はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

2020.01.15

いら立ちや怒りを包み込む笑い

連載、ヒオせんせいの面白教育実践の3回目が出ました。現役の支援級の先生の連載は、ほかの皆さんとはまた角度の違う話で、いつもたくさん刺激を頂いています。

今回のタイトルは「イライラ爆発 ~ うぅぅ~ わん!」。中身はぜひ直接ご覧ください。テーマは子どもとの間に生まれるマイナスの感情にどう向き合うか、という話なのですが、そこに笑いとやさしさが絡んできて、それがとても心にしみる感じがして、原稿をいただいてすぐにこんなメールをお送りしました。

【私から】

 関係の中にネガティヴな感情も包み込んでいくこと、
 そこに笑いが大切な要素としてかかわること。
 これ、ものすごく大きなポイントだなと思いました。
 そこに優しさが生まれるんですね?

そうしたら、早速こんなお返事をいただけました。

【ヒオ先生から】

 はい。
 相手の立場に立って相手が傷つくことをしたり、
 言ったりしないというような「優しさ」だけでなく、
 お互いにイライラして、傷つけ合ってしまうのは人間の弱さであることを理解し、
 許容できる「優しさ」を大切にする。

 差別や偏見に細心の注意を払う「思いやり」だけでなく、
 人間の弱さを受け入れる「寛容さ」を重視することで、
 お互いが自然体で付き合える関係を作り出してくれる気がしています。

 そして、このような関係を作り出すには、「まじめさ」に偏らず、
 「いい加減さ」や「遊び心」を重視することで生まれる「笑い」
 なのかもしれないと考えております。

これを拝見して、私が今の世の中の状況にずっと違和感を抱き続けてきたこと、解決していかなければならない問題と感じていたことが、そのまま素直に語られ、そしてそのために一番大事なことを指摘されているように感じて、ちょっと感動してしまいました。

世の中、いろんな場面で「やさしさ」や「思いやり」が強調される。「やさしい」ことや「思いやる」ことが悪いわけありません。でも、今の強調のされ方にはなにか「うわべ」だけの言葉になってしまうものを感じ続けてきたのです。それって、結局口先だけのものにならないの?本当にそれで問題が解決するの?というかなり深い疑問でした。

実際、やさしさや思いやりといった言葉がインフレを起こしていくと同時にそれとバランスをとるかのように、と私は感じるのですが、ネット上をはじめとして、他人への攻撃、差別、そして不寛容な言葉や姿勢が激しくなっていくように思うのです。

なぜそうなるかというと、その「やさしさ」や「思いやり」が、相手への「我慢」になってしまっているからだろうと感じます。「やさしさ」や「思いやり」が必要な状況はいろいろありますが、そういう態度をとらないと、関係がうまく保てなかったりする場合もあります。そういう時、相手の言動にこちらは本当は傷ついたりしている。あるいは怒りを感じている。でもそれを表現できない。それで「我慢」して「やさしく思いやりをもって」接しようとする。

そういう「やさしさ」や「思いやり」で相手の人の抱える問題が和らぎ、その人自身の力で解決に向かうことはあるでしょう。でも実際にはそうならないことが少なくないわけです。なぜならその「やさしさ」や「思いやり」が相手の人が抱えている困難にうまく向き合えていないためのごまかしになることが多いからです。そうすると問題は解決されずに逆に深まっていくことにもなりかねません。

「我慢」が続くことでそういう「やさしさ」「思いやり」に疲れていき、いつまでも解決しない状況に怒りがたまってくる。それはいずれ爆発する。そして攻撃的で破壊的な言動につながる。

今の世の中の状況はそういうことなのかなと感じるのです。

そこをどう乗り越えられるのか。そのむつかしい問題を考えるうえでの大事な手掛かりがお互いの「弱さ」を受け入れあうこと、というところにある。それが「寛容」につながり、自然な人と人とのつながりを支えていく。

攻撃や破壊はその裏に恐怖の気持ちを持ちます。脅迫は相手を力で従わせることですが、自分が破壊されないように相手を破壊する、それが攻撃でしょう。相手を破壊するには強くなければなりません。弱い自分は押し隠さなければならない。そうやって精一杯虚勢を張る。余裕はなくなります。寛容性は失われる。お互いにその状態になる時に、激しい戦いとなります。

お互いの虚勢を去って、緊張がやわらぐとき、そこに笑いも生まれます。桂枝雀師匠がかつて繰り返しおっしゃったように、笑いは緊張とその緩和から生まれるのですから(※)。そのとき、相手の弱さも自分自身の弱さも一緒に共有して笑える関係になり、そこに我慢とは無縁のやさしさが生まれてくるのでしょう。

※ 系統発生的にみても、笑いは緊張状態の緩和が必要な場面で発生し、それが進化してくるようです。チンパンジーにはすでに人間の微笑につながる表情や発声、そして人間の笑いにつながる表情や発声が区別されています。微笑はたとえば順位が上の個体に面する緊張した場面で、「私には敵意はありませんから、赦してちょうだい」といったメッセージを送るものとして機能し、笑いはレスリングごっこのように、戦いを「うそんこ」にして遊ぶような場面で「これは遊びだからね。本気じゃないからね」というしるしとして使われたりするようです。いずれも緊張状態を緩和して関係をうまく展開させようとするときに生まれる行動と言えます。

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