はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

2021.07.08

自死を考えるほど人の気持ちを考える自閉症児

第一回、第二回の逆SSTで大内さんが提供してくれた課題などからもかなりはっきり見えてきたこととして、自閉系の人の少なくとも一部分は、ものすごく人の評価を気にしたり、人の気持ちを考えようとして、逆に定型との間にディスコミュニケーション状態が生まれてしまうんだということがありました。

 

一生懸命気にしているけれども、その定型的な意味がくみ取りにくく、また意味を誤解してやりとりが混乱することになります。ただそれは「人の気持ちを考えない」ことではないわけですよね。

逆に言えば、そういうところでいろいろ悩みながらやりとりをする自閉系の人の語ることを、定型もまた理解できないわけです。相手のことがわからないという点では全くお互い様です。

言葉の意味を表面的にしかとらえられない、という言われ方もよく自閉系の人たちの特徴として語られることですし、たしかに定型的には当たり前の「裏の意味」を読むのが苦手だというのはその通りです。でも定型も自閉系の人のことばを表面的にしかとらえられず、その背後に何かを必死で訴えようとしていたり、定型が考えているのとは全く違う意味でその言葉を使っていることにはなかなか気づけません。たとえ説明してもらえたとしても、往々にしてその説明がわからなかったりします。つまり定型だって本当は自閉系の人の言葉の「裏の意味」を読む能力がなくて、表面的にしか捉えていないんです。

 

実際ある事例では、思春期に入った自閉の子が自殺を考えるほどの状態になっていました。そしてその子はまさに「周りの表情や感情の動きに敏感で、相手の感情を考えるあまり、想いをうまく言葉でつかえるのができない」子だと言います。

これってつらいですよね。もし自分がその子の立場に立たされていたとして、周りの人の感情に敏感に気持ちは反応してしまうんだけど、その意味が分からず、どう応答していいかわからない状態に置かれ続ける。そして逆にその「応答の不適切さ」を責められ続ける。でも責められても何を責められているのか、その定型的な意味が全く分からない。自分なりに一生懸命周りを理解しようと努力し、気遣っているつもりなのに、それも認めてもらえず、「人の気持ちを考えろ」と言われ続ける………。

 

海外の私の親しい友人が、日本に留学に来ていた時のことです。その女性は大変に人のことを気遣い、相手を傷つけないように配慮しながら、しかも相手のためになろうと努力するまじめな人です。自国では周囲の人たちに対する配慮もすごくて、仮に厳しい環境があってもしっかりと対処して活躍しています。

その彼女が、日本ではほんとうに緊張し、怖かったことがあったというんです。というのは、海外の文化を肌身で体験されて方なら身にしみて感じられるかと思いますが、日本人の人間関係では、自分の気持ちや意見をはっきり言わない傾向が大変に強いのですね。常に相手の反応を気にしながら自分のことばや立場を調整していく。

でも決してなんでもありなのではなくて、ことばにしないところで「ここはこうすべきだよね」というようななんとなくの共通認識があったりします。だからそれに違反した人に対してはだんだんと冷淡になっていったりもします。そのうちにKYと言ってかなり厳しく非難されたり、無視されたりするようになったりもします。(発達障がいの子がいじめられるときのパターンにもありますね)

その女性はどうやらそういう「言葉にされない何かの基準」があるらしい、というところまでは敏感に気づくようになるんです。そして相手が何かを言いたそうだなということも気づく。ところがそれが何なのかがさっぱりわからないし、だれも教えてくれない。

日本的な人間関係ではそういうことはことばにして伝えること自体があまりよくないことと思われたりもするからでしょう。言葉にして言う時はもう最終段階で「あなたはこういうことすらわからないんだよね」と非難して切り捨てる状態になっていることもあります。

 

さて、その女性は自閉的な傾向は全くない方です。その彼女が日本で周囲の人の思いが理解できずに緊張したのは、単に文化が違うからです。人間関係でどういうことを大事にし、どういうことをしてはいけないのか、どういう風に相手に自分の気持ちを伝え、調整したらいいのか、その仕組みが全然違って、理解が本当にむつかしくなるんですね。

同じことをこの自死まで考えた自閉症の子は感じていたのだと考えることができそうです。その子にとってある意味で定型的な社会は全く異なる文化を持った社会だということになります。だから「異文化摩擦」で苦しみ、カルチャーショックで体調を崩し、精神的な危機を迎えることにもなる。

もちろん定型発達者が海外に行ってそこの文化がわからずに苦しむのと、自閉症の人が自分が生まれたところで周囲の人のやり方が理解しにくいのでは原因が異なります。自閉症の人の場合は「生まれながらの特性」が原因だからで、定型が海外で苦しむのは「生まれた後の環境で作られて身についたもの(文化)」が原因だからです。けれども「気になるのに理解できない」という点では同じで、そこが苦しみの原因になることも同じだということになります。

 

「理解できない」のではなく、「理解の仕方がずれるんだ」ということ、そしてそれは実はお互い様のことなんだということ、そういう視点で問題を改めて考えなおしてみることの重要性を、この事例からも改めて感じたことでした。

 

ということで、お互いに理解し合う仕組みづくりのためにも逆SSTについてはさらに研究を進めていきたいと思っています。8月の日本教育心理学会でも以下のシンポジウムを開催する予定です。

教育心理学会第63回総会シンポジウム
  「逆SST の可能性:新しい支援のための対話的当事者理解の試み」

  企  画 渡辺忠温(発達支援研究所主席研究員)
  話題提供 渡辺忠温(発達支援研究所主席研究員) 「逆SSTの意味について」
       大内雅登(発達支援研究所研究員)「模擬逆SSTの実施」
  指定討論 川田学(北大大学院准教授・子ども発達臨床研究センター)
       赤木和重(神戸大大学院准教授)
       引地達也(みんなの大学校学⾧)
       山本登志哉(発達支援研究所所長)

 

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