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はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

    ブログ総目次(リンク)はこちらからご覧いただけます。

2021.02.11

これからの社会変化と発達障がい

今だけを見ていては、将来の社会を作っていく子どもたちに必要な支援を提供できない、と思っていますが、その理由は主に二つあると思います。

まず第一に今は世界の激変期に入っているので、これまでの生活スタイルや価値観ではうまく生きられなくなっていくことはまず間違いないからです。

その変化を決定的にしているのがIT技術と情報をつなぐインターネットの仕組みで、これによって人と人のつながり方が劇的に変化し、その変化はローカルにではなく、世界規模で進行していて、そのつながりによって国境の意味も全く変わりつつあります。

さらに現在、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)、MR(複合現実)、合わせXRと呼ばれる新しい世界が人々の生活の中にいよいよ浸透し始めてきました。それは今から四半世紀前、95年にインターネットが家庭に普及し始めたようなことで、その進行には多少の紆余曲折はあるでしょうが、今やネットなしでは生活が成り立たなくなっているように、XRの世界抜きには仕事も買い物も友達関係も、まったく成り立たなくなる状況が訪れることになります。

その世界の特色は、これまでリアルと考えられてきた、私たちの生身の体が生きている世界と、IT技術によって物理的な場所のほかにリアルに作り出されるイメージ世界が融合していく方向(MR)に進むように考えられます。今始まった5Gの技術はVRやAR世界の拡大を推し進め、さらに6GになるとMR世界がいよいよ現実的な展開を見せることになるようです。

そういう世界の姿のひとつを95年に描いて見せたのが、映画「マトリックス」ですね。

私もその変化を少しでも体感するために、遅まきながらVR用のゴーグルを買って使ってみたり、そのVR空間の中にヴァーチャルな自分の家を作るソフトを(無料で)手に入れていじってみたりしています。

ゴーグルを使ってVR世界に入るときに、よく問題になるのが「VR酔い」と言われるもので、頭(体)の動きと見えている映像の微妙なズレだったり、目のなれない使い方によってまだ「身体がついていかない」ことから生じることのようです。私も少しずつ慣れてはいるようですし、このあたりは技術の進歩や慣れによっていずれ改善される問題かと思いますが、やっぱり生身の身体とVR世界にはまだまだこれから調整が必要なたくさんの問題が起こっていくでしょう。

ということで、私も人並みに興味はありますが、若いころのようにはこの世界にのめりこむほどの欲望は起こっていません。このあたりは年齢と共に新しいものへの感覚が鈍くなってくるところでしょうし、次のステップへの広汎な移行にはやはり一世代くらいかかるのかもしれません。

とはいえ、すでに買い物についてもVR世界で行うようなヴァーチャルマーケットなどの試みが世界の大企業も参加して始まっていますし、やがてインターネットと同じように、好き嫌い関係なく使わざるを得なくなりそうです。

発達障がい児も大人になればそのような世界が当たり前となっている状況に生きていかなければなりませんので、それに対する備えを可能にする支援が必要になります。

何が必要でまた可能なのかについては、その子ひとりひとりの特性や知的な発達のレベルなどによって当然異なりますが、それこそ鉛筆や本に慣れていくことが今の子どもたちに求められているような感じで、ITC機器には慣れていく必要はあります。また今は大げさなゴーグルが必要ですが、すでに眼鏡サイズでVR/MRが利用できる機器も開発されてきており、その先にはコンタクトレンズ仕様の装置も模索されているようです。

当然それらの機器を使うことについて、体への影響も考えなければいけませんし、VR世界は無法地帯のような場所も作れます。SNSがいじめの手段になったように、VRで作られる独特の人間関係の中で生まれるさまざまなトラブルに対して備える力も必要になるでしょ。

子どもが個人の力で対応できる範囲は限られますから、たとえばそういうVR世界に入る段階では、大人が一緒に入って子どもをちゃんとサポートしながら少しずつ慣れていく必要もあるように思います。その点は今の「リアル」な世界での生き方を大人がサポートしてだんだん慣れていく仕組みが必要なのと似ていますね。

また、この「子どもと一緒に」ということを考えると、私のような「おっさん」は、子どもなどよりよほどこの新しい世界への適応力が劣っており、たとえばVRでゲームを体験してみても、なかなか勘が働かず、ものすごくどんくさくなってしまいます(笑)。そういう点では子どもの方がはるかに先を行っていると考えれそうですから、むしろこちらが教えてもらうことの方が多いかもしれません。

とはいえ、子どもはVR世界と言う、これまでになかった世界に入り込んでいき、そこで「他者」とコミュニケートしながら行動していくわけですから、そういうコミュニケーションの世界については、大人の方がさすがに経験をベースにした蓄積があります。

もちろんそのコミュニケーションの在り方もまた変わっていくので、自分の持っている経験だけでは太刀打ちできないこともいろいろ出てくるはずですが、しかし経験をベースに「ここは危ない」「ここは大丈夫」「こう対処すればうまくいくことが多い」など大人としての身に着いた感覚、知恵が子どもに対しても意味を持つはずです。その点では力を発揮できるのだろうと思います。

「今だけを見ていては支援ができない」理由の二番目は、一番目の話に結びつきますが、そもそもそういう新しいXR世界では、障がいの概念も支援の形もかなり変わっていくと考えられるということです。

VR空間で動き回るのは、仮想の自分「アバター」ですので、それこそ寝たきりの重度の身障者でも、ヴァーチャルな世界ではかなり自由に行動できる可能性が出てきて、もしそこで仕事ができるなら、経済活動や生産活動にも参加できる可能性が生まれるでしょう。またそこでのコミュニケーションが展開される中で、今までは一方的に「支援される側」だった方が、たとえば誰かの相談に乗ってあげたり、いろんなアイディアを出したりする形で、「支援する側」になることもあります。また同じ困難を抱えたもの同士が空間を超えて語り合うことで、支え合うこともできるようになるでしょう。

発達障がい者にしばしばみられる、「過敏」とか「鈍麻」と言われるような感覚的な特性も、ヴァーチャルな空間では工夫次第で調整しやすくなり、それ自体が困難だということもなくなっていきます。自閉系の方たちが苦手な定型的コミュニケーションの形も、こういう空間では絶対のものではなくなり、自閉系の方たちにあったコミュニケーション空間が作られていくという展開も起こります(すでに一部生じています)。

VR空間では主体も環境もリアルな空間での身体や物理的世界の制約がかなり外れるところがあるので、リアルな空間での「困難」はその空間では必ずしも困難ではなくなります。そうすると、その新しい世界での生活が中心になるような事態になれば、そもそも「困難を抱えて社会で生きづらい人=障がい者」という意味内容が全然変わってきてしまうのです。

支援する側とされる側の関係も、そこではだいぶん変わっていきそうです。

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