2019.11.22
ADHDの不注意とのつきあい方
ADHDの日本語訳は注意欠陥多動性障がいですが、特に注意欠陥の方は私も多分にそういうおっちょこちょいの傾向があるなあと思うので、他人事でないところがあります。
例えばサッシのカギを閉めたと思っていたら、少しずれていて実はちゃんとしまってなかったとか。こういう不注意をどうしたら克服できるのかと思って、とりあえず鍵の上からひもをぶら下げてみました。
そうすると、鍵を閉めるたびに、「あれ?」と思うわけです。意味ないひもがぶら下がっているわけですから。それで「ああそうそう」と思い出す。今のところこれで失敗がありません。
昔の人で、忘れてはいけないことを思い出すために、指にこよりを巻いておいた、というのがありました。手のひらにペンでメモっておく、というのは今でもやっている人があるでしょう。これも指にこより、という「意外」なものがあることで、「あれ?」っと思い、そして「そうそう!」と思い出す手掛かりになるわけです。手のひらに文字というのももちろん「あれ?」ですし。
ただ、昔あるおじいちゃんの話を聞いて可笑しかったのは、「最近、こよりを巻いておいても、あとからそれを見て、何のために巻いたのかを思い出せなくなってしまった」ということでした。こうなると効果はゼロですが(笑)、まあそこまでならなければ効果がある方法です。
記憶の心理学では初歩的な話ですが、記憶には内部記憶と外部記憶、という分類の仕方があります。内部記憶というのは頭の中に覚えておくことですね。あとで自分で思い出す。これに対して外部記憶というのは、自分の外側に記憶(記録)を残しておくというやり方です。メモでもいいですし、合図のチャイムでもいいですし、とにかく思い出す手掛かりがそこにあればいい訳です。それが手掛かりになって必要なことを思い出す。自分で覚えておくのが苦手な場合、人に覚えておいてもらうというやり方もあります。これも外部記憶として人を使ったことになります。
もちろん外部記憶と言っても、自分の中に記憶が全くない訳ではありません。その手掛かりを見て思い出すのですから、思い出す記憶は自分の中にないといけない。こういう、何かの手掛かりで思い出す記憶を「再認的記憶」と言います。自分では思い出せない(再生できない)んだけど、手掛かりを示されるとわかる、というやつで、典型的なのは絵カードをいくつか覚えてもらって、あとから覚えてもらったものとは違う絵カードも含めてたくさん見せて、「これは前に見た中にありますか?」と尋ねて答えてもらうようなやり方です。「何がありましたか?」と聞かれるより大変に成績がよくなります。これは再生はできないけど再認はできた、という風に言います。
つまり、人間全部自分の中で覚えて置いたり、自分の中で解決する必要なんてない訳です。周りにいろいろ手掛かりを作って、場合によってはほかの人の助けを借りて、それで目的が達せられれば十分です。
全部自分の中でやろうとするから「障がい」が深刻になる。自分の特性に合わせて環境を調整し、そこで工夫をしていけば問題はなくなるか、少なくとも軽減するわけです。スケジュール表とか、パソコンやスマホのスケジュールソフトなんかまさにそういう「外部記憶」ですね。それを使いこなせればADHDの注意欠陥なんてかなりクリアできちゃうことになります。
心理学の中では心の世界を個人の内部で考える、というのは、今でもありますけど、まあ時代遅れの部分が大きいと思います。心理学のいろんな分野で「環境の中で人の心理を考える」という流れが展開していますが、たとえば認知科学と言われる分野では、ロボット技術の進展とともにそういうことが大きな問題になったりしました。複雑な動きをさせようとすればするほど、ロボットの「頭の中」に環境の側のあらゆる情報を入れ込んで、その分析のプログラムを完備させて動かそうとしても、動かなくなってしまうんですね。膨大な情報におぼれて計算ができなくなってしまう。
実際の人間や動物はそんなことしていないわけです。環境の中の手掛かりをうまく見つけて、その手掛かりを使って適当にその場その場で工夫しながら動く仕組みを作っている。こういう視点で人間の認知を考えるのを「状況的認知論」というふうに心理学では言います。この場合、心とは外の世界との関係で作られている仕組み、システムと考えられるわけです。
障がいをその人の中の問題として考えず、周囲の環境との折り合い方の問題として考え、個人の中の能力を鍛えることで乗り越えようとする視点は、心理学的な研究の流れからいうと、ちょっともうかなり古いよね、という感じですね。本人も周りも工夫することが大事。それが発達障がいの課題でもあります。そいう素朴に当たり前のことがもっと普通に通用するようになってほしいなと思います。
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