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はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

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2023.07.17

逆SSTから見えてくる会話分析の課題

昨日第8回逆SSTが開かれ,申し込みは200を超え,実際の参加者も140人ほどになり,関心の拡がりを感じさせられました。

また今回は回答者のみなさんがチームとなって話し合いながら問題に取り組む,という新しいスタイルが試されたのですが,これも回答者がどんなところで悩むのか,どういう発想で問題を解こうとするのかがリアルに見えてきてよかったです。

11時半の終了時間後は,希望者が残って続きの議論をやったのですが,いつまでたっても議論が尽きず,13時になっても終わりそうにないので,司会の渡辺さんがすいませんが今日はここまで,と打ち切らなければならないくらいでした。

その終了後の議論の中で,「自閉理解」について,研究的な視点から見ても大事な議論が交わされました。これから関連する研究を私たちは展開する予定ですが,そのことを少し書いてみたいと思います。

 

発達障がい児・者の振る舞いで,定型から理解されなかったり,否定的に見られたりするものの多くは,大体が発達障がい児・者が状況を「理解できていない」とか,あるいは理解できていてもそれに適切に対処するための「自己コントロールができない」というふうに理解されるのが普通です。

そう理解されるので,「どうやって正しい理解を持たせるか」「どうやって自己コントロールの力を身に着けさせるか」という発想になります。

これに対して,特に自閉系のひとにその傾向が強いと考えられそうなのですが,「理解していない」のではなく,「違う理解をしている」のであったり,「自己コントロールができない」のではなく,「コントロールの方向が異なっている」とか,あまりの周囲の無理解に苦しんで,自分がコントロールできないくらいに気持ちが高ぶってしまっている,といった場合がほとんどだろう,という視点から考えることが,これからの「異質さを前提として,多様性を踏まえた真の共生関係の模索」としての支援を考える上で欠かせない,というのが私たちの基本的な立場です。

「当事者視点の重視」という考え方は,そういう基本的な立場から絶対に欠かせない視点として出てくるものですし,そのようにお互いの間に「異質さ」が存在していることを無視してしまうと,結局定型の側が無自覚にただ自分のやりかたを誰にも通用する普遍的なものとして,それがあわない障がい当事者に押し付けてしまうことになります。そしてそれがひどくなると,二次障がいが生まれるわけです。(発達障がいの問題で有名な精神科医の杉山登志郎さんも,発達障がい児支援で一番問題として解決が困難で大変なのはこの二次障がい(杉山さんの分類ではトラウマ系発達障がい)だと言われてます。)

このように,お互いの間にある「違い」を無視して「みんな同じ」と決めつけてしまうのは,療育支援の実践場面に限ったことではなく,研究上でも繰り返し起こっていることです。昨日は会話分析を専門とされている方との間でその話になりました。

 

会話分析というのは,主に言語的なコミュニケーションが成り立っている仕組みを明らかにしようと言った研究です。たとえばAさんがBさんに「おはよう」と声を掛けたとします。そうするとBさんは「おはよう」と返事をするのが普通です。別に難しい理屈もなく,ほとんど反射的に「あたりまえ」のこととしてそうするでしょう。

ところがもしそこでBさんが返事をしなかったらどうなるでしょうか?Aさんは「あれ?」と思い,「Bさんに私の声は聞こえなかったのだろうか,それとも自分を無視したのだろうか」などと迷います。聞こえなかったとすれば,もう一度はっきり「おはよう」といえば気づいて返事をしてくれるでしょう。

でも二度言っても返事がなかったら,これは「自分をわざと無視した」可能性が高くなるので,Aさんはすぐにその理由を探そうとするはずです。「Bさんは何か自分に対して怒っているのだろうか」「自分(Aさん)と出会う前に,よほど腹の立つことなどがあったのだろうか」ということが気になって仕方ないはずです。もし自分に怒っているのなら,なぜ怒っているのかを理解して関係を修復する必要がありますし,他のことでいらだっているのなら,その人のために何かできることはないかと考えてあげることが大事だったりするからです。

そんなふうに「おはよう」とあいさつをされたとき「おはよう」と返すのは,単に「あたりまえ」なのではなく,それ自体がお互いのコミュニケーションを成り立たせるための約束事(ルール)によるものであり,そこから外れたやり取りが生まれた場合には,そこに何かのトラブルが起こっているために,それを修復するためのいろいろな試みが必要と考えられ,そこでまた修復のためのルールが使われることになるわけです。

そういういろいろなルールが集まって会話というコミュニケーションが成り立っていると考え,そのルールを明らかにしていこうとするのが会話分析という研究になり,世界中でいろんな人がそれをやっています。

そしてこれまで見つかっているルールは,言葉の違いや文化の違いに関わらず,基本的には全ての社会で有効な普遍的なものと考えられているようです。

 

ところが,です。大内さんが出題者になった昨日の問題の中の大内さんの振る舞いを理解しようとしたとき,その振る舞いはあくまでコミュニケーションの中で行われているのですが,それを今ある会話分析のルールをあてはめてそのまま理解しようとしてもうまくいきそうにないのです。

この現象を旧来の見方で言うと「大内さんが普遍的な会話のルールを理解できていないからだ」ということになり,「だからこそ大内さんは障がい者なのだ」という話で終わってしまいます。でも逆SST的に大内さんにその振る舞いの意味を尋ねていくと,決して大内さんはでたらめにそうしているのではないことが分かります。大内さんなりに意味のある行為としてそうしているのです。

そうだとすると,次のことが明らかになります。つまり,大内さんは会話のルールを理解することに失敗しているのではなく,違う会話のルールでコミュニケーションしようとしているのだということです。そしてその大内さん的なルール(おそらく自閉的な傾向性を持った)を定型の側が自分のルールでしか評価できないので理解できなくなっているのだ,ということですね。で,理解できないから,その相手を「障がい者」と名付けているわけです。

 

さて,会話分析の話に戻ると,ここで見えてくることは,今までの会話分析で重視されてこなかったこと,つまりコミュニケーションの在り方は「人間ならだれでも同じルールに基づいているのではない」ということが,現実にはとても大きな意味を持っていて,そこを無視することができないということです。

会話分析は人間に普遍的なコミュニケーションのルールを見つけようとする研究なのだろうと思いますが,しかし現実の人間はもっと多様なルールを持って生きている可能性があり,そのルールが異なれば関係がうまくいかなくなる。自閉=定型間に生まれがちな相互無理解やそれに基づく葛藤は,その視点から考えていくことが不可欠であると思えます。

山本登志哉・渡辺忠温・大内雅登(2023)説明・解釈から調整・共生へ

:対話的相互理解実践に向けた自閉症をめぐる現象学・当事者視点の

理論的検討,質的心理学研究 No.22, p.62-82 の図を改変

 

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