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はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

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2021.02.24

「期待の調整」が大事な理由:要求水準の話

心理学の古典的な概念で「要求水準」という言葉があります。

たとえば次のテストで実際には何点取れるだろうか、と考えたとき、Aさんは前の点数より10点高い成績を考えるかもしれません。またBさんは同じくらいの成績と考え、Cさんは前より10点低めに見積もるとします。

この点数の予想はもちろん前のテストで体調が良くなかったとかで成績がとても悪かった時にはAさんに近くなるでしょうし、でたらめに答えたのが全部あっていたとか、偶然良かっただけということならCさんに近くなるかもしれません。そんなふうにその時々で同じ人でも変化します。

けれども、少し長い目で見れば、Aさんタイプ、Bさんタイプ、Cさんタイプのどれになりやすいかは人によってだいたい傾向が決まっていると考えられます。それで

「自分がどの程度できると期待しているか」ということを「自分が自分にどの程度高い要求のレベルを持っているか」ということに関係していると考えて、それを「要求水準」と言うわけですね。

 

どのタイプにもいいところもあり、悪いところもあります。

たとえばAタイプ、つまり「高い要求水準を持つ人」の場合、向上心が強く、「理想の自分」に向かって努力しやすい、という風にも言えますから、とても前向きで頑張り屋さんになるかもしれません。けれども現実にはその要求に達しないことも多くなりますから、言い換えれば「失敗」を経験しやすくなり、そうなると心理的には傷つきやすく、めげてしまう可能性もあります。

Bタイプの場合、今の自分に足場を置いて、無理せず堅実に進むという風にも言え、安定的な生き方とも言えます。けれども現状に甘んじて向上心がない、というふうに否定的に見ることもできます。とくに環境が大きく変化するような状況の中では、新しい環境に対応できなくなる危険性もあります。

Cタイプの場合、つまり「低い要求水準を持つ人」は、自分についてとても控え目で、人を押しのけて生きようとするのではなく、ある意味で謙虚な生き方のできる人とも言えます。けれども同時にそれは「失敗することで傷つくことを避けようとする」という消極的な姿勢で、向上心が育たない、というふうに見ることもできます。

世の中、どれかのタイプだけでうまくいくわけでもなく、いろんなタイプの人がいて、人々の間でそれがうまくバランスが取れるときに全体としてのパフォーマンスも上がっていくわけですが、特にAやCのタイプの場合、それが強すぎると、その人自身の中でのバランスが取れなくなっていろいろな問題が起こることがあります。

つまり、要求水準が高すぎる(超Aタイプ)の場合、実際にはそこまでの成果を出し続けることは無理ですから、常に失敗が繰り返され、それが続きすぎると場合によってはうつ状態になる危険性もあります。また要求水準が低すぎる(超Cタイプ)の場合、失敗への不安が極度に強い状態になっていて、ある意味ですでにうつ的な状態から抜けられなくなって、希望を持ちにくくなっている場合も考えられます。

 

そういう例でも分かるように、この要求水準はその人の生き方を方向付けるとともに、精神的な健康にも深くかかわると考えることができます。ですから、精神的な健康を獲得したり、維持したりするには、「その人にとって適度な要求水準」を模索し、調整することが大事になる訳です。実際、人の心理の仕組みには気づかずにそういう調整をする仕組みがいろいろと備わっていて、たとえばセルフハンディキャッピング(※)なども誰でも経験することかと思います。

ということで、要求水準の調整がとても大事という事なのですが、ではこの要求水準を決めるのは何なのかが問題です。ひとつにはその人の生まれながらの性向にも関係しそうですが、療育支援の現場で大きな問題になるのは、むしろ「周りからの期待」の在り方です。

人間は基本的には「他者の期待」に応えようとする傾向を持っています。これは生後1年目(0歳代)から次々に発達していくのですが、簡単な例でいえば9ヶ月ごろになると、親が見た方向を赤ちゃんも見たりしますが(三項関係・共同注意)、はっきりと親から要求されているわけではないものの、それに「つられる」ような行動がみられるわけです。

また0歳代の終わり近くからボールを差し出して「どうぞ」というとそれを受け取ってくれるようになりますし、それから少しすれば子どもがボールを持っている時に「ちょうだい」といえば渡してくれるようになります。大人の要求(期待)に応える姿がはっきりしています。

赤ちゃんがちょちちょちあわわなど、何か芸をやったり、新しいことができたときに周りの大人が「じょうずじょうず!」などといって手を叩いてほめたりすると、赤ちゃんが喜ぶようになります。そしてやがては自分からそれをしながら大人に褒めてもらえることを期待して待ったりして、大人が気づかないと自分で手を叩いて大人に要求したり、あるいは自己満足したり、といったこともするようになります。

子どもにとって「大人から認めてもらう」ことは一般的にはとても大きな意味を持つ、発達の原動力の一つともなります(※※)。そしてこの「大人からの要求(期待)の内容やレベル」が、子どもにとって「自分に対する要求の内容やレベル」つまりは要求水準の基本的な要素となっていくわけです。

この、人間の成長発達にとってとても大事な仕組みが、その子の状態とうまくかみ合わない時に、問題が起こります。つまり親の期待が大きすぎたり、あるいはなさすぎたりといった場合です。無理な期待が積み重ねられる、言い換えればその子の現在にとっては高すぎる要求水準が与えられることで、その子はつらくなり、怒りをためていったり、やる気をなくしたりしていきます。

これまでも二次障がいの問題を書く際に繰り返し説明してきた話ではあるのですが、事例研修などを行っていると、あらためて要求水準の話しからまた説明する必要を感じるくらい、この点の理解が乏しいために起こる親子関係や療育支援上の問題が多いのですね。正確な比率はなんともいえませんが、体感的には相談されるケースの半分くらいはこの問題をクリアできていないために子育てや支援がうまくいっていなかったり、二次障がいに至ったりと感じられます。

 

ここがとても大きな問題だと思うのですが、この問題は実は発達障がいがあろうがなかろうが、誰にとっても問題になることです。発達障がいの特性が強い場合は「調整」がむつかしくなりやすく、問題が大きくなりやすい、ということはあっても、私が見る範囲では今のところ基本の仕組みは同じと思えるのです。その意味で解決法はほんとにシンプルで「その子の状態にあった、その子にとってあまり無理のない、適度な要求水準に期待を調整する」だけのことです。

基本的にはそんな簡単なことなのですが、でもそれが現実には難しくなってしまう例が多いのは、「その子自身の状態」から出発して考えず、「社会の要求」から考えてしまうからですね。社会の要求を無視できないことは明らかですが、それに対応するのは「その子」自身なのですから、まずは「その子」が何が可能なのか、を考えて、その子にあった「社会の要求」との折り合いのつけ方を探らないといけないわけです。

発達障がい児への支援はその折り合いのつけ方を一緒に探ることに他ならないと思いますし、そのことが徹底してくれば、少なくとも困難の半分くらいは解消されるか、かなり劇的に軽減していくだろうと思います。ある意味では発達障がいの支援者の専門性というのは、目先の困難に惑わされずに、そういう基本的な視点を見失わず、かつその子に合った形で一緒に次のステップを探せる力なのかもしれません。

 

※ テストの前日に、いつもならやらない掃除をしたくなったり、本を読みたくなったり、「試験勉強すればいい」ことは頭でわかっているはずなのに、わざわざそれに自分から(セルフ)不利なことをやってしまう(ハンディキャッピング)というような現象です。ちょっと考えると理屈に合わない行動ですが、実は「失敗を経験して自尊心が傷つく(自己評価が下がる)」ことを回避しようとする行動とすると、とても合理的で賢いやり方とも言えるのです。

なぜなら、たとえば「勉強しなかった」のに「成績が良かった」とすれば、「勉強もせずにできた自分は素晴らしい」と自己評価が高まります。逆に「勉強しなかった」から「成績が悪かった」とすれば、「勉強しなかったから仕方ないか」とあきらめられ、「勉強さえすればできただろう」と自己評価を下げずに済むからです。

※※ 強い自閉傾向を持つ子どもの場合、この部分がうまく働きにくい、ということがあると考えられます。つまり「自分で何かをする⇒人に褒めてもらう⇒やる気が強まる」というパターンが作られにくいか弱く、「自分で何かをする⇒自分でできたことを喜ぶ」という、他者が入らない形でのパターンに落ち着きやすいわけです。ただしそのことは「人に認めてもらうことが意味がない」ということでは決してないということは重要なポイントと思えます。特に言語も獲得して一定程度以上のコミュニケーションを行う自閉傾向の方にとっては、「周囲から自分を理解してもらう」ことの重要性はかなりはっきりしていると思います。それなのにうまく認めてもらえないことで苦しむアスペルガー系の方は決して少なくありません。

 

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