はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

2019.08.18

障がい児が通常級にともにいることの意味

 
 
梅雨明け後、強烈な暑さが続きました。これから少し緩むのでしょうか。そうあってほしいものですが、40度などと言う以前は信じられないような気温が、それほど珍しくもなくなってきてしまいました。地球温暖化は多くの科学者が長年にわたり警告をしてきた通りに、確実に進行しているように見えます。
 
私が学生だった頃は、環境問題に熱心に取り組む人たちが少しずつ活躍し始める時期でもありました。当時空き缶拾いを環境を守る活動の一環として始めた学生たちもいて、そのころの私は「そんなことやって何の意味があるの?」ととても懐疑的でした。だって地球規模の環境問題に、空き缶を100個拾ったって、1000個拾ったって、なんの意味もないじゃないか、と、そう思ったからです。
 
それから多分20年ほどかけて、ごみの分別収集、資源ごみの回収などが全国で進み、学校では先生たちの意識的な取り組みで子どもたちに対するそのような環境教育が進み、社会全体で分別収集、資源リサイクルが当たり前になってしまいました。そうなってみると、あの空き缶拾いをやっていた人たちは大変な先覚者たちだったということになりますね。
 
 
 
今では支援級が学校に設けられ、障がい児がそこに属しながらほかの子どもたちと交流したり、通常級に在籍して支援級にも通ったり、あるいは通常級で加配の先生のサポートを得るのはもう当たり前になってしまいました。けれども私が初めてかなり重い知的障がいを伴う自閉のK君のアルバイト療育?を始めたころは、そういう子はみんな養護学校に行くのが当たり前で、通常級に在籍するなどほとんど考えられない、といった時代でした。
 
当時私がいた関西では、障がい児を通常級にといったお母さんたちを中心とする統合教育への運動が強まっていたころで、K君のお母さんも養護学校に行くように行政から言われていたのに対して、通常級に通わせたいと要求し続け、それを実現した人の一人です。
 
担任に決まった小学校の先生はとてもまじめな方で、「自分としてはこういう統合の形がよいのかどうかはわからないのだけれど、受け入れる以上、できることはしたい」ということで、K君の対応についてわざわざ私に尋ねに来てくださいました。受け入れ側の先生がそういう姿勢で臨まれたことは本当に大きいことだと思います。
 
けれどももちろんそれは平たんな道ではありません。お母さんから聞いた話で、あるとき、学習参観後の父母懇談会の場だったと思うのですが、同じクラスのお母さんたちから、迷惑だ、と言われたらしいのです。自分の子どもの勉強の邪魔になる、ということなのでしょうか。
 
お母さんもショックを受けながらも頑張ってK君を通わせ続け、やがて通級のような形で給食など、可能な時は原級でみんなと過ごし、無理な勉強は支援級(当時は養護学級)ですごす、といった形になっていきました。学校は学校でいろいろ工夫を重ねてくれたという事でしょう。
 
こういうとき、学校の先生たちがどういう姿勢かということがとても大きな意味を持ちます。このあたりのことについては榊原洋一先生が、連載が始まったインタビュー「これからの発達支援:治療という発想を超えて」の中で、ご自分の経験を憤りとともに述べられています。残念ながら「迷惑だ」という態度で臨む先生たちも今も決してなくなってはいません。
 
比較的最近もある小学校の先生から伺った話では、学年が上がるときのクラス替えの際、「あの子はうちは要らない」といった言葉が先生たちから出てしまうことがあるそうです。また「私の療育」のコーナーでは山形で小学校の先生をされた経験のある阿部和彦さんが、知的障がい児の合奏への参加をめぐってほかの先生の意見に葛藤を感じたときのことを紹介してくださっています
 
実際、「勉強についていけない子をクラスに置いておいて、何の意味があるんだ?」という疑問は素朴に起こることでしょうし、「そういう<困った子>は別の所でその子にあった対応をする方が、その子のためでもある」という意見もあります。今は世界的にインクルージョンの考え方が常識となってきていますが、その流れを否定するときには普通に出てくる考え方です。
 
そういう考え方は、たとえばその子が深刻な体の病気を抱えていて、常に医療的な措置を受けなければ命が無くなってしまう、というような状況であれば、たしかにそうかもしれません。学校で高度な医療措置を受けることはむつかしい現実があるからです。
 
でももちろんそういう話とはやはり性質が違います。
 
子どもを教室に形だけ受け入れ、何の配慮もせずにほったらかした場合には、たしかにその子自身にとって悪い環境になるでしょう。おとなしく座ってわけのわからない授業を聞かされ続けるとすれば、それは「お座りの練習」以上に意味があるとは思えませんし、そこに意味を見いだせない子どもにとっては拷問になるでしょう。その結果パニックを起こすこともありえます。そうすると当然他の子たちの授業に影響しますから、本人にとってつらいだけでなく、他の子にとっても「迷惑」な状況になります。
 
そうすると今度はほかの子どもたちもその子を否定的な目で見るようになります。もともと先生自身が「迷惑」と思ったりしていれば、その視線を子どもたちはすぐに敏感に感じ取って、先生と同じような感覚でその子の事を見やすくなるので、状況はさらに悪化していくことが予想されます。
 
ではK君の場合はどうだったのでしょうか?
 
彼がたしか3年生か4年生のころだったかと思うのですが、その年の運動会でのことです。私が小学生の頃は、昨日書いたように特殊学級の子どもたちはほかの子どもたちとは「隔離」されていた状態でしたので、運動会などでも見たことがありません。当時の私の素朴な感覚でも「同じ学校の子ども」という意識は全く生まれない状態でした。けれどもこの学校ではK君もちゃんと運動会に参加していました。
 
参加できる種目は多少は限られていたかもしれませんが、かけっこには参加していました。けれども運動も得意と言うわけではなく、みんながとっくにゴールした後も、ひとりはるか後方をノタノタと、でも必死で走っていたのですね。その時、それを見ていた子どもたちの間から「がんばれ、がんばれ」という掛け声がかかったというのです。これもお母さんから伺った話です。
 
つまり、K君が子どもたちの日常の中に自然に溶け込んでいく中で、私が子どもだった時とは全然違って、知的な障がいを持つ子の事も、自然に「自分たちの仲間」として感じ、応援もしたくなる、そんな気持ちが子どもたちの中に育っていたんですね。
 
人間の社会には、ほんとにいろんな人がいます。私の専門の一つである文化の問題を考えても、社会が違い、文化が違えばお互いにほんとに理解しあうのがむつかしいことがたくさん出ています。そしてたとえば同じ日本の社会の中でも、お互いに理解できない人と人の関係がどれほどあるかわかりません。
 
そういうお互いに違うもの同士が一緒に生きていくのが人間の社会と言うものです。その社会の一員として育てていくのが学校教育の一番の役割です。だとすれば、自分とはとても違う子どもたちとの付き合いを小さいうちから重ね、そういう子たちとも仲間として一緒に生きていける力を作っていくことも、教育の最大の課題の一つであるわけです。同じような子どもたちだけを集め、純粋培養のように育てたとすれば、それは言ってみれば無菌室で子どもを育てるようなもので(決して障がいを菌と言っているわけではありません。違いはどちらの側にもショックを与える厳しい刺激になりうる、という意味です)、大人になって無菌室から出ていろんな人に出会うと、どうしていいかわからずにパニックになる、実にひ弱な人間しか育たないことになるわけです。
 
榊原さんもインタビューの中で強調されていたように、障がいのある子と一緒に成長する経験が小さいうちから保証されていれば、障がいのない子にも、ごく自然に仲間として接しつつ、必要な時には援助や励ましを相手に与えるという、無理のない優しさが育つ可能性が高まる。ということをK君の運動会での出来事が示しているように思います。
 
そんな力を持った子どもたちがたくさん育っていけば、今は発達障がいの子が大人になって就労したあとも、ともすれば排除されてしまう状況が、だんだんと変わっていくための大きな力になるでしょう。
 
一風変わった学生たちの空き缶拾いの活動が、20年もたてば、学校教育などを通して人々の常識を変え、世の中の環境意識を大きく変化させるきっかけの一つとなったように、過去のおかあさんたちの頑張りで今は通級、交流授業などの形態は全国どこでも当たり前になりました。そしてそこでの子どもたちの経験は、やがて障がいにたいする人々の意識を大きく変えていく可能性を秘めています。
 
多様性の尊重と言うことがふつうに主張される時代になりましたが、それを口先だけのきれいごとのスローガンに終わらせないためには、障がいと健常、発達障がいと定型発達という「違い」を見て見ぬふりをするのではなく、その違いにうまくつきあっていく道を足元からしっかり模索していくことが何より大事なのだろうと思います。療育支援の場は、その最前線の一つでもあります。

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