2020.10.08
重度身体障がいの方への講義
客員研究員の引地達也さんが中心となって、これまで大学教育に様々な障がいによって参加しずらかったみなさんに、ネットを使った講義を提供しようということで「みんなの大学校」を今年立ち上げられました。
私も講義の担当を依頼され、今年は専門を生かす形で「発達心理学」を担当し、昨日がその第1回の講義でした(こちらにシラバスがあります)。
講義はzoomを使って50分。長時間の集中がむつかしい方があるということで、大学での一般的な講義90分より短い設定になっています。
中に二人、重度の身体障がいでベッドから参加の方がありました。Aさんは様子を拝見したところ、顔の向きを変えることもあまりされず、自宅に赴いて受講をサポートをされていた引地さんには目で合図を送るのと、具体的な装置は見えませんでしたが、おそらく指か何かの動きでコントロールするのでしょう、パソコンを使ってゆっくり文字を画面上に打ち出す形で話ができるようでした。
もうおひとりのBさんは体も動かすところを見ることはなく、また目も見えない方でやはりサポーターの方がベッド横についていらして、時々去痰をされながら受講を補助されていました。一応聞こえてはいらっしゃるということでしたが、どのようにその方とコミュニケーションを取られているのかはまだよくわかりませんでした。
私は重度の身体障がいの方とはこれまで接する機会がなかったので、さてどうやって講義を進めたらいいのだろうということのイメージもわかず、また画面越しに見るお二人は、Aさんは視線の動きは多少わかる程度で「こちらを見ていらっしゃるな」とはわかりますが、それ以上はわからず、Bさんは聴いていらっしゃるかどうかもこちらからはわからない、という状態で進めていました。
講義では「人は常に変化の中にいる」ということを強調するところから始め、途中には受講生が自分が子どもの時と今とで変化したことと変化していないことにそれぞれどんなことがあるかを考えてもらうという場面も入れました。
Aさんは、パソコンへの出力にだいぶ時間がかかったようですが、それを引地さんが読んでくださったところでは、今のようにパソコンで文字を打てるようになって、ずいぶん変わったということでした。
そのAさんの言葉がパソコンと引地さんを通して私に伝わった瞬間、私は「つながった!」と感じました。そしてそれまでは「なんとなく私の方を見ている」ように思えたAさんの目が、「しっかりと私の方を見ている目」に感じられるようになりました。
これは私にとってはとても大きな経験でした。身振りや言葉など、いわゆる健常者が通常使うツールを使えず、一目見ただけではコミュニケーションの可能性がわからない方と、パソコンとサポーターの方を通じてお互いの考えていることを伝えあうことができたのですね。一挙に「世界が共有された」感じにもなりました。
Aさんには早速、パソコンで表現ができるようになって、なにがどう変わったのかをいつか教えてほしい、という「宿題」を出しました。彼の体験をほかの受講者の皆さんとも共有して「発達とはなにか」を一緒に考えていきたいと思っています。
そういうやりとりを通して、今後お互いの世界がさらにつながり、広がっていくことがとても楽しみです。
- 支援者こそが障がい者との対話に学ぶ
- 「笑顔が出てくること」がなぜ支援で大事なのか?
- ディスコミュニケーション論と逆SSTで変わる自閉理解
- 冤罪と当事者視点とディスコミュニケーション
- 当事者視点からの理解の波:質的心理学会
- 自閉的生き方と「ことば」2
- 自閉的生き方と「ことば」1
- 自分を「客観的に見られない」理由
- 「なんでこんなことで切れるの?」
- 当事者視点を踏まえた関係調整としての支援
- 「定型文化」と「自閉文化」
- 傷つける悲しみ
- 自閉と定型の「傷つけあい」
- 「社会モデル」から「対話モデル」へ
- 障がいと物語: 意味の世界を重ね合う試み
- 誰もが当事者:わたしごととしての障がい
- 規範意識のズレとこだわり
- 「コミュ力低い」で解雇は無効という判決
- 「カサンドラ現象」論
- 「嘘をつく」理由:それ本当に「嘘」なの?
重度身体障害のあるお子さんの事例では、肢体不自由児特別支援学校での経験から、保有している感覚(触知覚・固有覚・視覚・聴覚・嗅覚)を総動員させながら、人と人とのやり取りを通じて、表情の変化、視線の動き、緊張が弛緩する、力が感じられるなどの微妙な変化をとらえて、フィードバックしていきました。手のひらと手のひらを合わせ、触覚の感じを感じ取りながら、表情の変化が現れたときにすぐさま、握り返したり、そーだねなどど、返していきました。その時期は触二点弁別などの研究もしていましたので、触れる位置や、手の圧の工夫「ふわっと」触れている感じで、筋緊張の変化を感じ取って、微妙な触覚の変化で返していきました。療育の中で、力を入れて緊張=応えている とわかります。感覚のフル活用で返していきます。1年経過していくと、表情もゆたかになっていった子供がいます。やはり関係性の中で、発達速度がゆっくりでも、変化を感じ取ることができました。わたしの研究の中で、筋電図や脳波計、さらには体組成の測定なども使用していくこともありましたし、バランスの研究では、立位重心動揺計などりようしたりしました。心の部分と身体反応などつながっているととらえているからです。ダマシオの文献からも、つながっているものがあります。動作法・EMDR・TFTなど身体からアプローチするものはとても興味があります。今後も、重心のこどものケースも積んでいけたらと考えています。
このあたり、直接触れ合う中で伝わってくるものの重要性は特に「言語以前」の段階で決定的な重要性を持ちますね。
大内さんもまだ言語的コミュニケーションができない自閉のお子さんと、手をつないでぎゅっとつかむ、つかみ返す、といった「やりとり」を成立させることから、お互いのコミュニケーションをぐっと広げていかれるという優れた実践をされていて、すごいなあと思っています。
さらに重度身障者の場合はそういうようなコミュニケーション以前のところで「相手の存在を感じ合う」ことが大事になるのでしょうね。
障がいのタイプやその重さは様々ですが、それぞれの状況の中でお互いを感じ合う関係づくりが模索できるのかなと思います。いわゆる「植物状態」の場合はどうなのかなということはまだよくわかりませんが。