2019.11.07
R君の積み木(番外編):【可愛い頑張りやさんR君について】
連載「R君の積み木(7)」では、R君の変化の原因の一つとして、周囲の大人の見方が変わったことがある可能性を考えてみました。
実際石黒先生をはじめスタッフの皆さんの療育支援で、この連載を一つのきっかけに、いろんな面白い展開が生まれていることを、教室の山本英佑児発管(児童発達管理責任者)が嬉しそうに教えてくださいました。そこでお願いしてそれらの様子を教えていただきました。
以下、山本さんから頂いた文章です。
R君と出会ったのは、約1年前になります。
色白でつぶらな瞳の可愛いR君。
「きらり」に来たての頃は「人」「物」「音」に対して、凄く恐る恐る関わっているように見えました。当然、初めて会う人、触る物、聞く音(声)で、まだそれらに対して経験値がないので怖いのは当たり前で、とてもピュアな反応でした。
また、R君を見ていていつも感じているのが一緒に来てくださっている、お母さんの頑張りと愛情と勇気です。会うたびに少しずつ確実に成長されていることを感じます。また、本当は「助けてあげたい」「手を貸してあげたい」気持ちが伝わってきます。
僕達が言うのは簡単で、恐れ多いのですが、どのお母さん、お父さんも本当に凄いと思います。
そんなR君と石黒先生との出会いは約半年前。それまでは男性の先生だったのですが、石黒先生に替わり具体物である身体の接触を積極的にして下さり、R君にとって良い刺激になっていたのだと思います。また、療育内容の試行錯誤の日々の中、例の積み木に焦点が当たります。事例検討研修で山本先生に教室に来ていただける日がありました。それまではR君が積み木をしている姿に「何かR君なりに意図がある」のは感じていたものの、あまり定まっていなかったのが本音でした。
しかし、山本先生から「電車のイメージでは」の言葉をいただいたことにより「R君が積み木で遊んでいる」から「R君が積み木で電車を走らせてる」という見方に変わりました。きっと一生懸命に電車を見た場面をイメージして、再現しようと頑張っていたんだと思いました。
そうなると、指導員側の声かけが変わってきます。お母さんのR君に対する「積み木遊び」の見方(これからの行動の一つひとつ)が変わってきます。そのほかにもたとばこんなこともありました。家でお絵描きをしているときに前までなら棒から色が出るのが楽しくて、書いているのは「ただの線」に見えていた。でも今では「顔を書いているように見える」と教えて下さいます。それはR君がお母さんだったり指導員の顔のパーツを触ってくれたり、本当によく目が合うようになってきていて、「あ、顔に興味があるんだ」と気付きがあったとの事です。
以上のように、一気にR君の行動の一つひとつに意味がある事が意識でき、R君の成長と共に、周りの大人が劇的に成長させてもらいました。
前までのミーティングでは「R君が積み木を並べて遊んでいた」という理解だったのが「R君が積み木を電車に見立てて遊んでいた」のようにスタッフ全員にまで1つの遊びに対しての見方、捉え方の変化をもたらしてくれました。
それが各指導員の担当の子ども達に対しての見方、捉え方に替わり、校舎全体の底上げにもなっています。また、山本先生の所長ブログを通じて全国の支援スタッフに、R君の積み木効果が広まってくれればいいなと感じています。
- 支援者こそが障がい者との対話に学ぶ
- 「笑顔が出てくること」がなぜ支援で大事なのか?
- ディスコミュニケーション論と逆SSTで変わる自閉理解
- 冤罪と当事者視点とディスコミュニケーション
- 当事者視点からの理解の波:質的心理学会
- 自閉的生き方と「ことば」2
- 自閉的生き方と「ことば」1
- 自分を「客観的に見られない」理由
- 「なんでこんなことで切れるの?」
- 当事者視点を踏まえた関係調整としての支援
- 「定型文化」と「自閉文化」
- 傷つける悲しみ
- 自閉と定型の「傷つけあい」
- 「社会モデル」から「対話モデル」へ
- 障がいと物語: 意味の世界を重ね合う試み
- 誰もが当事者:わたしごととしての障がい
- 規範意識のズレとこだわり
- 「コミュ力低い」で解雇は無効という判決
- 「カサンドラ現象」論
- 「嘘をつく」理由:それ本当に「嘘」なの?
投稿はありません