2020.01.07
K君に支えられる訳
年末に三十年余りへだててカナータイプのKくん、いや今はもうりっぱなおじさんですからKさんと言うべきでしょうか、彼に会えた話を書きました(三十余年ぶりの再会)。
30年余りを経てなお重い知的障がいをともなう彼が私のことを覚えていてくれて、再会を喜んでくれたということが、私にとっては自分でも驚くほどに気持ちの深いところに染み入って、変化をもたらしています。
彼は特に知的障がいを伴う自閉系の人によく見られるように、決して表情が豊かというわけではありません。嬉しさや怒りや悲しみ、戸惑いを素直に表しますが、それは意図的に表すというより、自然に表れると言った方がよい感じです。
なにかを共有しようとすることはあって、好きな看板を見ると、「○○あったね」と話しかけてくれて、それに対して「うん、○○あったね」とこちらが返してあげる、といった形で彼の方からの短い会話が時々あります。ただ、その数は少ないですし、語られる種類も限られていますので、スムーズなやりとりという感じではありません。
前に書いたように普段の表情は愛想の笑顔はなくて、どちらかというといつもむすっとしている感じです。それだけ見ると、自分が彼と一緒にいることが彼には嬉しいのか嫌なのか、それとも何も感じていないのかは見分けが着きにくい。
そんな状態で、お母さんと会話を続けながら、時々例えばケーキを食べたときにこちらから「美味しいね」など、彼の気持ちを勝手に解釈して語りかけるわけです。それに「うん」などと答えてくれることもほぼないまま、またお母さんとの会話が続いたり、といった感じになります。
私の方は、彼からの応答がなくても、こちらから時々語りかけることは止めません。それは未だ言葉のない赤ちゃんに、返事がないことを分かりながら大人が語りかけ続けることに少し似ています。
そんなわけで、語りかけることにどんな意味があるのか、と言われたら、無理やりこじつけた理屈を言うことはできるかもしれませんが、確信を持って言えることは何もありません。ただ、なんとなくそうしたいから、としか言いようがありません。はっきりした応答が無いのだから、彼には意味がないんじゃない?と言われれば、それを断固として否定するのも難しく感じ、「まあ自己満足かもね」とでも言うよりありません。
ましてやそんな付き合いが30年以上も経て、彼の中に意味のあることとして記憶してくれていることなど、中々自信を持っては言えないことでした。
もちろん、その当時、一緒に公園で遊んだり、遊園地に行ったり、障がい児の家族の皆さんと合宿で山登りしたり、マラソンしたり、色んなことがあったのですが、そんな思い出も、彼のなかでどれだけ意味のあることとして覚え続けてくれているのかは、なんとも自信がなかったのですね。
そういった私の自信のなさは、私が彼にとって何か意味のあることをできていたのだろうか、という自分自身への問いにも繋がります。私自身の自己満足を越えて、私は彼にとって意味があったのだろうか、という風にも言えるでしょう。
その事へのひとつの答えを今回の再会で彼がくれたことになります。
定型発達者は自閉系の人に比べ、表情や言葉など、色んな方法で、相手への気持ちを表現しようとする、そういう傾向がとても強いです。逆に言えば、自分の振舞いに対して相手のひとの応答表現がはっきりしないととても不安になったりもします。そこが自閉系と定型の間で関係を作り、維持するときの難しさともなります。
今回の私と彼の間での体験は、その難しさを定型の側から乗り越えていくためのひとつの大事な手がかりを与えてくれるような気がして、その事がとても嬉しくもあり、心に響いているのかなと思います。
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- 「なんでこんなことで切れるの?」
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- 規範意識のズレとこだわり
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- 「カサンドラ現象」論
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