜びをたんたんと感じているような彼の、彼にとってはおそらくとても自然なもうひとつの価値観に触れることは、とても大切な経験だと感じています。

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