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はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

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2021.03.21

逆SSTと裏SST

研究所の新しい試み、逆SST(SST-R)はおかげさまでみなさんからたくさんの関心と、当初想定した4倍近い方からの参加申し込みをいただき、参加された方からの感想もうれしいものがたくさんありました。逆SSTは定型にはなかなか想像力が働きにくいところがある発達障がい者の感覚、発想から、果ては倫理観や人生観までを、少しでも対話的に理解していく試みですが、その趣旨をよくくみ取っていただけたように感じています。ある研究者の方は「ありそうでなく,さらには, 障害や支援の概念をも問い直す重要な内容」と言ってくださいました。まさに私たちの思いそのままを受け止めていただいたように思います。

定型の作法を身に着けてもらうのがSSTなら、その枠にはまらない発達障がい当事者にとってのSSを理解する努力が逆SSTです。ある意味方向を逆転させただけの単純な発想とも言えますし(※)、みなさんそれは大事なことだとどこかで思っていらっしゃっていたから、こんな形で反響をいただくのでしょう。

 

それはさておき………

昨日、とても面白いお話を聞きました。ある研究者の方の子育てテクニックです。

子どもが歯磨きを嫌がるとき、みなさんならどんな風に磨かせますか?「ちゃんときれいにしようね!」と優しく励ますか、「磨かなきゃ虫歯になるだろう!」と脅すか、「ちゃんと磨いたらご褒美上げようね」と釣るか、まあいろいろあるでしょう。これもある意味ではSSTの一種ともいえそうです。

で、この方は全然その逆を行きました。もう絶対歯を磨きたがらない娘さんに、逆に磨かないことを促しちゃうんです。歯には虫歯菌くんがいて、その虫歯菌くんが「おねがいだから歯を磨かないで!○○ちゃんの歯が汚いのが大好きなんだ、ぼく。まっくろになろうよ」と言ってるよ、と話してきかせる。そうするともう喜んで歯を磨きだしちゃう。磨き残しがあると、「ああ、そんな磨き方だと僕まだ残れちゃう!ありがとう!」というと一生懸命磨いてしまうそうです。

またお風呂に入りたがらないときには緑膿菌くんが出てきて、「○○ちゃん、大好き!○○ちゃんのお肌ってべとべとしていて、脂っぽくって、緑膿菌が住みやすいんだよね!」というと、一生けんめい、嬉々として体を洗い出す、といった具合です。

私も大学院生のころに3歳児までの保育室でパートの保父をやっていたとき、お昼寝をしない子どもたちにおもちゃのワニさんなどを示しながら、「あ、ワニさんが、みんなが寝ないか見てる!寝ない子食べちゃうって言ってる!」とか言うと、子どもたちがあわてて「ワニさん、もうお布団に入ったからね!」と言いながら布団に頭から入るテクニックを面白がって使ったりしていました。

どちらもイメージを使った遊びで子どもに狙った行動を促すというところでは同じなのですが、促し方の方向が逆というところが面白いところです。性格の良い(笑:または単純な)私は素直に「そうしましょうね」という方向で促していますが、この方の場合は「そうしちゃだめだよ」と逆方向をやるわけです。「正しいこと」を示すのではなく、「悪いこと」を面白く示すことで逆に「正しい」振る舞いを促してしまう。

ということで、通常のSSTとは違うSSTを探る「逆SST」とも違う、これは「裏SST」といえるかもしれません。SSTの裏側の促しによってSSTを実現してしまうわけですから。

私もこういうおちゃめなやり方は大好きですが、この話は実は子育てに限らず、「表」の意味を「裏」とのセットで感じ取ったり、理解したり、身に着けたりする、というのは、人の精神にとってとても大事なことだ、という議論の中で紹介されたんですね。

 

人間だれもが表もあれば裏もある。裏のない表はないし、表のない裏もない。光があれば陰がある(※※)。その一方だけに目を向け、一方だけを強調すると、実は光が光を失い、闇が闇でなくなる。そして人のいのちの豊かさは失われていくのだろうと思います。

………という話はまあおいておいて、

 

こちらも逆SST同様、単純に、シンプルに面白い話です。子どもといっぱい楽しめます。こういう「療育支援」は大人も子どもも楽しいでしょう。虫歯菌くんも緑膿菌くんも、実は強情を張る○○ちゃんの一部です。その「悪い○○ちゃん」が虫歯菌くんや緑膿菌くんというキャラとして「視覚化」されて迫ってくる。

いい子ちゃんにむりやりならされるのではなく、自分の中の悪い子ちゃんとのちょっとした緊張関係の中で自らいい子ちゃんを選び取っていく。このちょっとしたスリルが楽しいんですね。それは人から押し付けられたものではなく、自分の中にあるいい子ちゃんと悪い子ちゃんの葛藤からスリリングに生まれてくるものです。こういう楽しい療育支援が広まっていくといいな、と単純に思います。

 

※ 実際にはこの発想がこういうひとつの形になるには、長い間の当事者との対話的な相互理解の努力、たくさんの研究者の皆さんとの間で展開されてきたディスコミュニケーションに関する長年の議論、対話的異文化間相互理解のための理論的・実践的研究の、かなりの積み重ねがその土台として作られてきたのですが、でもそういう形で突き詰めてきたことは、最後はとてもシンプルにまとまるのですね。シンプルですから、それだけ安定するだろうとも言えそうです。

 

※※ あるものは矛盾・対立する二つの側面が一体化する形で成り立ち、そのこと自体がそのものの動きを生み出す、といった発想については、西洋哲学では弁証法のなかの矛盾(対立物の統一)という考え方がそれにつながりますし、東アジアでは「陰陽」の考え方がそれそのものですね。太極図はそれを理念的に表したものになります。基本構図は似ていますが、弁証法ではそれが発展を生み出し(直線的な時間)、陰陽思想では同じところでぐるぐる回る(円環的な時間)という見方の差があるのも興味深いことです。いずれにせよこのような発想は実は人間の歴史の中ではそれは特に新しいものでもなく、昔からかなりひろくずっと重視されてきたものだろうと思います。【障がい】も、いわゆる【健常】との対比で成立する概念ですし、逆に言えば【健常】は【障がい】との対比で初めて成立する概念です。その意味では両者は常に相互依存的な関係にあるといえます。そして時代と共になにが障がいで何が健常かという区分けも変化していきます。その問題もこういった矛盾や陰陽の発想から考え直しても面白そうです。

 

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コメント欄

  1. じんべい じんべい

    昨日の逆SSTを楽しく視聴させて頂いた知的刺激が冷めやらぬうちに、裏SSTなるものまであるとは大きな驚きです。
    この記事を拝読して「定型と障害の社会史」という切り取りかたで時代や価値観の変遷についてまとめた研究はないものかと思いました。
    また、卑近な例で恐縮ですが、イヤイヤ期のお子さんがおうちに帰りたがらない時に、「いいよいいよ帰らなくていいよ。ずっとずーっとここに居ていいよ~」と応じると、そのお子さんが「いや!」と言いながらせっせと帰り支度を始めたことを思い出しました。