2020.06.06
脳の問題なのか、心理の問題なのか
発達障がいは脳の特性による、ということになっています。
発達障害者支援法第二条にもこうあります。「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるもの」
ここでいう「脳機能の障害」というのは、脳の働き方に生まれたときからの特徴があって、その特徴の結果その後の発達過程でいろんな困難が生じるようになる、ということです。つまり、「生まれつきの特性」であって「生まれた後の経験によるものではない」ということ、だから「親の育て方が悪いからだ」というような話ではない、ということを強調している意味があります。
脳の働き方の問題なんだから、脳を調べたらいい、ということになって、脳の生理学的な働きを調べてみたり、いろんな精神活動をするときに働く(または働かない)脳の場所を調べてみて、それが平均的なものと違うことが発見されると「これが原因だ!」という話になる。
実際、ADHDの特性を持つ方には神経伝達物質の伝わり方に違いがみられることがあって、そこを薬で調整することで、ある程度困難が緩和されますので、困難のレベルが低下して、問題に対処しやすくなるということが起こります。
ということで、ようするに「原因は脳だ」=「脳をコントロールすればいい」という発想が生まれやすくなる理由は理解できます。
これと対極的な位置にある考え方は「心の問題だ」という理解の仕方でしょう。人間の「心」というのは単なる脳という「物質」で理解することは不可能だ、という考え方にもつながりますが、発達障がいへの対処も、「心のケア」という形の対応が一番大事なんだという対応の仕方にもなります。
「心とは何か」ということ自体が大問題で、そこに踏み込んで話をすると終わらなくなるので、ここではおいておきますが、たとえば認知行動療法などは「理解の仕方」を調整する、という、ある意味で「心の働き」に注目して、そこを話し合いなどを通して調整することをやって一定の効果を上げています。療育の現場でよく使われているSSTなども「心の働き」を調整しようとするやりかたと言えます。
またカウンセリングなどでの「共感的なかかわり」というのも、少し別の形で「心」に働きかけるやり方と言えます。
そのどちらのやり方も、それぞれある得意分野のようなものがあって、その範囲では一定程度効果を持つわけですが、結局のところ発達障がいというのは脳の問題なのでしょうか、心の問題なのでしょうか?
答えはまあ簡単だと思っています。「脳の問題だし、心の問題でもある」という、ある意味バカみたいな単純な話だからです。なぜかというと、脳と心は別のものではない、という、これも単純な理解ですむ問題だからです。
たとえば何かを悩んでいるとき、その悩みは私の心の問題と考えられるのが普通でしょうが、その悩んでいるときに脳が働いています。脳が働かないで心が動く、ということはちょっと想像しにくいですね。少なくとも「心のあるところ、脳は働く」ということは言えると考えていいでしょう(ただし幽体離脱とか、幽霊、怨霊などを信じる方の場合は、そこは否定されることになります。体が無くても精神活動があるということになるので)。
逆に脳が活動していると心があるか、といえばこれはそうは言えません。この場合の心とは「意識」と言い換えてもいいですが、私たちが夢も見ずにぐっすり眠っている時は、心はないけど脳は活動している状態です。そこから脳がある活動のパターンを示し始めると、夢を見たり、目が覚めたりという形で、心が現れてきます。「脳がある形で働くとき、そこに心がある」という言い方もできるかもしれません。
心がないところでも脳は働き、それをベースに心が働きだす、とは言えるので、その意味では脳の問題が基礎にある、という風に言うことはできます。ただ、そこで「だから問題はすべて脳の問題なんだ」という風に理解してしまうと、おかしなことになるのです。
たとえばこんな例で考えてみましょう。ある人が悩んでいます。そして別の人がその悩みの相談に乗っています。言葉で語り合うことが多いですが、お互いの関係や問題の種類によっては一緒に泣いてあげるとか、抱きしめてあげる、といった身体的な働きによることもあります。いずれにせよ、相談に乗る人は別に「相手の脳を操作している」意識はふつうありません。ストレートに相手の心、気持ちに働きかけていると感じています。
そして実際人間はそうやって多くの問題を解決してきたのでした。ではどうやってか、というと「コミュニケーション」を通してということになります。つまり、心の問題は、コミュニケーションの問題でもあるということです。あるいは心はコミュニケーションの中に生まれ、コミュニケーションのシステムで調整される、と言ってもいいです。だからカウンセリングは特殊なコミュニケーションとして初めて成り立ちます。
ではそのコミュニケーションは脳に関係ないのかと言えば、もちろん違います。そういうコミュニケーションの中で心が働くとき、脳もまた働いているからです。ですから、コミュニケーションの中で人の悩みが解決するとき、それはコミュニケーションを通して脳の働き方が変化しているとも言えます。
この悩みが深くなりすぎて、もはや通常のコミュニケーションではなかなか調整しきれなくなることがあります。うつ病の状態もそういうものです。このとき、通常のコミュニケーションを成り立たせている言葉が力を失います。そこで精神分析などは、もうすこし違った言葉に翻訳して相手の人の悩みの意味を理解し、それを使って相手の精神に働きかけることで「治療」を行う方法を作り、一時は世界中を席巻するだけの影響力を持ちました。
そのやり方の限界が意識されるようになったのは、一つは統合失調症の症例です。そしてそれほどには一般の方には知られていないかもしれませんが、人格障がいもそうです。フロイトの娘のアンナ・フロイトたちが統合失調症の理解を頑張って、父親の理論を深めようと努力しましたが、結局うまくいかないまま、精神医学の方からもっと効果的なやり方が生み出されていきました。それが薬物療法です。
今では統合失調症については、薬物療法でかなり困難をコントロールできる範囲が大きくなり、以前であれば社会生活が困難になったようなケースでも、薬で対処しつつそれを維持できる場合も増えました。そしてうつ病もそう考え方に基づく薬物療法が効果を発揮していき、さらには発達障がいのADHD特性などにもその方法が応用されるようになっているわけです。(ただし人格障がいについては今のところ効果の高い薬物の話は知りません)
ただし、そういう場合でも薬だけでOKというわけではありません。実際、今時心療内科などでは、カウンセリングを補助的に使うのが多いですよね。つまり、言葉の力では調整しきれない部分について、薬の力で脳に直接働きかけて状態をコントロールし、そのうえで言葉を主体にした相手の心への働きかけによって、日常のコミュニケーションを調整し、社会生活ができるように持っていく、というやり方になっています。
ということで、心理的な問題に働きかける方法には二通りがあるんだ、というふうに理解することができます。ひとつは言葉を主体としたコミュニケーションで、言ってみれば言葉を使って相手の心に働きかけ、それは同時に相手の脳の働きを変えることでもある、という形です。もうひとつは薬物を主体として、脳それ自体をコントロールするような働きかけです。
目標はどちらも「この社会の中でその人なりに生きていけるようにする」ことにありますし、そしてその社会とのかかわりは、コミュニケーションによって可能になるのですから、その意味ではコミュニケーションの力を調整する、ということが結局は問題になります。
ただ、薬物ではこのコミュニケーションの力を直接調整することは不可能なので、薬物で脳の働きのバランスを整えたうえで、カウンセリングなどを通してコミュニケーションの力を調整することが不可欠になり、また言葉による働きかけの力が届かないところについては、薬物で脳の働きを直接調整することが必要になる、という相互依存の関係ができるわけです。
さて、こんな風に問題を理解してみると、発達障がいが脳の問題なのか、心理の問題なのか、ということについてはわりとすっきりした答えにならないでしょうか。先に述べたように「脳の問題でもあり、心理の問題でもある」のですが、それはその二つの問題は、結局のところその問題に「どういう角度からアプローチするか」、つまり、薬物で脳に直接働きかけるのか、脳の働きを基盤に生み出されているコミュニケーションの中に生まれる心に働きかけるのか、という違いに過ぎないからです。
ですから、脳の働きの調整困難がとても重い場合には、言葉などでの働きかけには限界が起きて、薬による調整が必要になることがあり、それが軽くなったり、あるいはもともと軽い場合には、コミュニケーションの中での調整が重要になる、という「場合によって必要な対処の仕方の重点ポイントが変わる」ということが起きるにすぎません。常にどちらか一方だけということではないわけです。
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薬物で脳(神経系)の働きを改善する行為はすごいなあと思います。いつか薬物によって自由に脳(神経系)を制御することができたら、惚れ薬を作ったり、痛みや恐怖を感じない無敵の兵士などSFの世界もできそうです。そう考えると心もお金で買える時代が、、、ちょっと怖いです。
ところで、20年前、医学部の脳研究所にいた同僚の実験で、ヒトの記憶には神経細胞膜のカルシウムイオンの取り込みが関与しているらしいという話を聞いたことがあります。内容は忘れましたが、こうしたことがわかっていくと、機能を調整する薬の開発や発見につながるのかもしれません。しかし、所長ブログを読むとそのあたりは一般的には分かっていないことなのかと思いました。まだ不明であるとすれば、療育教室で子どもたちと一緒に泣き笑いしながら支援している私でも、もう少し続けらそうな気になりました。