はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

2019.08.20

不自由ってなに?

 
 
これもずいぶん前に聞いた話です。

脳性麻痺で車いす生活をされている青年が、その特徴として、体を動かそうとすると、すっと目的の動きにならずに、「ぎこちなく」ゆっくり動くように見えることについて、周囲の人から「不自由で大変」とみられるのに対し、こんなことを言われていたそうです。」
 

「僕の体は生まれた時からこうで、僕はこの体で自分としてやりたいことをやってきたのだから、なにが不自由なのかわからない。」

 
直接その方にお話を聞いたのではないので、それは「強がり」のような言葉だったという可能性もあるのかもしれません。つまり本当は自分も他の人のようには体を「動かせない」ことに悲しさを感じていたのだけれど、そうやって「大変ですね」というような「同情」の目線を向けられることがもっと嫌で、「自分は自分として精いっぱい生きているのだから、その姿を見てほしいので、偉そうに下手な同情することなど止めてほしい」と感じてそう言われた可能性です。
 
ただ、それを聞いたときは私は妙に感心して、言葉通りの事について「ああ、そうなんだよな」と思ってしまいました。今も多分そうなんじゃないかなと言う気がしています。
 
たとえばオリンピックで活躍するような体操選手が、床運動でくるくる空中を回ったり、平均台であの狭い幅の上で飛び上がったり、吊り輪で十字になって静止してみたり、というのを見て、私は感嘆の思いを持ちますが、それで別にそんなこと死んでもできない自分の体を「不自由」とは感じません。
 
米粒に筆でたくさんの文字を書き込むという技を持つ方がありましたが、これも私は絶対に無理で、どんなに訓練したって手が震えてうまくいかないだろうと思いますし、そもそも挑戦する気すら起きません。でもだからと言って自分の手先の不器用さを「不自由」と思うことはありません。
 
この間インドの民間の人たちが月にロケットを飛ばしてチャンドラヤーンという探査機を月面に着陸させようとしたのですが、残念ながら失敗して、あえなく月面に墜落してしまいました。けれどもそこに冬眠状態で搭乗させてあるクマムシ(こんな虫です。虫の嫌いな方はご注意)はまず間違いなく生きていて(冬眠状態で)これからもずっと生き続けるのだそうです。人間にはとても不可能な芸当ですが、それを聞いてびっくりはしても、そんなことできない自分の体を「不自由」とは思いません。
 
自分の体はだれかと取り換えることが出来ないもので、生まれながらにこの体を持って生きています。訓練などである程度できることが増えることはあっても、それにも限界があり、100メートルを10秒以下で走れる人なんて、どんなに練習を積んでみたところで、日本なら1億2千万人の中で今のところたったの3人です。
 
でも別に不自由を感じないのは、自分はこの体でできるだろうと思えることをある程度知っていて、あるいはできるようになるだろうということをある程度予測していて、それを実現している状態が「自由」と感じられることになっているからです。
 
もっとすばしこい人から見れば手が震えたりのたくそ遅かったりしたとしても、その状態が普通で、それでちゃんと生活ができていれば特に不自由さは感じていない。その持って生まれた体でできる範囲のことがちゃんと自分なりにできているからです。
 
逆に自分の体について、不自由さを感じるようになるのは、たとえば老いとともにそれまでできていたことが出来なくなる場合です。たとえば私の母も老いて足がすっかり弱ってしまい、杖であるいたり、手押し車で歩いたりといった段階を経て、今は車いすに頼ることも増えました。こういう時は「自分はこういう動きができる人間だ」という過去の記憶と比較して、「今の自分は何て不自由なんだろう」と感じるようになるのはよくあることです。
 
体の事だけではありません。たとえば95年3月から私は文部省(現文科省)の在外研究員として10か月間中国に滞在したことがあります。今でこそアメリカに次ぐ世界2位の経済大国となり、グローバル企業も2018年版のアメリカのフォーチューン誌の番付では上位5企業のうち、実に3社が中国企業ですが、当時は私が住む北京でもほんとに田舎の田舎という感じで、日本で言えばちょうど1960年代の雰囲気を強く感じさせる状態でした。
 
一般家庭にはお風呂もシャワーもないのが普通で、私が貸してもらって住んでいた中国の友人の家では、その時画期的な「新兵器」が導入されて、台所のガスコンロの上に金属のパイプをくねらせた装置を置き、そこに水を通してパイプを通るうちに火で温め、そこから温まったお湯をトイレにホースで引いてシャワーにする、という感じ。友人は「社会主義の初級段階」と当時の冗談を言っていました。
 
そんなふうに日本では当たり前だった生活が普通に出来なくなる時、私はそれを「不自由」と感じました。
 
つまり不自由さを感じるのは、「そもそもそういうことは、自分ができることだ」という思いがあって、それが実現しなくなる時に生まれる感覚だということになりそうです。だから、最初からそういう可能性を感じないことについては特に「不自由」とは思わない。
 
そう考えた時、脳性麻痺のその青年の言葉は、そのまま自然にそういうこととして受け止めてもいいのかもしれないと思うのです。もしそうなら、その人がその人なりに「自然」にふるまっていることについて、周りから「不自由でしょう」などと言うことは、その人が生きている世界を無視して勝手に自分の基準で人を評価しているだけの、とても不遜な態度だといういうことにもなります。
 
 
パラリンピックで活躍する選手たちの姿は私たちにある種の感動を呼び起こします。それは体の使い方の工夫で、あるいは義足などの補助ツールが開発されることによって、それまでできないと思われていたことを可能にし、障がい者に新しい世界を切り開いて見せてくれるからでしょう。
 
そういう姿を見て、自分の新しい可能性を感じるようになり、その可能性と比べて今の自分の姿に「不自由さ」を感じる、ということはあるかもしれません。でもそれはあくまでも「その人自身の可能性」の中で感じられることで、その外側に、いわば「他人の可能性」とか、「他の生物の可能性」を基準に「自由・不自由」を測るのではないのです。
 
発達障がいの方たちが苦しむのは、その人の特性を無視した定型の基準を無理に押し付けることによってです。その結果、多くの発達障がい児・者が二次障がいへと追い込まれ、本来自分が発揮できるはずの力も伸ばせなくなっています(その仕組みについては「思春期と二次障がい」で説明をこころみてみました)。本当にもったいないことで、お互いにとって不幸な状態でしょう。
  
発達障がいの特性を持つ方たちも、自分たちの持って生まれた特性を前提に、持てる力を自分らしく活かしながら、存分に「自由」な生き方を追求できる仕組みを、なんとか模索していきたいと考えています。

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