はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

2019.12.06

子どもに先生役を

子どもの療育支援をしていて子どもがなかなか主体的に取り組んでくれなかったりするとき、「子どもに先生役をしてもらう」というちょっとした工夫で状況が大きく変わることがあります。

そうすることで「教えられる立場」という「こどもの役割」と、「教える立場」という「先生の役割」が逆転することになります。これ、かなり受けることが多いのですね。なぜでしょうか?

支援級の担任の先生として、また異文化理解の実践的な視点から、数々の面白実践を展開されているヒオ先生も、このやり方をとてもうまく展開されています(【ヒオ先生の面白教育実践】① 納豆大キライ不登校宣言

いつも自分に「あれをしなさい」「これはだめ」と指示を出す役割の先生が、逆に悪い子になって「不登校」宣言をする。そうするとそれまで先生の指示に従いたくなかった子どもたちが、急に「先生の立場」になって先生を叱ったりするわけです。

なんでそういうことが起こるかというと、実は「○○なんてしたくない!」と思っている子は、「ほんとうはしなきゃいけないんだけどなあ」という思いをその裏に持っているからです(両義性)。ただ、大人との関係で「○○しなさい!」と言われると反発心が出て「いやだ!」となる。

ところがそういう大人の「○○しなさい!」という圧力がなくなって、逆に自分が大人の立場にならなければならなかったりすると、今度は反発していた大人と同じ行動をとってしまう、ということが起こるわけです。

親に反発していた子どもが、自分が親になると気づけば同じことを子どもに言っていた、といったケースも同じですね。親が亡くなった後に「親の気持ちがようやくわかるようになってきた」という話もしばしば聞くことです。

つまり「反発」する心は、実は「反発のもとになる相手の考え方」とセットになって自分の中に生きているわけです。子どもが学ぶのはこのセット全体で、そのセットの中で自分が「反発する役割」をとって振舞っているだけとも言える。

「子どもに先生役をしてもらう」というちょっとした工夫のもうひとつの意義は「相手の立場に立ってみる」ということができることです。相手の立場に立つということはだれにとってもむつかしいことですが、発達障がいの子どもの場合、特にそこにむつかしさがある場合もあります。

では「相手の立場に立つ」ことにとってなぜこの遊びが重要かというと、そこに「役割の交代」が含まれているからです。「役割」を通して、人はやり取りの中での相手の視点を理解することが可能になります。お人形さん遊びもそういう役割をいろいろにからませる遊びですので、同じような意味を持ちうるでしょう。

「子どもに先生役をしてもらう」というちょっとした工夫で状況が大きく変わる、三つ目の理由はたぶん子どもにとって気持ちがいいからでしょう。そして療育支援ではむしろこの理由の意味がより大きいと私は思うのです。

なぜなら、いつもは自分が「教えられる」立場にいて、正解は先生が握っている。評価するのは相手で、自分はそれに従うしかない。そして発達障がいの子どもは「また出来ない!」と否定的にみられることが多くなるのです。これはとてもつらいことです。

ところが先生になると、今度は自分が優位に立ちます。評価される側から評価する側に立つのですから。これは気持ちいいに決まっています(笑)

発達障がい児支援にとって一番大事なことは、その子らしさが肯定され、自尊心がはぐくまれ、二次障がいになりにくい力をつけていくことだと考えています。その視点から考えても「子どもに先生役を」というちょっとした遊びは、実はとても大きな意味を持つのだと思えるのです。評価される受動的な側から評価する能動的な側を体験する。それは自分の新しい可能性を感じ取る機会にもなります。

発達障がいの問題にかかわる心理学者で神戸大の赤木和重さんという面白い方がいらっしゃいます。麻生武客員研究員から教えていただいて、残念ながらまだお話をさせていただいたことがないのですが、大学の教員紹介の中にこんな一文を書かれています。

「教示行為の発達と障害に関する基礎研究において,子どもが「教える」という教示行為の発達研究を行っています。特に自閉症のある子どもが教示行為をどのように発達させるのかに注目しています。教示行為の発達というのはあまりメジャーなテーマではありません。それでも注目する一番の理由は,教示行為を通して,自閉症のある子どもの主体性について考える契機になるからです。近年の自閉症児への支援は,「大人が自閉症児をいかに上手く教えるか」ことを前提としています。確かに,様々な困難をもつ自閉症児をどのように教えるかは重要な課題です。しかし,自閉症児は,教えられるだけの存在ではありません。みなさんも,教えられてばかりだとしんどいですよね。子ども自身が教えるという主体的な役割をもつことで,「自分が主人公」という感覚をもち,発達を豊かにできる側面があるはずです。

ここで私が書いてきたこととほとんど同じですね。

発達障がい児・者が「○○される」立場ではなく、自分らしく「○○する」立場で生きていきやすくなること。そのことを考えるうえでも大事な工夫だと思います。

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