はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

2019.10.30

R君の積み木(7)新たな展開を生む力

言葉の発達でも、人とのやり取りでも、ほかのタイプの発達障がいの子や定型発達の子は早い遅いはあっても、発達心理学で言われてきた発達の道筋を割合そのまま進むように見えることが多いです。けれども自閉の子の場合、そこでちらっと次の力が見えたかと思ったらまた見えなくなったり、それまで全く見えなかった力が突然ドドドドドドドドドッと発揮されてびっくりする、といったことがしばしばあるように感じます。
 
たとえば前にも書いたように1語文が出たと思ったらまもなく2語文が次々に出てくるとか、コミュニケーションが急に活発になったりとか、全然理解も関心もないかと思っていたほかの人の活動の真似が突然出たりとか。
 
なぜそう言う事が起こるのか不思議で、これまでは「じっと観察して自分でため込んでいて、それを自分なりに自分の中でじっくり理解して、自分んなりに何かのきっかけで納得したときに一挙にそれをやり始める感じ」というふうにとらえていました。一般に自閉系の方は「自分なりに本当に納得する」ということをとても大事にされるように思えるので、そういう姿にもつながる理解の仕方です。
 
今もその理解の仕方はそれなりに有効ではないかと思っていますし、それで療育現場のスタッフの方にも、「自閉の子の場合は周りでいろいろやって見せても全く関心がないように見えて、実はその子なりに注意してため込んでいるように思える。だから、すぐには効果がなくても、<貯金>するようなつもりで見せてあげることには意味があると思う。いつか<満期>が来たらどっと効果が出てくることもあるし」といった話をすることがあります。
 
そしてR君の積み木の事例を見ていて、もうひとつふと思ったことは、その子の中の「納得するまで」ということに加えて、「周りの理解」が大きな意味を持っているのではないかということが気になりだしました。
 
自閉系の人も周囲との交流を拒否してるわけではなく、その欲求がないわけでもなく、自分の気持ちを伝えたい思いもあるのだけれど、その表現を定型の側が理解しにくい場合が多い、ということがあるようですが、自閉の子もちらっと新しいコミュニケーションの力(たとえばR君で一瞬かすかに出たように見えた指差し等)を出してもこちらが気づかずに見過ごすことが多く、そうするとそれ以上あまり出さずにひっこめてしまう、ということが繰り返されているのではないかと思ったわけです。
 
そうやってチラッチラッと力を出しながら、やがて周囲が気づいて対応するようになるとたまっていた力がどっと出てくる。そんなイメージです。

R君のいろいろなコミュニケーションの力が今次々に発揮されてきてますが、それも周囲のみなさんが彼のかすかな「表現」に注目するようになった、そのことが大きく作用したのではないか、という気がします。受け取ってくれるので力を出すようになった、という感じですね。
 
もしそうなら、その「表現」を見過ごさないように、こどものやっていることをじっくり見て、その意味を周囲の大人が読み解いていく、ということがとても大きな意味を持つように思います。

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