2021.01.16
逆SSTという試み:当事者の気持ちをどこまで理解可能?
また改めて詳細をご案内できると思いますが、3月21日に「逆SST」という新しい試みをイベントとしてやってみることになって準備をしています。
SST(直訳すれば社会的技能訓練)って、ルールとか配慮とか、コミュニケーションの中で必要なテクニックを教えるためによくやられているものですね。その逆をやってみようというわけです。
もちろん逆と言っても「ルール破りや無配慮の訓練」ではありません(笑)。「学ぶべき、あるいは理解すべきルールや配慮」を定型発達者のものではなく、発達障がい者のものについて理解しようということです。
アスペルガー当事者の大内さんの記事を読むといつも私は「え?なんでそうなるの?」と「?」が百個くらいも並びそうな思いになってすごく刺激的なんですが、当事者の理解の仕方、感じ方、考え方は定型的に普通のパターンと大きくずれていることが多くて、なかなかピンときにくかったりします。
通常はそういう当事者の見方は「間違った見方」として簡単に片づけられて、「正しい見方」を教える手段としてSSTが用いられることもあるわけですが、ただ当事者からすると、「なんでそれが正しいの?」ということにもなります。そこがピンとこない。ピンとこないからSSTで形の上で教えられたやり方について、実際の場面ではうまく使いこなせずに「応用できない」ということが起こります。
まあ当然と言えば当然で、数学な苦手な私は公式を覚えさせられて、意味が分からないまま表面的な理解で記憶するので、それを具体的な問題でどう使ったらいいのかがよくわからなくて変なことをしてしまったりしていましたが、言ってみればそういうことが起こるわけです。
で、SSTで言われたことがピンとこないのは、「理解力がない」からではなくて(知的な発達の問題でそうなっている場合は別として)、「理解の仕方が違う」から起こることです。
じゃあどういう違いがあるのでしょうか。実は定型発達者にはそこを理解することがむつかしい。その結果、発達障がい者が「自分にとって当たり前のことが理解されない」という思いに苦しむことになります。そしてやがてすっかりあきらめてしまったり、逆に怒りを爆発させたりする。人間誰でも「わかって欲しい」ことを「わかってくれない」ことに傷つきますしね。
ということで、このイベントでは、立場を逆転させて「定型発達者が発達障がい者のSSを学ぶ」、平たく言えば「発達障がい者の気持ちを理解する練習」をみんなでやってみようと考えているわけです。
私の経験ではそこはほんとにむずかしいのですが、さてどこまでうまくいくか。ちょっと楽しみです。
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- 自閉的生き方と「ことば」1
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- 「なんでこんなことで切れるの?」
- 当事者視点を踏まえた関係調整としての支援
- 「定型文化」と「自閉文化」
- 傷つける悲しみ
- 自閉と定型の「傷つけあい」
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- 障がいと物語: 意味の世界を重ね合う試み
- 誰もが当事者:わたしごととしての障がい
- 規範意識のズレとこだわり
- 「コミュ力低い」で解雇は無効という判決
- 「カサンドラ現象」論
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