発達支援交流サイト はつけんラボ

                 お問合せ   会員登録

はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

    ブログ総目次(リンク)はこちらからご覧いただけます。

2020.06.25

リズムが大事になる訳

保育でも療育支援でもいいですが、小さな子どもを育てるときに、歌やお遊戯などがたくさん使われますよね。子どもたちも大体は喜んで参加しています。

先生「♪あーなたのお名前は♬、♪あーなたのお名前は♬、♪あーなたのお名前は♬」子ども「(手を挙げて)〇〇でーす!」先生「♪あら素敵なお名前ね♬」という、子どもに名前を言わせるような毎朝のあいさつも、歌の中でやられたりしますし、もういたるところに歌が使われます。

私が研究のフィールドとして保育園や幼稚園に入り込み始めていたころ、その様子を見て、なんとなく「いかにも保育の場所」という感じで「あたりまえ」のように思いはしましたが、その意味を深く考えることはありませんでした。

でもこの「あたりまえ」ということには何にしても実は大変に大事な意味があるのですね。実際、自閉のお子さんにはそういう活動への参加が苦手だったり、関心を持たなかったりということがしばしば見られますが、その「あたりまえ」は実は「あたりまえ」ではなく、その「あたりまえ」を可能にしている仕組みがそこにあるわけです。そういう活動にあまり参加しないお子さんの場合、その仕組みに違いがあるのだ、ということでもあります。

ではそこで大事になる仕組みとは何か、ということで、今回は「リズム」ということを軸に考えてみたいと思います。

歌にしてもお遊戯にしても、そこで大事なのは「リズム」です。一定のリズムが繰り返されること、それが早くなったり遅くなったり、ちょっと変化したりすること、それをほかの人と共有することが一番の基本にあります。

この「リズム」というのは、さらに考えていくと、実は生命活動の基本にあることがわかります。私たちが生きているのは心臓が動いているからですが、それはリズミカルに拍動しています。このリズムが崩れる状態は不整脈といわれますね。著しい不整脈は生命にかかわり、AEDによって電気ショックを与えてリズムを取り戻させたりもします。

呼吸もそうですね。リズミカルに吸って、吐いてを繰り返しています。

睡眠もそうです。夜になれば眠くなり、朝になれば目が覚める。これは心理的な健康にも重要な意味を持っており、たとえばうつ病の典型的な症状の一つは睡眠が乱れることだったりします。順調な精神活動に必要なリズムが崩れているということなのでしょう。

食事から排泄までもリズムが大事です。便秘はそのリズムの崩れということにもなります。

私たち生物が生きるということは、そういうリズミカルな活動を繰り返すこととも言え、そのリズムの乱れは病気となり、リズムが完全に崩れることで死に至ります。リズムは生命の根幹なのです。

その生命のリズムに影響するものには昼夜とか四季などの地球規模で成立しているリズムがあります。また月の運行も生理的な周期に影響するようです。サンゴなどは同じ時に一斉に産卵するのですが、サンゴ同士がお互いに「せーの」と合図を送って産卵するわけではありません(笑)。たとえばサンゴについて説明するHPにはこんな風に説明されています。

 「卵が成熟すれば産卵は可能ですが、成熟してすぐに産卵するわけではなく、多くのサンゴが満月の頃を待って一斉に産卵します。この産卵日の同調性には、月齢周期と日没からの経過時間が影響を与えているようです。」

 月の満ち欠けが影響しているのですね。そういう自然のリズムの中で、生物は自分の体の中のリズムを保ち、生きていると言えます。

それだけではありません。私たちは他人と異なる体を持って生きています。しかもその異なる体を持つ他者と一緒に生きていかなければなりません。そしてこの一緒に生きるために、またリズムが大事になる訳です。

よく「息が合わない」ということを言います。お互いに協力して何かをやろうとするとき、タイミングがうまく合わなかったり、やりとりにずれが起こってうまくいかないときに「息が合わない」と言います。これも「リズムが合わない」ということの一つで、その逆にうまくいく人は「息が合う」ことになります。

二人で話していて、その会話がスムーズな時にはお互いの呼吸のリズムがそろってきたりもします。あるいは体の動きが同期してくる。これを意識的にテクニックとして使うのがミラーリングですね(最近はITでのミラーリングという技術がよくつかわれていますが、それではなくて相手の動作をまねるような意味でのミラーリングです)。

「馬が合う」という言い方もありますが、これはもともとの意味は馬に乗っている人と馬のリズムがそろうかどうかのことですね。

人は人と一緒に何かをするとき、「リズムを合わせる」ということを盛んにやるわけです。赤ちゃんを抱っこしてあやすときのことを思い浮かべていただいたらいいですが、しばしばリズミカルにゆすってあげます。声掛けも赤ちゃんのリズムに合わせるかのように、繰り返し行います。新生児の舌だし模倣と名付けられている面白い現象も、大人が上手にリズムを合わせて舌出しをして見せることで引き出されやすくなります。

新生児の睡眠サイクルというのも、最初は昼夜は関係なく3~4時間程度の周期で寝たり起きたりしています。こういう周期をウルトラディアン・リズムと言いますが、このため、お母さんは真夜中に何回も起きて授乳するなどの必要があって、お母さんの方のリズムが崩れて大変だったりします。

けれどもそれが数か月するうちにだんだん昼夜のパターンの睡眠に近づいていき、やがてお昼寝は含めてですが、一日の周期で回りに合わせて寝起きするようになります。これをサーカディアン・リズムと言います。

なんにしてもそうやって人は人とリズムを合わせて生きていくわけです。だから発達に伴って、そのリズムの合わせ方、同期の仕組みもだんだん複雑になっていくことになります。最初は体の動きをベースにし、そこに声の同期が加わる。そして共通の対象に対して注意を向けるという心理的な活動を同期させる仕組みが作られていき(三項関係・共同注視)、やがてそこに指差しや言葉がその手掛かりとして使われるようになり、伝えあったり話し合ったり一緒に考えるといった、共同した精神活動の調整が可能になっていきます。

歌を歌うことで気持ちや感情をそろえる(同期させる)ことが行われます。保育園ではそれを使った子どもの活動の調整がとても大切になりますが、大人でもコンサートでみんなで一緒に歌ったり、手を振ったり、体を揺らしたりというのはよく見られる活動です。

オーケストラの指揮者は指揮棒や体の揺れ動きを使って、演奏者のリズムを調整します。そのことで演奏が生まれてくることになります。

というわけで、個人の体内リズムの話から、人々の協働的な活動に至るまで、リズムという問題が一貫してとても重要な位置にあるわけです。ですから、このリズムの整え方、調整の仕方というのは、その人の生き方や人との関係の作り方に直結する重要な意味を持つのだということになります。

保育園の歌やお遊戯などの活動は、そういう基本的な力を形成していくうえでも大事な役割をしていることになります。

 

というわけで、コミュニケーションに困難を抱える人の場合、それはたとえば「言葉が話せない」とか、「言葉の意味の理解が違っている」といった「知的」な問題が原因だという風に見るだけでは一面的な理解になります。そもそもコミュニケーションの土台となる、リズムの共有、リズムの調整のところから、ずれが起こっている可能性が高いからです。

それは「お互いが持っているリズムのずれ」ということがベースにあるのでしょう。「息が合わない」「馬が合わない」ということですね。次回はその問題について、ピアジェの議論から始めてもう少し考えてみたいと思います。

RSS

コメント欄

  1. こどもサポート教室「きらり」女池神明校 こどもサポート教室「きらり」女池神明校

    リズムの同期というと、個人的にはホイヘンスが柱時計のレゾナンス(ものにもそれぞれの固有振動数(リズム)があり、リズムの近いもの同士が同一空間にあるとき同期するというような現象です)を発見した話を思い出してしまいます。
    この現象は物理現象と理解していたので、これが人や生き物にも言える自然の働きなのかなと漠然と考えていました。

    リズムの近いもの同士が同期するというところがミソで、リズムが大きく違った場合、同期できないと考えると、人に合わせられない(同期できない)人に同期することを求めることは相当の困難さがあるのかという思いもありました。少数派の発達に課題のある人が、定型発達という多数派のリズムに合わせる苦労は、もしかしたら自然の法則に逆らうだけのエネルギーが必要なのかなと想像してみました。
    療育によって定型発達者の行動を真似ることの苦労は、並大抵のことではないのかもしれませんね。

    1. labo labo

      とても大事なことだと思います。
      心理学でこんな実験があります。お互いの指を向かい合わせ、ゆっくりと上下にその指だけを振り動かします。その時指を同じリズムで交互に、つまり相手が上に行く時は自分は下に、その逆はその逆にという形で動かします。それを少しずつスピードを速めていくんですね。そうすると、いずれその指の動きが交互にではなく一致してしまうという話です。
      また物理学の実験で、拍手の実験というのがあって(というか実験でなくてもコンサートなどで経験できますが)、みんなで拍手をしていて、最初はそれぞれが勝手なリズムでぱちぱちやっているんだけど、ずっと続けていくと、それがそろっていくんですね。
      発達心理学では「エントレイメント」という現象に注目されています。親子でやり取りしていると、だんだんリズム、タイミングがあってくるんですね。同調とか巻き込みともいうかと思いますが、自然現象から人間の相互作用まで、あらゆるところに見られる重要な現象です。この「共振」「共鳴」「同調」という現象をベースに考えることがとても重要な意味を持っているわけです。当然それがうまく成り立たない場合もありますし、「一緒にならない」ことの大事さもあると思います。そのどちらか一方だけで考えるのではない道を模索していくのが大きな課題なんだろうと思います。