はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

2021.07.31

響き合う心身と響き合いにくい心身(3)

前回は「他者感情理解」というのが、響き合う心身の仕組みを生まれながらに持った人同士が、一方の人の感情表出を刺激として同じような感情状態になり、その状態をベースにその感情が引き起こされた原因として相手を理解することでそれを「相手の感情」として気づくようになるのでしょう、という話をピアノの共鳴のたとえを使いながらしてみました。

ということは、この生まれながらの響き合いの仕組みにずれがある場合、相手の感情をうまく理解できなくなるとも言えます。そして自閉系と定型系でお互いのことを共感的に理解するのがむつかしいことが起こりやすいのは、まさにそういう「生まれながらの響き合いの仕組み」にずれがあるからだろう、というふうに考えるところで前回は終わりました。

 

さて、そのように考えてみると、定型から見たときの自閉系の人の感じ方や考え方がとても不思議に思えるといった例がかなり説明可能になるように思うのです。今回はその話をしたいと思います。

定型同士の間、そして自閉傾向は伴わないADHDの人との間では、この響き合う心身の仕組みはかなり共通しているために、相手の人の表情や体の動きがダイレクトに自分に影響してきて、特に頭で考えなくても相手の人の感情状態が直接伝わってくる形で理解しやすくなります。そしてそのような関係をベースにしながら、そこにお互いの立場や視点の違いも組み込みながら、上手にやりとりを進行させるようになります。

そういう形で他者理解と自己理解が進んでいくため、定型の場合は「相手の感じていること、相手が見ていること」について常に注目しながら自分と相手の関係を理解していくことになりますし、またそこで作られる理解の仕方も同じ定型同士は似たようなものになるでしょうし、そうなればお互いのやり取りも比較的スムーズに進みやすくなるはずです。

ところが自閉系の場合、自分と周囲の大多数を占める定型の間に、響き合う心身の関係が成り立ちにくいということが起こり、そうすると「相手の感じていること、相手が見ていること」を理解しながらお互いの関係を調整することがむつかしくなります。そうすると自閉系の人では「相手が感じていること」をうまくつかみながらやり取りするのがむつかしくなりますので、「私が感じていること」に焦点を当てながら状況を理解し、その意味で「私の視点」に強く注目しながらやりとりする方法を積み上げていくことになるでしょう。

逆に定型の場合は響き合う心身の関係を持ちやすい分、まずは自他の一体化が成立する状況が基本となって自他理解が進むことになります(※)。そしてそのやり取りが発達する中で、だんだんと「相手は自分とは違う視点を持っている」と気づくようになり、言い換えると「自他分化」「自他分離」が進んでいってそれをベースにいろいろな役割行動がとれるようになったり、複雑なやりとりが可能になっていきます。

つまり、定型系の場合は「自他は一体化して同じ感覚を共有できる」という感じ方をベースにしながら、そこに自他の違いについての理解が組み込まれて自他関係が発達するのに対し、自閉系ではまず「自他が一体化して同じ感覚を共有できる」状態が定型系に比べるとかなり少なくなり、常に「一体化できない」感覚を強く持ちながら、相手との関係を調整する努力を重ねることになります。そこで定型系と自閉系の間には基本的な感覚にかなり早い段階からずれが生まれ始めるのだと考えられるわけです。

そういう違いの結果、定型系は自分の振る舞いを他者の視点から考え、それに合わせて調整することがスムーズに進みやすくなるのに対して、自閉系ではそこがむつかしいので、常に他者とは切り離された自分自身に視点を置いて考える癖がついていくのでしょう。「他人のことは理解できるわけがない」「自分のことは人には理解されない」「すべては自分自身が基準だ」「自分の問題は自分で解決するよりない」といったある種の個人主義的信念を自閉系の方に、ちょっとびっくりするくらいに強烈に感じることがときどきありますが、そういう信念が形成される理由もそれで説明できます。そして実際自閉系の人が定型系の人々の中で生きていくときには、そういう見方がその人にとっては最もリアリティがあると考えられ、その意味でそういう強い人生観や信念は自閉系の方にとってはとても合理的なものとなっているようにも思えます。

そうだとすると、(1)でも書いたように、自閉系の人の場合は他者感情は頭で一生懸命想像する、という形の理解になっていくでしょう。ここで例に挙げたお互いのディスコミュニケーションの性質も、そこから理解可能になります。

つまり、定型は常に自分の表情などの感情表現が、相手にどのような影響を与えるのかを気にして、そこで誤解を生んでしまわないように、あるいは自分にとって不利にならないように表現を調整したりします。もちろんうまくいかないこともありますが、基本的なところでは相手と響き合う心身を持っているために、そんなに大きく外れることもそれほど多くはありません。

ですから定型は相手の感情表現もそういうものとして理解し、相手が否定的な感情を見せているときには、「自分に対してあえてそうしている、意識的な非難」と理解しやすくなります。

これに対して定型とは響き合う心身が作られにくい部分を持つ自閉系の人は、相手の感情表現はぴんと来ないことが多いため、そこにあまり重点を置いて関係を調整することがむつかしくなり、それよりも自分自身の感じ方に注意を向けて考えるようになるだろうと考えられます。そういう状況で、自分の表情が相手にどう受け止められるかについてはあまり注意が向かずに、ただ自分自身の感情状態がストレートに隠されることなく表情に現れやすくなるでしょう。そのため、相手から「なんでそんな表情でこちらを見るのか」と言われたりすると、何のことかその意味がわからずに混乱するということも起こりやすくなります。

 

以上で今回のディスコミュニケーションについての説明は一応終わりです。この理解の仕方でどこまで定型系と自閉系の間のコミュニケーションの難しさをうまく説明できるかはなんともわかりません。これでは説明がつかないこともいろいろ出てくるかもしれません。ただ、少なくともこう考えてみることで、私が長いこと大きななぞとして抱えてきた問題の一つについて、動物進化の方向性や人間発達の方向性ともリンクする形で、ある程度わかり易くなったように感じているのは事実ですので、さらにこの線でもいろいろ考えていけたらと思っています。

 

※ 発達の一般的な方向として、「未分化から分化へ」「分化から統合へ」ということがしばしばいわれます。身体発達でも、全身がうねうねと未分化に動くような状態から、やがて左右対称に同じような動きができるようになり、さらに右手と左手の役割が分化してそれを組み合わせた動きができるようになる、などといった形で複雑なことができるようになっていきます。同じことは自他の関係にも言えて、前回紹介した「共泣き」のように、最初のころはほとんど無意識的に相手に巻き込まれて心身が変化するような状態があって、そのうちに「あの人と自分は違う」という自他分離の意識が明確になってくる、という経緯をたどることがよく見られます。

この未分化から分化へという流れは大人でも全くそのまま続いています。たとえば定型発達者は自分たちの物の感じ方や考え方が誰にとっても当たり前のことだと思っていて、相手の行動も自分の感覚で理解します。ところが自閉系の方たちではそれが大きくずれることがあるのですが、なかなかそこが理解できないのですね。それでその特性に基づく言動を理解不能な「異常な振る舞い」と感じてしまいがちです。そして今回問題にした「相手の表情を見て」ズレた意味を感じてしまうという話も、結局表情という表出の仕方がどういう意味を持つのかということを定型の理解で判断してしまうために、ディスコミュニケーションが生まれるのだということになります。もちろん自閉系の人もそこでずれがあることには気が付けなかったりするので、お互いに「自己中心的」に「自他未分化」のレベルでやり取りをしているのだということになります。

お互いに違いがあるのはまあ間違いないことなのですが、それを自分の判断基準だけから「異常」という目で見てしまうと、相手が相手の人にとっては合理的な理屈でそのような振る舞いをしているという、その人の主体的な生き方が見えなくなってしまうことが問題です。その人の主体性を無視すると、あとはその「異常」を自分の基準に合わせるように「矯正」することを「強制」するしかなくなります。それでは真の「共生」とはいいがたいでしょう(洒落のようですが、矯正・強制・共生の三つが同じ音なのは面白いですね)

ですからお互いの違いを前提にした、お互いの関係調整による共生関係を作り上げていくには、まずはこういう自他未分化を自他分化の方向に持っていくことが必要不可欠でしょう。そしてそれができたら、今度はその分化した両者のやりとりを、うまく組み合わせて統合していくことが課題となります。その意味で、お互いにさらに発達し、もう少し大人になる必要がありますね。実際自他未分化からくるこの自己中心性を超えるのは誰にとってもほんとに大変だと私はしみじみ思うのですけど、それだけやりがいのある作業で、うまくいけば大事な成果もありそうに思っています。

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