2019.12.17
ADHDと文化の違い
「ADHDの見方の揺れ動き」の続きです。
揺れ動くADHDの捉え方について、文化の違いという観点から見てみましょう。これは実際、今の日本の中でとてもリアルな問題でもあります。また今後もさらにいろんな形で問題になっていくことでもあるでしょう。
ニューカマー(1990年の入管法改定で大量に増加した日系人移住者など)が多い群馬県の大泉町で、現在は人口の18%を超すまでになっている外国籍住民を支援する、国際交流課(当時の名称)課長として活躍されて、私もかつて保育学会の国際交流委員としての調査や、大学の授業での交流などでいろいろお世話になっていた糸井昌信さんに、しばらくぶりにお会いした3年ほど前に伺った話です。
糸井さんは退職後もボランティアで外国籍住民の支援をずっとされているのですが、その中で日本の学校の支援級にやたらと日系の子どもたちが多いことに気づかれました。そして私に「あれ、ほんとうにみんな発達障がいなんでしょうか?」と尋ねられました。直観的に「それは違うだろう」と感じました。
その後、NPO法人の国際社会貢献センターがニューカマーが多い6県12市町の公立小学校で調査したところ、特別支援学級に通う子どもの割合は平均して5.01%で、日本人児童の倍以上であるという結果が出たのです。多い地域では実に4倍近くにもなっています。(京都新聞記事。2018年5月6日づけ)
この極端な差は単純に「生得的な特性の差」では理解ができません。明らかに「生物学的な要因」以外の重要な要因がそこに絡んでの結果と考えなければならないでしょう。それは何かといえば、つまりは文化差だと私は考えています。
研究所ではここ2年ほど日系の子どもたちを対象とする事業所のスタッフ(半数が日本人、半数が日系人)への研修も行ってきているのですが、通訳を挟んでスタッフ間で話し合ってもらうと、子どもの療育や教育についての理解の仕方、態度の違いはかなりはっきりと出てきます。日系人と言っても文化的にはもう南米的だったり、あるいはそもそもが現地の人たち(日系人と結婚した人たち)です。日本語がほとんどわからない人も多く、流ちょうな方はまれで、顔かたちも欧米系の方たちがたくさんいます。文化的な違いは当然のようにあるわけです。
大泉町の多文化保育を調査した際も体験しましたが、子どもたちの姿も違います。
園の先生たちは、日系の子どもたちがこれから入園するようになる、という最初のころは言葉の問題を一番心配されていました。でも小さい子どものことなので、ほかの子どもたちに交じって生活していれば、1年もあれば日常会話は困らなくなります。さすがに「上毛かるた」など、ディープな(?(笑))日本語の遊びにはついていけない子も多くいましたが、まあその程度とも言えます。
言葉で困るのは親御さんへの連絡で、日本語ができない人が多いので、ここは言葉ができる人にボランティアで通訳をお願いしたり、行政の方でもその点でお便りの翻訳を手伝うシステムが作られたり、なんとか乗り切っていかれていました。
次に心配されていたのは食生活の違いですが、これは言葉よりは長引くかもしれません。味噌汁だのその中の海藻などは食べられない子どもが結構います。給食の時に食べ渋っている日系の子どもの姿を私も見ました。けれどもこれも日本の子どもでもアレルギーなどで食べられないものがある場合は対応をしたりするわけですから、そこまで決定的な問題にはなりません。
ということで、園の先生たちは基本的には「なんとかなる」ということで安心されているところがありました。一応は園生活は順調に進むので、その評価は全くおかしいとは言えません。
けれども子どもが小学生に入り、さらには中学生になっていく過程で、より深刻な問題が表面化していきます。それはひとつにはやはり言葉の問題で、たしかに日常会話についてはほとんど不自由なく使いこなせるようになっていくのですが、勉強に使う言葉はそう簡単には身につかないのです。(これについては高橋登客員研究員の動画講義「言葉と読み書きの発達」の第7節「生活のことばと勉強のことば:小学生の課題と外国籍児童の困難」にも解説があります)
結局勉強には遅れが出がちで、また日本の子どもたちとの友達関係もうまくいかないということが起こりがちになります。けれども家庭では出稼ぎで来られている両親共働きが普通で、残業も多いので、子どもの悩みに丁寧に対応することができなくなりがちです。しかもそこにまた言葉の問題が絡みます。なぜなら子どもはすでに日本の保育園や学校で日本語会話が流ちょうになっているのに対して、ポルトガル語(またはスペイン語)は親との時間も少なくあまり上手にはなりません。逆に親の方は日本語は片言位となり、つまりは親子で言葉で十分なコミュニケーションを行う基盤が育ちにくいのです(※)。
日本の子どもなら、少なくとも小学校の勉強位のレベルなら、子どもがわからなくて苦労していれば、一般的には親が教えてあげることができるでしょう。ところが日系の家庭では、親はポルトガル語で教えられたとしても、子どもが教わっているのは日本語なので、これもうまくいかないわけです。
思春期は同じ言葉を話していても親子間でもめやすい時期です。それがこういう状況ではますます厳しくなる。そういう状況で、子どもが学校に行かなくなったり、ぐれてしまったりといった問題もまた起こりやすくなります。
そして私が見る限り、その芽はすでに幼児の段階に見られ始めているのですね。
たとえば3歳児のクラスを観察させていただいているときでした。子どもたちが列に並んで、立って静かに先生の話を聞く時間がありました。すると後ろの方で、列から離れて隣の列の子にちょっかいをかけたり、じっとしていないでグタグタしていたり、そんな子どもたちがいます。そしてそれは日系の子どもたちなのです。
庭で砂場や滑り台などで遊んでいる子どもたちの様子を観察していると、たしかに日系の子どもたちもその中に混じっていることが多く、完全に孤立している様子はあまり見られませんでした。大雑把にみれば「一緒に遊んでいる」と見える状態です。
けれども少し丁寧に一人一人の子の様子を観察してみると、自分の意志をうまく伝えきれなかったり、日本の子どもの遊び方、動き方の感覚をつかみきれない感じで、集団の動きの中でなんとなく出遅れている様子が感じ取られたり、あるいは気持ちがうまく伝えられないからのように思うのですが、動きがかなり乱暴で周囲から浮いてしまう子が目に付くのです。
これらの子どもたちの特徴、なんとなく「発達障がい」の子どもたちの様子とつながるところを感じないでしょうか。
たとえばみんなが静かに並んで先生の話を聞いているときに、姿勢も崩れ、じっとしていられない子どもの様子は「自己コントロールができない子ども」の姿につながります。集団の中でうまくその流れに乗り切れなかったり、いらいらして乱暴になったりする子の姿もやはり互いが目立つ子の自己コントロールの問題やあるいは「状況を読む力」の弱さとして見られたりはしないでしょうか。
保育園の時代には、まだこの傾向は「大人が困ってしまう」くらいに強く出ることはなく、だいたいはコントロール可能な範囲なので、そこに「著しい困難」があるとは見えないでしょう。実際保育園の先生たちはあまりそのことに気づかれたり深刻に受け止めている様子はありませんでした。
けれども小学校中学校と進むにつれて、適切に対処されることなく(そしてどう対処していいかもわからず)この小さな芽が大きく育っていくと、大人がコントロールすることが可能な範囲を超え始めます。すると「ADHDの見方の揺れ動き」で書いたように、「臨床域」に入ってきたように見える可能性が出てくるわけです。もともと発達障がいの診断の際に、「その行動の特性によって、生活に支障ができるようなレベルの困難が生まれているか」という点が診断の際に大きな判断基準となっているわけですが(榊原洋一「図解:よくわかる発達障害の子どもたち」など)、実際その「芽」が育つことで支障が生まれるわけです。
そうやってADHDなどの診断が行われやすくなる。そういう展開が十分に想像されます。また学校の先生も日本の子どもたちと同じような教育をしているのに、なぜ日系の子どもたちが特にそうなるのかがわからず、またどう対処してよいかわからず、普通級での教育に困難がある子ども、つまりは発達障がいとして、支援級の所属になるケースが多いのだという推定が成り立ちます。
ここで日系の子どもが特にそういう状態になりやすい理由として考えられることはとりあえず二つあります。ひとつはもともと持っているADHDの傾向が、異文化という困難な環境によって強く出たためであるということ。もうひとつはそもそもADHDの傾向も弱いのに、その子の文化的な特性によってADHDと見られてしまうということです。
前者については前回田中康雄さんの話に出てきたことでもありますので、ここでは特に後者について考えてみましょう。
ある客員研究員の方から聞いた事例ですが、規律に厳しいある幼稚園に、日系の子どもが入ったそうです。厳しいので、たとえば行事の集まりの時など、子どもたちは背筋をまっすぐにピシッと座っていることができる。ところがその日系の子は、最初は座っていたのですが、行事の中で音楽が流れるともう踊りだしてしまったりしたようです。
その話を元小学校教員の方にしたところ、やはり同じような体験をされていて、式の時に音楽が流れたら踊りだす子がいたそうです。
式などでほかの日本人の子どもたちが静かに並んでいるときに、じっとしていられない。先に私が保育園で見た日系の三歳児の姿と共通していますね。「ほかのみんながちゃんとできているのに、その子だけができない」ということになると、これは自己コントロールの問題で、音楽が鳴ると場違いに踊りだすのは「刺激に振り回される」傾向だとみられ、その時期に発達すべき能力が育っていないことだとみられる。ADHDと見られやすいわけですね。
ところで保育園の先生たちに日系の子どもたちの特徴を伺ったときに、その子たちの優れた部分として、リズム感の良さをよく挙げられていました。乗りがよく、音楽に合わせて踊ることが得意。で、逆にじっとしているのは苦手。
ここで私はサンバなどを思い出すのですね。実際大泉町ではサンバを日系の方たちが毎年やって、それが観光にもなっていました。あのリズム感、乗りの良さ。そして情熱的な姿。それはブラジルではとても普通=正常なことです。この感覚が多くの日系の子どもたちの身に沁みついている。
そうすると、式典の時に音楽を聴いて踊りだした子は、果たして自己コントロールができなかったのでしょうか。それともリズム感がよく乗りがよかったのでしょうか。
榊原洋一客員研究員は著書の中で「ADHDの子どもでは、多動性という行動特性がみられますが、同じ程度の多動性であっても、寛容な人には『活発な性質』ととらえられ、きびしい目で見る人には『過度の落ち着きのなさ』に映ります。」と書かれています。
ここでは見る人の違いという面から書かれていますが、これを社会(文化)と置き換えてみれば、全く同じ理屈が成り立つことになります。さらにいえば、寛容どころか、「積極的に推奨する」ということもありうるわけですね。
日系の方たちの中に、日本の診断に不信感を持つ方が少なくないという話も聞きます。なぜうちの子どもがそう見られなければならないのか、納得がいかないというわけです。
もちろんこのような受け止め方には、いわゆる「障がい受容」の問題が絡んでいる可能性もあります。けれどもおそらくそれと同等ないし同等以上にどのレベルの活発さまでを「当然」と考えるのかの感覚の文化差がある可能性が高いと思われるのですね。
発達障がいを、何か物のように固定的にとらえるのではなく、環境や周囲の人たちの感覚、価値観の違いによってさまざまに揺れ動きうるものとして柔軟にみる必要がある、と私が考える一つの理由はそういうところにもあります。その点を見誤ると、その子なりに持っている大事な可能性を、「診断名」の中に押し込めて殺してしまうような危険も十分に考えられます。逆にその可能性を伸ばすことに障がいになることもありうる。
もう一度田中さんの文を引用しておくと、そこで言葉は違いますが、同じようなことに注目されていると思えないでしょうか。
正直に言おう。ADHDだけでなく、発達障害全体において言えることではあるが、僕は以前と比べ、診断することにためらいがある。対峙する相手との二者関係づくりに腐心し続けている。その中で今更ながらであるが、時に診断をする行為が、キュアを目指すために、ケアを妨げる場合もあると感じ始めている。(p.45)
※ このようなどちらの言葉も中途半端になってしまう状態を「ダブルリミテッド」と呼びます。
- 自分を「客観的に見られない」理由
- 「なんでこんなことで切れるの?」
- 当事者視点を踏まえた関係調整としての支援
- 「定型文化」と「自閉文化」
- 傷つける悲しみ
- 自閉と定型の「傷つけあい」
- 「社会モデル」から「対話モデル」へ
- 障がいと物語: 意味の世界を重ね合う試み
- 誰もが当事者:わたしごととしての障がい
- 規範意識のズレとこだわり
- 「コミュ力低い」で解雇は無効という判決
- 「カサンドラ現象」論
- 「嘘をつく」理由:それ本当に「嘘」なの?
- 自閉の子の絵に感じるもうひとつの世界
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