はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

2021.06.29

クレーン現象の意味:コミュニケーションの自閉的発達の観点から

クレーン現象というのは、自閉的な子どもでしばしばみられる独特の振る舞い方として有名なものの一つです。たとえばうまく開けられない箱があった時、大人の手をつかんでその箱にポンと置く、といった形で箱が開くのを期待したりするといった振る舞い方になります。

 

これをされた側は、なんだか自分が箱を開ける機械・道具のように扱われたような奇妙な感覚に襲われたりします。それで自閉症児について書かれたある本ではそのことの意味をこんな風に表現されたりしています。「クレーン現象という名で知られる、他の人の手を使って物をとろうとする行為も、相手を人間とは感じていない現れである。」

たしかに、それをされた側からすると「相手(自分)を人間とは感じていない」と思えたりはします。ただそのことと、「その子が相手を人間とは感じていない」ということは別のことですよね。

 

一方で、カナータイプの自閉症児は最初、目が合いにくい、あっても見つめ合う感じになりにくい、呼びかけかけに反応しない、誘い掛けに載ってこない、何かのことをやっているとき働きかけても無視される………など、コミュニケーションが全然成立せず、それこそ「自閉」的な世界にひとりだけ生きていて、こちらを認めてくれない、といった印象を持たれる振る舞い方をよくします。私も学生時代に最初に自閉症児に接したころはまるで自分がそこにいないように扱われたように感じてかなりショックでした。

ところが他方で、このブログでも「R君の積み木」シリーズで見てきたように、そういう姿の中から、だんだんと自閉的な子も周囲の人たちを明らかに気にし始めたり、お母さんの後追いを始めたり、他の人のやっていることを真似しだしたり、あるいは周囲の人に働きかけ始めたりします。そうやってやがて「言葉」も使うようになります。

そして「クレーン現象」も、そういうコミュニケーションの自閉症児なりの発達の中で初めて生まれてくることなんですね。それはこんなことを考えてみてもわかります。

クレーン現象という振る舞い方をする子が「相手を人間とは感じていない」、つまり機械とか物のように感じているのだとしましょう。そうするとその子は人間だけではなく、物に対してもそのようにふるまうことにならないでしょうか?人間の手をクレーンとして扱うのではなく、それこそクレーンのおもちゃをそのままクレーンとして扱って目的を達成しようとする、みたいに。

それはちょっと考えにくいことです。つまりそういう意味でその子は単なる物としてのクレーンと、人とを区別しているわけです。

じゃあ定型発達の子と何が違うのかというと、定型の場合、そうやって自分ができないことを人にやってもらおうとするときには、「相手の目を見て」「声や言葉を出す」といった振る舞い方をよくします。つまり相手への働きかけ方の構造が異なるのです。ちょっと図式化して説明してみましょう。

自閉性を感じさせないパターンでの要求の仕方は図の下の方になります。つまり、相手の目を見たり、声で呼びかけたり、手を触れて注意を引いたり、といった形で相手の身体に働きかけながら、その人の「意図」に訴えかけているという構図です。そして相手の人は子どものその要求の意図を受け止めて手助けをしてあげる。

これに対して自閉性を感じさせるパターンでは、この「意図」に働きかけているという感じが薄くなります。たんに体を操作されているような印象になり、大人の側は戸惑いながらそのことを通して子どもの「要求意図」を解釈して手助けをすることになります。

この両者の違いが「相手に物のように扱われた(人として見てくれていないように感じた)」という感覚を生む原因になっていると考えられるわけです。わかり易く図で示すと以下のようになるでしょう。

通常の定型的な人間関係の中では、相手に何かをしてほしいときはことばを使ったりしながら相手の「意図」に働きかけて、相手が自分の意志で動いてくれるようにしようとします。ところが物を動かそうとするときは当然そうはしないわけです。直接物理的に力でそれを動かそうとします。

自閉的な子が自分を人として見てくれていないかのように感じるのは、この「自分の意図への働きかけ」を感じられにくく直接体を物のように動かされたと感じるからでしょう。だから「クレーン現象という名で知られる、他の人の手を使って物をとろうとする行為も、相手を人間とは感じていない現れである。」という説明の仕方も出てきたりするわけです。

でももし単純にそういうことだとすると、なぜ自閉の子もやがて(独特な言葉遣いだったりはしますが)言葉で人とコミュニケーションできるようになるのかが理解できなくなりますし、上にも書いたように、自閉的なコミュニケーションの発達の途中でクレーン現象が出てくることも説明できません。

つまり、自閉症児も「物を動かすとき」の図のように、単純に物体として大人に働きかけているのではなく、「要求を理解して対応してくれる人」として働きかけていると考えるよりないのです。ただその「働きかけ方」に独特の傾向があり、その結果「あたかも物扱いされたような」印象が強まるだけなのだということになります。

 

こういう定型発達者と自閉系の人の伝え方、感覚のずれはカナータイプにとどまらず、知的にはどんどん発達していくアスペルガータイプの子であっても残り続け、その結果コミュニケーションに困難が生まれると考えられます。そのことを考えても、自閉症児は「物」として人に接しているのではなく、自閉的な特徴を持ったコミュニケーションのパターンを徐々に発達させていくのだと考えた方がいいと言えるのです。

第二回逆SSTで多くの参加者に共有された理解もそこにつながってきます。「自閉系の人は人の目(評価)を(あまりor全く)気にしない(なぜなら他者の視点を取るのが苦手だから)」というような理解の仕方が広くあるように思うのですが、逆SSTで当事者から示された課題(定型がなかなか理解してくれない当事者の振る舞い方)は、その正反対のことが起こっているのです。つまり「ものすごく他者の評価を気にしている」にもかかわらず、あるいはそれだからこそその振る舞い方が生まれてくるのだということなわけですね。

問題は「他者の評価を気にしているかどうか」ではなく、「どのように気にしているのか」という点でずれが起こっているのだということです。それで当事者の振る舞いの意味が定型には理解しにくいということが起こっています。

 

逆SSTを通しても、こういう自閉系の人の振る舞いの意味についての「定型が持つ誤解」が徐々に目に見える形で明らかになってきています。当事者の視点の理解を踏まえた共生関係の模索にとって、これは欠かすことのできない作業だという確信がますます強まりつつあります。

 

 

 

 

 

 

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