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はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

    ブログ総目次(リンク)はこちらからご覧いただけます。

2023.04.19

競争と共生の間にある障がい者支援

このブログも書き続けて気づくと255回になったようです。自分の関心から好き勝手なことを書き続けてきましたが,おかげさまでそれなりに注目してくださる方から時々ご連絡をいただいたり,またそれがきっかけでコラボが生まれたりすることもあります。以下,ちょっと誇大妄想的に今支援を考えることの意味に思いをはせてみたいと思います。ポイントは人が生きるときの二つの要素,競争と共生の緊張関係の中の支援ということです。

このところ様々な方とのコラボも順調に進展してきていますが,最近多様な皆さんとの協力で発達障がい関連で私が手掛けたり手掛けつつあることなどの一部をご紹介してもこんな感じです。

① 論文
「説明・解釈から調整・共生へ:対話的相互理解実践に向けた自閉症をめぐる現象学・当事者視点の理論的研究」(質的心理学研 究,No.22,62-82頁)
「異質なもの同士の対話的関係調整を目指す授業実践の効果一異文化・障がい・冤罪を素材として一」(駒澤社会学研究,No.60,57-90頁)
② 出版

「自閉症を語りなおす:当事者・支援者・研究者の対話」(新曜社。まもなく刊行予定)
大内雅登さんと渡辺忠温さん,私の編著で,さらに綾屋紗月さん(当事者研究),高木光太郎さん(認知科学・法心理学),高田明さん(人類学・相互行為論),浜田寿美男さん(発達心理学・法心理学),やまだようこさん(生涯発達心理学・もの語り心理学・文化心理学)にも著者としてご参加いただいています。
③ 逆SST
第8回は7月16日午前に予定しています。
④ 学会シンポジウム
夏の日本教育心理学会で「改めて自閉症を語り合う:特性と個性の間」を企画準備中です。
「自閉症を語りなおす(②)」の執筆者に加え,当事者研究の熊谷晋一郎さんにもコメンテーターとして参加していただくことになっています。
⑤ 研究会(zoomによる)
現在,MC研(文化理解の方法論研究会)で,夏以降に次のような研究発表を企画中です。
定型発達の支援者と自閉当事者の支援者がそれぞれ同じ自閉症の中学生を支援し,お互いのコミュニケーションがどんな特徴を持つか,動画に撮影して会話分析の手法を利用しつつ分析。
⑥ 当事者視点からの就労支援に必要な視点を説明した動画作成

いろいろやっているように見えるかもしれませんが,基本はシンプルで,ある意味でどれも同じことをやっているとも言えます。つまり,「障がいの困難」ってその人の中だけの問題じゃなくって,周囲の人たちとの間でお互いが理解できなかったり相手に合わせられないことで生まれるものだよね,ということ。だから「障がいの困難」を乗り越えようとしたら,「お互いに相手を理解する努力をしながら(だから当事者視点への注目が大事),お互いの長所と短所を補い合って関係を調整して生きる」工夫をしていくことが必要で,つまりはそれが本当の意味での共生を目指す支援なんだよね,といった話です。

そのことの意味を理論的に整理して基礎づけてみたり(①のひとつめ),その視点から行った大学の授業を分析してみたり(①のふたつめ),その問題をいろんな領域の研究者の方たちを含めて論じ合ってみたり(③④),支援場面についてその視点から分析を試みたり(⑤),就労支援もその視点から大事なポイントをまとめてみたり,といったことをやっているので,ぜんぶが有機的につながっています。

というか,もっと簡単に言えば,どれもすべて「お互いに違いを持ったもの同士,助け合い,補い合って生きていく道を探ろう」というシンプルなことで,それをいろんな角度から模索しているだけとも言えます。発達や文化の実証的・理論的・実践的研究から導き出してきたEMS(拡張された媒介構造)概念も,そういう人と人の関係を分析するための基本的な視点を整理したものですし,ディスコミュニケーション論はそのような関係調整が困難になる理由を分析し,理解するための議論です。

 

話を少し大きくします。

今は世界が大きな激動期に入っていることは誰の目にも明らかだと思いますが,東アジアを考えると,ある面では7世紀に似た面も持っていると感じています。その時期,長く分裂していた中国に,随や唐といった統一政権が成立し,この東アジア地域が激動の時期に入ります。

朝鮮半島(韓半島)では高句麗・百済・新羅といった三国の関係がくずれ,新羅によって統一されることになり,倭には高句麗百済から亡命してきた人たちが改めて倭の社会にいろいろな影響を与えます。

百済復興のために倭が出兵して白村江で唐・新羅連合軍に大敗し,逆襲されることへの大変な危機感でそれまでの有力首長の連合的な性格を残していた大和王権の中央集権化が急速に進み(大化の改新など),このころから「日本(東北以北や沖縄はまだ領域に入らない)」という新しい概念が生まれ,それを対外的に名乗るようになります。

今も中国が改めて巨大な「世界的大国」としてその存在感を増してきたことにより(私が発達心理学の研究で滞在していた「貧しい社会」の90年代にはまだまだおよそ想像しがたいことでしたが)その衝撃は東アジアはもちろん,地球全体に及んでいます。ある意味,7世紀の日本社会が経験した激動がさらに規模を大きくし,また恐ろしいほどにスピードを加えて展開しているという感じがします。

 

この変化は決して偶然ではなく,ヨーロッパで始まった「近代」のシステムが音を立てて崩れ,大昔からそういう西欧近代の理念とは全く異なる理念を文化歴史的に作って生きてきた世界(中国・イスラーム圏・インド・アフリカ諸国など)が力を持つことで,新しい世界秩序の形成に向けて激しく動揺する中で必然的に生じていることです。それは「当然」のこととして,その社会の中に生きて,その社会を作っている個人の生き方を揺り動かし,今までの常識が全く通用しない出来事の連続に直面しています。そういう時期には,改めて人間関係で決して欠かせない要素としての競争と協力(対立と共生)の問題がとてもシビアな形で現れてきます。

ですから私たち一人一人の「障がい」という問題の理解や,それに対する「支援」という向き合い方の意味も,当然のことながら今までの形だけではもはや安定せず,劇的に変化していくことになります。そういう激動期には問答無用の競争,「弱肉強食」の傾向が一方では必ず強まっていきます。しかしやはり人間がここまで進化してきたのは援助し合い協力し合う仕組みを育ててきたことがもう一つの決定的な要因です。

 

「弱者」として考えられる「障がい者」の問題は,この競争の激化という状況に直面しながら,協力や共生の問題に正面から向き合うという,ある意味でとても困難で,だからこそ大きな視点を持って創造性を発揮することを求められる問題です。「障がい者支援」は,ある意味でそういう世界史的な課題の中で「助け合い」を考え,そこに新たな意味を模索していかなければならない時代に入っているのだと改めて感じます。

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