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はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

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2019.10.01

ディスコミュニケーション(1)武士と町人

 
 
発達障がい児・者が抱える困難を、「その人のせい」と考えるのではなく、その人が生まれながらに持つ特性と、定型発達者が持つ特性の間にうまく調整関係が作られないために生じるもの、という観点から考えようとしているのがこのブログです。
 
このお互いの違い、ズレの意味に気づかないために、時に不幸な展開にも至るようなコミュニケーションの性質を「ディスコミュニケーション」としてとらえ、それを分析するという作業を「文化差」「発達差」「裁判官と心理学者の発想の差」など、いろいろな分野で私はこれまで続けてきています。また、共同研究者とその問題について議論をして、さまざまな領域で生まれるディスコミュニケーションの事例分析や理論的な検討を含む本「ディスコミュニケーションの心理学:ズレを生きる私たち」(東大出版会)も作ったりしてきました。

 
つまり、お互いにずれの意味を理解できずに困難も生まれるというこのディスコミュニケーションは、発達障がい者と定型発達者の間に生まれるだけではなく、あらゆるコミュニケーションのなかに生まれるものです。
 
このディスコミュニケーションを理解していただくために、おりおりに気づいたディスコミュニケーション現象をご紹介してみたいと思います。その第一回は武士と町人の間に生まれるディスコミュニケーションの例です。
 
といっても、現実の事例を歴史資料から見つけてというわけではなく、三遊亭圓生(六代目)の落語「小判一両」の中で語られたエピソードなので、これがどれほど実際の武士と町人の間にあったのかは何とも言えません(※)。あくまでそういう限界の中での話ですが、少なくとも落語の作者にはかなり鮮やかに見えていた両者の間のずれの問題のようで、多少なりとも武士に独特の気質に関心のある私から見て、それなりにりアリティを感じさせるものでした。
 
物語はこんな内容です。あるザル売りの町人が、凧を盗んだと凧売りに折檻されている子どもを助けようとします。この子どもは極貧の浪人の子どもで、母親はすでに死んで父と二人暮らしですが、「忠臣は二君に仕えず(正しい家来はなにかの事情があっても別の主君に仕え直すことはしない)」という厳しい倫理観を持ち、他の藩に再就職することもなく、「たとえ親子で飢え死にしようとも」と極貧の生活をしています。
 
どうしても親のところにねじ込みに行くという凧売りに、ザル売りは自分が買ってやると金を投げつけ、大げんかをしているところにその父親の侍がやってきて、かならずお金は返すからと謝って子どもを連れ帰ろうとします。
 
子どもに凧一つ買ってあげられない状態の親子をかわいそうに思ったザル売りは、親の形見として肌身離さず持っていた一両の小判を無理やり子どもに持たせて去っていきます。
 
その様子の一部始終を他家の上級武士が見ていて、ザル売りに声をかけ、自分はその浪人の心中を思って声を掛けられなかったのだが、そのザル売りの心に感服したと言って酒をふるまいます。
 
酔いが回り始めたころ、ザル売りがその上級武士に食って掛かります。最初から見てたのなら、なんで一言声を掛けてやらなかったのかと。陰で見ていて自分の事を後から褒めてよろこぶなど、その根性が許せない、というわけです。
 
上級武士は最初は武士として相手の心中をおもんばかってあえて話しかけなかったという話をしていたのですが、最後はこのザル売りの言い分を認め、自分が悪かったと謝り、二人でその浪人の住む長屋に尋ねていきます。
 
行ってみると外で子どもが凧あげをやっていて、お父さんはと聞くと家にいるというので、行ってみると戸が閉まって開かず、それでも中に入ったところ、その浪人は腹を切って死んでいました。
 
遺書があり、見ると今回の事でもはや死ぬしかないと決めたと書いてあり、ザル売りは激しく取り乱します。自分はその親子のためにこそそうしたのに、なんでこうなるのか訳が分からない、説明してくれと泣きながら上級武士に懇願します。
 
上級武士の説明はおよそ次のようなものでした(実際のセリフについての私の説明的な文章です)。「人はだれでも自尊心を持って生きている。この浪人も二君に仕えずといった強い自負を持って必死で苦しい生活にも耐えてきた。ところが今日町人から情けを掛けられたことで、逆に自分のみじめな姿を認めざるを得ないところに追い込まれ、もうこれ以上生きる甲斐はないと思ったのだ」
 
自分の情けがあだになる。その町人の人生観では想像もできなかった浪人の人生観、その二つの人生観のズレによって、結果として町人の情けが浪人を死に追いやった。その危険性を上級武士は知っていたのであえて情けを掛けなかった。それが「武士の情け」だというわけです。
 
定型発達者と特に自閉系の人との間には、やはり隠れた人生観のズレがあり、しばしばお互いの「情け」が相手には全く通用せずに関係を悪化させるという悲劇が繰り返されます。この「一両小判」では、最後は町人が浪人の心情を上級武士の説明で理解することになっていますが、それは浪人の自決と言う代償によってとも言えます。
 
定型発達者と発達障がい者の間に生まれ続けている悲劇が、今はまだ代償にすら結びついていない状態のように私には思えるのですが、せめてそれが今後の相互理解にとっての代償となり、さらにはそもそも悲劇がうまれにくい状況になることが目標となるのだと思います。
 
 
※ この落語を作るにあたっては、参考となった江戸時代の実際のエピソードとして伝わる武士の親子心中の話はあるようです。
因みに「忠」という考え方はもともと儒教のものを取り入れたものですが、中国では原義は「真心」の意味だったようで、主君の恩に応えるそのような態度から来たのでしょう。さらにその上に「孝」という、親への子の倫理を置くのが本来の儒教的発想でした(為人臣之禮:不顯諫。三諫而不聽,則逃之。子之事親也:三諫而不聽,則號泣而隨之。《禮記·曲禮下》家臣としての礼はそっと主君の過ちを諫め、三度受け入れられなければその元を去りなさい。子として親に仕えるには、三度諫めて入れられなければ、号泣してこれに従いなさい)。これが日本に輸入されたあとは逆転し、主君への絶対的な服従の観念として、「孝」の上に「忠」が置かれたようです(『葉隠』等)。概念が輸入されるとこういう形で輸入先の感覚で内容が変わってしまうのはよくあることです。
一見同じ言葉(漢字)を用いながら、その意味が全く異なってしまっている例は他にも「中庸」や「性善」などいくつもありますが、その違いに気づかないままにコミュニケーションを続けると、お互いにとんでもなく誤解したままの展開が起こります。これもまたディスコミュニケーションの例となります。

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