2020.01.11
A君の「自立への挑戦」
「『僕は僕なんだから』のその後」で、A君が自分から生活の自立への意志を固め、それをお母さんに応援されながら一歩一歩現実のものとしていることをご紹介しました。
動画「僕は僕なんだから」に紹介されているように、A君は知的な遅れを伴う自閉症の特性を持ちつつ、ひとつひとつご自分のペースでいろんな挑戦を重ね、世界を広げ、就労にも積極的に挑戦して今は運送会社で社員として頑張っています。
ただ、生活上の自立はまだむつかしく、お母さんが一緒に暮らして身の回りの世話をしてあげる、という形で仕事を続けていました。
それが、「自分一人で暮らす」ことをA君が決意をしたのは、ある講演に参加したことが契機となりました。その講演会の最後に、動画「僕は僕なんだから」(※)が流され、参加された多くの皆さんがそれに引き込まれるように見られていました。涙を流されるお母さんたちの姿も多く見られました。
その様子をA君が会場の一番後ろの方から見ていたのです。自分のこれまでの生きてきた道のりと、そこに伴走するお母さんの思いが写真とメッセージで会場の皆さんにしっかりと受け止められていく様子を見て、彼の中でひとつの確かな思いが生まれたのでした。
講演会の後で彼に感想を聞いたときには、みんながちゃんと見てくれていた、ということを語るところまでで、A君はそれ以上の着飾った言葉はありませんでした。でも、それから間もないころ、一人暮らしを目指そうという決意をされたということに、十分にその思いが語られていると思います。
その彼の大きな挑戦への決意を支えたのは、「自分自身の頑張ってきた姿」をたくさんの皆さんに見てもらえたこと、その頑張りを受け止めてもらえたことでしょう。一言でいえば「肯定された」。
発達障がい児・者の支援は、A君のように知的な遅れを伴う場合も含め、「教え導く」ことではなく、ひとりの人としてその人なりに頑張って生きていく姿を応援することだ、と私は思っています。
ではそういう生きていく力を支えるものは何でしょうか。それがA君の場合、みんなにしっかりと自分の「人生」を受け止めてもらえたことだったのだ、と、そう思わずにはいられないのです。
私はまたA君から、人が生きていくってどういうことなのか、その大事なことを教えてもらえたような気持がしています。
※ 現在の動画ではなく、実際の写真を使い、またBGMにはA君が大好きなアンジェラ・アキの「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」が流れるものでした。はつけんラボでの一般公開のために、写真をイラストに替え、またBGMも変更して現在の「僕は僕なんだから」が作られました。
- 自分を「客観的に見られない」理由
- 「なんでこんなことで切れるの?」
- 当事者視点を踏まえた関係調整としての支援
- 「定型文化」と「自閉文化」
- 傷つける悲しみ
- 自閉と定型の「傷つけあい」
- 「社会モデル」から「対話モデル」へ
- 障がいと物語: 意味の世界を重ね合う試み
- 誰もが当事者:わたしごととしての障がい
- 規範意識のズレとこだわり
- 「コミュ力低い」で解雇は無効という判決
- 「カサンドラ現象」論
- 「嘘をつく」理由:それ本当に「嘘」なの?
- 自閉の子の絵に感じるもうひとつの世界
- 発達心理学会で感じた変化
- 落語の「間」と関係調整
- 支援のミソは「葛藤の調整」。向かう先は「幸福」。
- 定型は共感性に乏しいという話が共感される話
- 大事なのは「そうなる過程」
- 今年もよろしくお願いします
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