はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

2020.08.08

遠隔支援とテレワークから見え始めてきたこと:働くことと学びの変化

研究所ではずっとテレワーク体制です。

遠隔支援の模索で協力させていただいている現場のみなさんともすべてテレワークでやり取りをしています。
そうやって「遠隔」の世界に暮らし続ける中で、いろいろな発見があります。そのひとつ、「働くことと学びの変化」について書いてみたいと思います。

昨日の会議では、一人の方がやはり育休で自宅にいながらテレワーク体制で参加されていました。それで、赤ちゃんを抱いての参加なんですね。それで場がすごくなごみます。

私が奈良女子大に勤めていたころ、ある時昼間に子どもをどうしても預かって欲しいと頼まれて、大学で一時預かったことがあります。ちょうどそのころ、職場に子どもを連れていくことの是非について、いろんな議論が起こっていた時期かと思いますが、私はあんまり深く考えずにそうしました。

そのあと、奈良女子大には女性の先生も多いのですが、その私のふるまいが全く別の学部でもかなり話題になっていたことを聞きました。怒られたのかなとおもったのですが、逆でした。そういうことを求めている教員がかなりいたんですね。たぶん。

江戸時代は「職場」と「生活の場」はほぼ重なる、というのが一般的だったようです。今でも職人さんはそうだったりしますが、家が仕事場だったり、また農家の人は赤ちゃんをかごに入れて野良仕事に行くのが普通だったり。それが近代社会になって大きく変化します。職場と生活の場、両方の空間は切り離されるのです。

私が90年代に中国に初めて行った時に驚いたのも、職場と生活がほとんど区別なく一体化しているような暮らしの風景でした。お店の中で、お客さんが入ってくるその場でお弁当を食べていたり、職場にベッドがあってそこで普通に暮らしていたり(面白かったのは公衆トイレを管理している人もトイレに暮らしてたりもしました)。いろんな面で、私の目から見て「公私混同」とみられる暮らしぶりが普通にありました。

これも中国が「近代的な仕組み」をまだ導入し始めた時期の事になります。今では近代化された都市の商店などではそういう姿が見られなくなって、日本と同じになっています。

世の中が近代を超えてポスト近代がどんどん展開している中で、面白いことに、この「職住分離」の近代的な仕組みも逆戻りして「職住一致」になり始めているんですね。家庭に職場が入り込み、職場に家庭が入り込む。そういう状況が「最先端の技術」を使って新しい形で復活してきています。

遠隔支援の実践でも似たようなことが起こります。近代の学びは生活の場から離れ、「一般的な知識」を特別な場所に子どもを集めて教えるという形を広めました。もちろん江戸時代でも藩校は生活の場から離れたところに作られますが、まず藩校に通える人は人口のごくわずかです。またそこで学ぶ儒教の経典なども、日本の社会の中ではかなり建前の抽象論になる傾向があったと思われます(※)。

庶民の学校である寺子屋などは今でいえばいろんな意味で公文の教室に似ているところがありますが、生活の場の中にあって、自分の都合で行けるときに行き、適当に帰る。そこで使われている教科書は往来物とも呼ばれますが、たとえば手紙の往復書簡集みたいなものだったり、商売に関するものだったり、非常に「実用的」で「生活の匂い」がプンプンするものです。

近代的な学校はこれとは大きく異なり、生活の場から独立させて、学ぶ知識も生活からは離れた「一般的な知識」が中心になってきます。そこで評価されるのは「一般的な知識」や「抽象的な思考力」という、「なんにでも応用可能な抽象的能力」が重視されるようになり、生活の中で生きる具体的な知恵や知識などは背景に沈んでいきます。

ピアジェなどに典型的にみられる発達心理学の考え方も、その面での人の「一般的・抽象的能力」に注目するものが中心となりました。WISCなどの心理検査が「知能」という「一般的な能力」の測定を一生懸命にやろうとするのも、そういう近代的なものの考え方の流れの中で生み出されたものです。

そして今、ポスト近代の展開の中で、そういう傾向に大きな揺り戻しが起こっていると考えられるのですね。心理学の領域でいえば、ピアジェの「知能の誕生」という主著の一つをごく若いころに翻訳して、「これで私はピアジェを止めました」(笑)という浜田寿美男さん(研究所客員研究員)も、抽象的な能力ではなく、人が具体的な場の中で生活者として生きている人間の姿から発達や人間を描くことにずっとこだわってこられています。浜田さんの供述分析(証言の信用性などの分析)でも、決してその人の知力など、一般的な能力から単純に結論を出すことなく、「その人がその場に居合わせたとしたら、はたしてその人がこういう供述を行えるだろうか?」ということを、その人の視点から見た具体的な状況の確定と共に徹底的に突き詰めていきます。(※※)

現場のスタッフの方の遠隔支援の実践の中でも、とても面白いことが発見されてきています。それは遠隔というのは子どもを生活の場から切り離して「教室」に呼び出して「支援」するということではなく、改めて「生活の場に暮らす」子どもたちを、その場に支援者がお邪魔する形で支援することになります。そこには子どもの生活の様子が映し出され、教室で見せる子どもとは違う姿が見えてきます。家族もそこに参加して来たりします。

あるスタッフの方は、遠隔支援の開始時に、まず子どもが好きなものを画面を通して紹介してもらう、ということをされていました。子どもは自分が好きなものをよろこんで一生懸命に支援者に語るんですね。教室での対面では起こりにくいことがそこで起こり、教室での支援では得にくい子どもとの関係、「生活の場に根差した支援の関係」がそこから生み出されてきています。

というわけで、「働くこと」も「学ぶこと」も、近代社会で展開した「生活との分離」ということから、もう一度「生活との融合」の方向に戻ってくる形で、新しい支援の在り方を生み出しつつあるのだということになります。これ、人が生きる意味ということ、学ぶことの意味ということ、働くことの意味ということにも密接にかかわる問題ですから、かなり重要なことのように思います。さらに注目してきたいことです。

※ 本場中国でも儒教は「建前ばっかり」などと揶揄されることはありますが、ただそこで規定されている礼の実践は絶対的に彼らの生活をコントロールするものになっています。これは実際に実践できる人は財力その他の問題もあるのでそれほど多くはなかったでしょうが、親が死ぬと、子は墓のそばに粗末な小屋を建てて、3年間は墓守をする、というのが孝の礼として理想化されていたようです。なぜ三年間かというと、子どもは3歳までは親にすべてを依存して成長していっているのだから、その恩返しに3年間見送るのだ、という解釈を聞いたことがありますが、とにかくそのような喪の礼は社会全体で重視すべき基本的な道徳的行動だったわけです。だから親が亡くなった場合、喪のために職場を離れることも当然視されていたようです(どこまでの範囲の人がそれが可能だったのかはちょっと私は知識がないのですが)ところが日本に儒教が入ってくると、「心の持ち方」の方に重点が移るようです。その意味では儒教本来の意味が薄れ、孔子の言葉も形骸化した建前の知識になっていくのだとみることもできます。

※※ 浜田さんが若いころから心理学者として園児の供述の分析に取り組まれ、3度の無罪判決(有罪判決は皆無)と25年をかけて冤罪として確定した「甲山事件」では、徹底してこの「具体性」にこだわって、この子がどうしてこういう証言をするのか、を分析していきました。これに対して検察側の証人となったある教育心理学者の証言の趣旨はこういうものでした。「この子の知的な能力は、見たものは話すことができるが、嘘をつく力はない」というものでした。だから供述で語られた内容は事実と考えられる、ということになります。典型的な「抽象的能力論」による判断でした。具体的な内容は「証言台の子どもたち」などの著書でご覧いただければと思いますが、丁寧に分析していけば、被告の有罪を疑って子どもを繰り返して取り調べる取調官の質問によって、子どもたちが結果的に誘導されて経験していないことを供述していったことが浮かび上がってきます。そして判決はほとんど浜田さんの分析をそのまま肯定したものとなり、冤罪が確定しました。抽象的な理屈で人を勝手に決めつけることの怖さを思い知らされる例の一つですね。

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