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はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

    ブログ総目次(リンク)はこちらからご覧いただけます。

2023.05.24

文化と発達障がい

私が研修を担当しているこどもサポート教室には,日系の子どもたちを中心に預かっている事業所も多くあります。そしてそこにいる日系スタッフのみなさんに対しても研修を続けています。

日系と言ってもさまざまで,南米に移住した日本人の二世,三世として南米で生まれてこちらに来られた方もあれば,全く日本には関係なく昔から南米で生まれ育ちながら,二世,三世の方たちの夫や妻として日本に来られた方もあります。

日系と言っても二世三世になると,かなり南米文化を身に着けていて,特に三世くらいになるとほぼ南米の人になりますし,その夫や妻として来られる方ももちろんそうです。

海外で生活したり仕事をしたりされた経験のある方は身に染みてお分かりかと思いますが,違う文化の中で生きるのは本当に大変です。お買い物の仕方から挨拶の仕方,ご飯の食べ方や人の誘い方,お礼の仕方,トラブルになったときの対処法など,あらゆることで自分の常識が通じません。

私も中国に文科省の在外研究で10ヶ月暮らしたことがありますが,とにかく「常識」の余りの違いに緊張の連続で最初の3カ月は体も参って病気ばかりしていました。

日本の支援級に行く子どもの割合は日本人の子どもに比べて外国籍のこどもは倍以上だという調査結果も出ています。それも日本という異文化になじめずに子ども自身が苦労したり(ストレスによって「特性」が強く出ることがあります),先生が違う文化(違う常識)への経験に乏しく,その理解がむつかしくて,どう対応していいか分からずに支援級にすがった結果であると推定されます。

日系という,異なる文化をもって日本に来た子どもたちは,そのストレスに加え,さらに発達障がいの特性からくる困難のストレスが重なり,本当に大変な状態に置かれることになります。しかも日系で日本に来られている家族はだいたい出稼ぎで,両親は共働きで遅くまで家に帰ってこられないので,かぎっ子状態になることが多く,困難があっても親から支えてもらいにくくなることもあります。

 

そんな二重三重の困難の中で子どもサポート教室に通っている男の子の事例を検討したときの話です。もちろん私はポルトガル語はぜんぜんできませんので,スタッフで日本語もできる方に通訳をお願いしての研修です。

その子の様子を資料やビデオなどで見させていただいて,本当に辛そうだなと感じられたので,どうしてこの子はつらい思いをするのかをまず考えてみることが大事だと思えました。

そのために,事前に通訳の方とこんな話をしたのです。

その方もまた日本人の夫と一緒に日本に来られた方で,お顔も欧米系の顔立ちで,日本語は大人になってから頑張って学ばれ,あかるく前向きに仕事にも頑張られている方です。もしかすると表面的に見ればそんなに苦労されていない方に見えるかもしれません。異文化に暮らす体験などを通して文化の違いがどれほど根深いものかを実感として経験されていない方であればますますそうでしょう。

その,楽しそうにいろいろ話をする彼女と異文化で暮らすことについての話になりました。すると途端にそれがどんなに大変なことなのか,という思い出話になります。どんなところで苦労して,どんなふうに感じるのか,中国での私の体験を話してもすごく共感されます。

彼女はそうやって日本に来て,右も左も分からない状態の中で感じたことをこんな風に教えてくれました。「まるで自分が障がい者や子どもになったように思えた」

そういう思いを私も中国で体験しています。とにかく周りの様子が分からない。周囲の人とどうやって付き合ったらいいのかもよくわからない。言葉もうまく使えないし,挨拶をしたり表面的な付き合いはできるけど,どうやって信頼関係を育てていけるのかも難しい。そんななかでストレスがたまり,苛立ちや怒りが募ったり,逆に無力感に陥ったり。そうやって時に感情が爆発し,まるで子どものようになるのです。その時私はしみじみ「異文化に暮らすということはその社会の中で障がい者になることだ」と思いました。

 

そんな体験を彼女と共有しながら,「発達障がい児もおなじように苦労しているんだよね」という話をしました。彼女はすぐにそれを理解したようでした。発達障がいの子は定型と違う特性を持っているために,周囲から「普通に」要求されることがうまく身につかなかったり,そもそも理解が出来なかったりします。そういう「わけの分からない世界」の中で,不安やストレスをたくさん積み重ねて生きることになります。その結果,ひきこもり,自傷,他害と言った二次障がいになっていく子もとても多い。

そんなふうに説明すると,ふだんは理解が難しいと感じている発達障がい児が,自分の苦労に引き寄せる形でとても身近に理解されることになります。苦労する内容には違いがあっても,苦労の仕方はほんとに多くのところで同じなのです。つまり「自分には理解が難しい,異なる普通,異なる文化に苦労する」ということです。

そんな話をしてから,研修の本番ではその子の様子をビデオで見て,やりとりを彼女が日本語に通訳してくれ,私がそれについてひとつひとつ,その子がどんなところで苦労していて,どういうかかわりが大事になり,またどんなところにその子の可能性が見えているのかを私に理解できる範囲で説明していきました。

その私の話を通訳しながら,彼女は声を詰まらせてしまいました。その子の苦しい状態が,自分が経験してきているつらさに重なって見えてきたのでしょう。終了後はこんな感想も送ってくれました。「………今日の事例検討会のためにいろいろどうもありがとうございました。本当に素晴らしかったです。今日までいつも事例検討会の翻訳をしていて、翻訳以上に集中できなかったのですが、今日は集中して内容をよく理解し、少し参加することができ、私にとってはすばらしいことでした。………」

 

私たちは障がい児の困難を,その子の中だけの問題として捉えるのではなく,周囲との文化(理解の仕方や価値観,生き方)のズレが生み出す困難として見る視点を大事にしています。簡単に言えば「文化差としての障がい」といった見方です。

その視点から見ると,今回の子のつらさもよく理解できる感じがしましたし,また実際に異文化体験で苦労されている通訳の方にも,ご自分の経験とつながって見えてくる大事なものがあったのだろうと思います。

 

 

 

 

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