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はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

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2019.09.25

外側からの理解と内側からの理解(1)

 
 
 子どもを理解するとき、外側からの理解の仕方と内側からの理解の仕方をとりあえず分けて考えることができます。

 外側からの理解というのは、何か基準を外側にもうけて、それを物差しとして子どもを理解する方法で、しばしば客観的な方法と見なされるものです。
 
 たとえば発達支援に使われる多くの心理検査はそういう形で子どもの状態を理解するわけですが、その物差しをどうやって作るかというと、最も基本的な方法は「平均を基準とする」というものです。
 
 身長などとは違い、人の心理的なものは、それに直接物差しを当てたり重さを量って調べることができません。それでどうするかと言えば、何かの作業(課題・問題)をしてもらい、どのくらいできたかで点数をつけます。そしてたくさんの人にその作業をしてもらい、点数の平均を出すのです(※)。
 
 その平均とどれほど違うか、ということで、その人の特徴を決めるという方法になります。
 
 また、色々な種類の作業をしてもらって、それぞれについて同じ様に平均との違いを計算すると、その人個人の中でどういう面が得意で、どういう面が不得意かといった、その人の個性を、平均値を物差しに使って見ることができるようになります。
 
 このように、たくさんの人のデータを基本として、それを物差しにし、心理的な作業の能力を数値化して「測定する」という方法を使うことで、その子の発達の力について、ある程度客観的な(個人の思い込みにならない)評価をすることができる、という発想がそこにあります。
 
 このように物差しを作って数値化すると、数字の大小自体は誰が見ても同じように共有されますので、お互いの理解を共有する上ではとても有力な手段になります。
 
 いわゆる実証的な心理学ではこのような数値化の手法はとても重視され、数値化されるとあとは確率論を応用した統計分析とか、相関関係を使った多変量解析といった数学の応用によって、色々なことを明らかにする可能性が出てくるのですね。
 
 さらに現在は、頭の中の仕組みをコンピューターの情報処理をモデルにして、一体どういうプログラムで人間は外部の情報を理解しているのかを、シミュレーションでさぐる、といった研究も盛んですし、その情報処理が脳のどの部分で主に担われているのかを調べようとする、脳科学的な研究も盛んです。
 
 
 他方で心理学にはこのように数値を分析したり、情報処理過程をシミュレートしたりする研究とは異なり、人間にとっての「主観的な意味」の世界を探ろうとする研究があります。そこにも色々な分野がありますが、量的な研究に対して質的研究とか、「質的心理学」といった名称で呼ばれたりしています。
 
 色々なところでそれが使われますが、日本の質的心理学会を例に言えば、看護士さんたち、あるいは看護学の方たちも創立時からかなりたくさん参加されました。
 
 看護士さんは、患者さんの痛みや苦しみ、不安に付き合っていかなければなりません。その時に、数値化した情報は、どんな意味をもつでしょうか?
 
 たとえば仮に血液検査で、その人の痛みの大きさによって変化するような何かの物質の量が測れるとします。そして強い痛みを訴える患者さんの数値を測ったら、その量はかなり少なかったとします。するとある見方からは、こんな言い方が可能でしょう。
 
「この人は客観的には(つまり検査数値のこと)痛くないのだ」
 
 これってどんな意味があるでしょうか?そういう基準で考えると、たとえば患者さんへの言葉かけがこうなるかもしれません。
 
「あなたは本当は痛くないんです。痛いと言うのはあなたの主観的な思い込みにすぎません。気にしないことです。」
 
 あるいはそうは直接言わなくても、「この人は本当は痛くないのに、そう思い込んでる」といった目で見ることになるでしょう。
 
 もしかすると「その通り」とこれを読んで考える方もあるかもしれませんが、「そりゃおかしい」と思うかたもいらっしゃると思います。少なくともそう言われた患者さんが「ああ、安心しました。痛みがなくなりました」という風にはなりませんよね。むしろ自分の痛みを理解されないことにますます苦しい思いをするはずです。
 
 質的研究でよくやられたもののひとつに、自分の大事な人の死に直面させられた方たちの苦しみや、その癒しの過程を理解しようとするものがあります。喪とかグリーフケアの話に繋がることです。これもまた数値で分析できるものとはちょっと違います。素朴なはなしで本人に「あなたの苦しみのレベルは10段階で評価したらいくつくらいですか?」と尋ねて、その数字の変化を記録して、関わり方の効果を見るといったことはある程度可能ですが(※※)、そこでも大事なのは結果としての数値ではなく「関わり方の質」の方で、その関わりのなかでその人の苦しみをどう受け止めるのかが問題となります。
 
 人が生きるとき、その人にとって大事な出発点は「その人自身が主観的にどう感じているか」ということ、「その人の主観的な意味」の世界で、幸福に生きることも苦しみを抱えることもそのような意味の世界に現れることです。
 
 その世界に迫ろうとする理解の仕方は「内側からの理解」ということができます。(次回に続く)
 
 
※ もう少し正確に言うと、平均とデータの散らばり方(通常は分散という数値を使います)を調べます。ある人の得点が平均からどの程度離れているのかを決めるために、分散から導き出す標準偏差を単位にその何倍といった形で相対的な位置を決めるのです。
 
※※ ただしここでの数値は「痛みのレベル」を、「今はさっきより強い」「昨日より弱い」などといった相対的な順序で並べるだけのもので(統計用語では順序尺度といいます)、数値2より数値1は二倍強いと言った、加減乗除も可能なちゃんとした値(統計用語では比例尺度と言います)にはなっておらず、しかもその評価は自分の印象だけで行われ、他者からの評価はできないのでとても主観的だと言え、「客観的」に調べるということを理想とする見方からすれば、その理想とかなり遠いものです。

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