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はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

    ブログ総目次(リンク)はこちらからご覧いただけます。

2019.08.31

生き方としての障がい

 
 
障がいという問題を、文字を書くとか、計算をするとか、人付き合いをうまくするとか、個別の「能力」の「不足」の問題として考えるのではなく、その人が生きていくうえで持っている「条件」の一つとして考えることが大事だと、私は思い続けています。
 
障がい者への支援も、当然そういう視点から考えることが大事で、就労後の支援について考える時も、その視点を外すことができないはずです。
 
子どもに障がいがあると言われた親が、多分最も不安に思うことはその子が将来この世の中で生きていけるのだろうか、ということでしょう。社会から求められている「能力」が不足していれば、その社会で一定の「地位」を獲得することができず、そうすると自分で収入を得ることもできなくなり、つまりは生きていかれないのではないかと不安になるからです。
 
先日「七つの会議」という面白い映画を見たのですが(※)、会社の中での地位の上昇、地位の確保を目指して、激しく争う世界が舞台の物語です。
 

 
「人に認めてもらいたい」というのは人々と交わって生きる人間の基本的な欲望の一つで、「出世」というのも「認められる」方法の一つなので、出世を目指した激しい闘いの世界は、おそらく人間の社会が続く限りなくなることはないでしょう。そして「出世」することが自分が生きる価値だと考える方にとっては、それを求めることが自分の生き方となっていきます。
 
その目で見たときには、「障がい」というのは、「生きる価値」を実現することが困難な深刻なハンディだと感じられることになります。その考えが極端になれば、「障がい者は生きる価値がない」という思想にもつながっていきます。
 
そこまで極端ではなくとも自分の子どもが「学校でいい成績を取る」「いい学校に入る」「いい会社に入る」といったことは、親にとってはうれしかったり自慢の種になることです。社会心理学では人の心理には、「価値の高いものと結びつくことで、自分の価値(自己評価)が上がったように感じる」という仕組みがあると考えられていて、その例の一つでもあります。自分が好きな野球のチームが勝利するとうれしくなるのも同じ心の働きです。
 
私がこうやってブログを書くのも、自分の思っていることを表現して、「認めてもらいたい」という気持ち(承認欲求)が背景にあるからでしょう。「認めてもらいたい」と思わなければ表現すること自体なくなるはずです。人間はどこまで行ってもこの「認めてもらいたい」という気持ちから自由になることは困難です。
 
手塚治虫の「ブッダ」で読んだように思いますが、インドでは人間の生活を捨て、言葉を捨て、動物のように暮らす、という修行があったようです。また「出家」という行為も、本来は家族を捨て、財産を捨て、「俗世間」の「価値」をすべて捨てることで悟りに近づこうとする行為だと思いますが、そのように誰もができることではない「捨てる」という行為をあえてすることで、自分自身の本当の価値を確かめようとしている、と考えると、これもまた「認められたい」思いの延長上に見ることもできそうです。
 
いろんな「認められ方」がありますが、いずれにせよ認められることがその人の心理的な幸福感につながります。逆に言えば、「認められない」ということは、不幸なことである、と感じられてしまうわけです。ですから、人は自分なりの仕方で認められようと努力します。その努力の在り方が、言ってみればその人の「生き方」だとも言えます。
 
もしそんな風に、そもそも「認められ方」にはいろいろな形があって、そのそれぞれにそれぞれの幸せがあり、それを求めるのがその人の生き方なのだとすれば、障がいという条件をもって生きる人も、その人にあった「認められ方」があって、それを追及して言うことが、その人にとっての幸せにつながる、と言えるのだろうと思います。
 
それはパラリンピックの選手のように、健常者とは異なるルールを設定して、その中で競争して自分を高め、人に認めてもらう、という形で成立することもあるでしょうし、「障がい児が通常級にともにいることの意味」で紹介したK君のエピソードのように、自分なりの頑張りをほかの人に応援してもらう形で成り立つことも、もっと素朴に、家族の一員として、同じ食卓を囲んでご飯を楽しむ、という形で成立することもあるでしょう。
 
子どもひとりひとりが生きるうえで持っている条件に合った形で、その子なりの生き方を作り上げていくことが、その子なりの幸せにつながっていくのだとすれば、障がいもまた幸せであることを否定する条件ではなく、その人なりの生き方で幸せを求めるための条件の一つなのだと考えられると思います。
 
ということは、本当の意味での発達障がい児への「支援」は、「お互いに認め合える」関係を作っていくことということにならないでしょうか。また発達障がい者への社会的な支援も、最終的には「認めあえる」関係づくりが目標なのだと思います。「認める」ではなく「認めあえる」というのは、どちらかがどちらかに一方的に配慮すると言った関係であってはならないと思うからです。
 
 


『七つの会議』
豪華版Blu-ray:7,000円(税抜)豪華版DVD:6,000円(税抜)
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発売元:TBS 販売元:TCエンタテインメント
©2019 映画「七つの会議」製作委員会

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