はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

2019.10.02

R君の積み木(4)大人の関り

 
 
R君の積み木(3)では、R君が作る積み木に列車と薪積み(積んでは崩れの繰り返し)の二つのテーマが並行し始めている様子を見ました。
 
ここで注目したいことのひとつは、そのような展開に「大人のかかわり」がどう影響していくかということです。そもそも積み木を横に並べるのではなく、上に積み上げる、というやり方は、石黒先生やお母さんがR君に見せていたもののようですので、それがだんだんとR君の活動の中に取り込まれていった可能性がありそうです。
 
また、このころ、ほかの人へのR君からの関り、人を意識した行動がいろいろな形で見られ始めてもいるようです。たとえば
 

3月ごろ 目線でのアピールが感じられ始め、同時にクレーン動作が見られ始める
8月9日 机の上の積み木を取ってほしいとおいでおいでの手招きをする。(積み木の箱を見ながら手で箱においでおいでする。人の顔を見て要求を向けるところまではいかないが、クレーンとは違う形で要求と理解できる動作が始まる)
8月23日 3歳の女の子に追いかけられ、声を出して楽しそうに追いかけ返す。(それまでは追いかけられても反応はなかった)
9月3日 他の子がやっているレゴが気になり、近寄って身に行くが、それまでと違い、レゴに突進はしないで離れて見ている(レゴで遊んでいる他の子を意識した可能性)
9月4日 野菜のおもちゃ(マジックテープでつなげ、おもちゃの包丁で半分に切ることができるタイプのもの)を切るために、石黒先生とは違う男の先生の手首を追って、野菜のところに持っていく(切ってほしいというクレーン的な要求と思われます)。
9月10日 薪積みをしているそばで石黒先生が列車を作って「ガタンゴトン」と走らせると、笑いながら取りに来て、それを積み上げた積み木の上に積む。(写真。どれが上に積んだ積み木かはちょっとわかりませんが、動物の絵を並べたものや赤いプレートが横に加わるなどの新しい要素も確認できます)
9月21日 積み木を積んで崩れるのを見たり、上から落としたりを繰り返し、その音を楽しんでいるように石黒先生には感じられる。また円柱状の積み木を転がすのを楽しみ、石黒先生が転がしたものを笑って取りに行く。


 
人を意識してその活動を取り込んだり、まだクレーン的で、「相手に向けたアピール」にはなりきっていませんが、積極的に人に援助を求める行動などが展開してきているのが見て取れます。さらにそのようなかかわりを楽しみ、9月21日のように石黒先生の積み木を転がす初めての関りも楽しんで取り込んでいる様子が見えます。

9月27日には積み木を上から落とすという、21日にも見られた遊びについて、左手に一個、右手に二個を持って(下はその状態の再現写真)落とす、ということを繰り返されているようです。


 
なぜ右手に一個で左手に二個なのかはわかりませんが、R君の中に何か「決まり」があって、それを繰り返しているのでしょう。
 
自閉の子とのやりとりにむつかしさを感じるのは、そういう風に「その子の中では何かの意味があるように見える」ことが、こちらにはなかなか読み取れないことが多いことです。そのため「意味のない、わけのわからないことをやっている」という「こだわり行動」として見られてしまうのですね。
 
私も結構こだわるところはこだわるこだわり派というところがあって、人から見るとなんでそんなことにこだわるの?と思われるかもしれないと思うのですが、それでも時間がたつと理解してもらえる経験もそれなりに積み重ねてきているので、その見通しの中でこだわり続けられるのかもしれません。
 
自閉の子の場合は、本人も周囲もそういう見通しの中で生きることがむつかしいことが多い、というところがやはり困難の出所になるのでしょう。そこを焦らずにどうじっくりと付き合って進んでいけるのか。
 
R君の場合、人への関心やかかわりが一歩一歩進みつつある中で、そこをどう読み取ってやりとりにつなげられるか、あるいはやり取りの中でお互いに共有できる意味を作り上げていくか。そのあたりも注目ポイントになりそうです。

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