はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

2019.11.15

R君の積み木(9)大人の働きかけを組み込む

R君の積み木遊びに新たな面白い展開が見えてきています。大人の人の関りを取り込んで遊び始めているのです。

最初はR君が何をやっているのかわからなくて、どうかかわっていいのか、どこでR君と遊びを共有できるのか、試行錯誤の日々だったスタッフの皆さんやお母さんとの間に、意味のあるかかわりの芽生えが見られ始めているのですね。石黒先生のご紹介を箇条書きにまとめ直してその様子を見てみます。⇒は先生やお母さんの関りの部分、「 」内は石黒先生のコメント、【山】は私のコメントです。

<入校時の様子>

① K.R君はガラス扉内の指導員を見つけると、笑いながら逃げる(?)、隠れる(?)動き。
 「私としてはとても楽しい反応なのですが、なかなか入ることができず、お母さまのストレスがたまりそうなので、入室されるまでは姿を見せない方がいいのか思案しております。」

【山】 「(指導員を見つけると)笑いながら逃げる」「隠れる」といった動きは、明らかに楽しい気分の中で親しい人にR君から働きかけている様子ですね。

自己意識(自己認知)の発達という観点から見ると、単に「逃げる」のか、「隠れる」のかには大きな差があります。なぜなら「逃げる」だけの場合は、単に相手を意識して、「逃げる→追う」といったやりとりに誘っているだけですが、「隠れる」というのは「相手が自分を見ている」ことを意識して、「相手に見えないように自分を隠す」ということなので、とても高度なふるまいと言えるからです。「逃げる」にはこの「相手の視線の外側」という複雑な意識が必要ありません。

石黒先生はここで「どっちなのかな?」と迷われていますが、まだ「隠れる」は少し早いかなという気がします。もし「隠れる」ということが見られたらまた大きな進歩ということになります。いずれにせよ、こんな形でR君の方から積極的に遊びに誘ってくれることはうれしいことですね。

ところで昔、客員研究員の麻生武さんが、大学院生たちと一緒に、幼稚園の「かくれんぼ」の研究をされたことがありました。とても面白くて、年少児などは「あまたを隠す」んですが、体が外に出ていたりします。「頭隠して尻隠さず」ですね。これが年長になるにつれて、「相手に見えないように」注意して「体全体を隠す」ようになります。

これは何を意味しているかというと、「頭だけ隠す」のは「自分の見えている世界から相手を消す」という形で相手の視線を意識していることです。つまり「自分の見えの世界」が中心で、「相手からどう見えているか」ということについてはまだぴんと来ていないと考えられます。

これに対して「体全体を隠す」というのは、「相手にとって自分がどう見えているのか」ということをしっかり考えて行動していることになります。ここでも「自分の見え方」から行動するという自己中心的な視点から、「相手の見え方」を考慮して行動するというより客観的な(間主観的、または共同主観的 ※)な視点に、子どもが発達していく様子が見て取れるわけです。

<入室後>

② K.R君はドアを入り、靴を脱ぐために座ると急に無表情になり、靴を脱ぐ作業に入る。
 「このギャップ(?)も面白いなと見ております。」

【山】 急に無表情になる、というのはそれ以前の追いかけっこを誘いかけて楽しむ、という「人との活動」の気分がここで急に切り替わったことを意味しています。

なぜそうなるのかはまだはっきりわかりませんが、一つの可能性は「人との活動の気分」と、靴を履くという「物への活動の気持ち」がまだつながる段階にないからかということでしょう。つまり「<人を意識>しながら<物にかかわる>」という、二つのことを一緒にすることがむつかしい段階だという可能性があります。

<積み木の活動内容>

③ K.R君はつみきの箱から全部出し、「積む→崩れる」を繰り返す。
 ⇒その横で、指導員は列車に見立てたものを作る。

【山】 ここではR君が「積み木の箱から積み木を全部出す」ということが「積み木で遊ぶ」という目的をしっかり持っていること、そしてその時「積む→崩れる」という遊び方を最初からちゃんと目的としてイメージできていることがわかります。

ここで先生が横でその遊びにもう一つ新しいことを提案している点が注目点です。それをR君が受け入れるかどうかは「ほかの人の活動を取り込む力」にかかわるからです。

また、そこで先生が全く新しいことを提案しているのではなく、「列車のみたて」という、R君がそれまで繰り返してきた遊びを見せて誘っているところも大事です。つまりR君に可能なこと(わかりやすいこと)を使って、外から働きかけるという方法を使っている点で、足場かけ(スキャフォールディング)としては今のR君には適切と思えるからです。

もう少し柔軟に周りの活動を取り込めるようになってきた後は、それまでR君がやったことのない新しいことを少し入れてみることも意味が出てきます。どちらがいいかはやってみてR君の反応を見て調整すればいいですね。

④ K.R君はそれをさっと集めて元の所に積む。
 ⇒お母さまはお家に見立てたものを作る。

【山】 この場合はR君はまだ先生の働きかけを自分の活動に組み込むより、自分がやっている活動を続ける形になっています。ただ、「先生の働きかけを拒否する」という印象は受けません。それより「積むべき積み木を先生に補給してもらっている」みたいな形での受け入れになっている可能性も感じます。それもまたひとつ「人の働きかけの受け入れ方」と言えるでしょう。ただ「列車の見立て」という「見立て(意味)」の共有にはまだなっていない、その前の段階と言えます。

お母さんもここでR君との見立ての共有に積極的にかかわられ始めています。R君に今の段階でそれがうまく伝わるかどうかは別として、そんな形で「次のステップ」に向けてモデルを示してあげることには意味がありますね。自閉の子は結構観察力もあったりしますし。もちろん「わかりやすいモデル」であることが必要で、特にR君の活動を邪魔するような形にはならないことが大事です。

⑤ K.R君はそれを崩してさっと集めて元の所に集める。
 ⇒これを2~3回繰り返す。

【山】 ③と基本的に同じ展開になっています。ここで注意したいことは、「大人が何かを作る」→「R君がそれを崩して別の場所で集める」というやりとりが「2,3回」繰り返されていることです。子どもの遊びの発達の中で、こういう繰り返しというのは(子ども自身が拒否するのでなければ)大事な「やりとり」の練習にもなります。

そういう単純なパターンの繰り返しで子どもは新しい遊びの技を身に着け、やがてそのパターンに工夫を加えて一部変えてみたりして遊びを発展させていく素材にしていきます。

⑥  ⇒指導員が再現1の写真の形を作ると、
K.R君は上から力を加えて崩す。
 ⇒2~3回繰り返す。

【山】 やはり⑤からの展開で、「大人が作る」→「R君が崩す」というやりとりパターンが展開しています。さらに注目すべきことは、そのやりとりを先生が「主導する」という形が取れ始めていることです。自閉の子は「相手に合わせて行動する」ということに苦手が多いのですが、ここではこういうシンプルな形ですが、「先生の誘いに応じる」形ができてきています。

⑦  ⇒再現2の写真の形を作る
K.R君は上から力を加えて崩す。

【山】 ⑥の展開は偶然ではなかったことがここでもわかりますね。R君は今、この形でのやりとりに関心を向け始め、そういう形で大人の働きかけを受け止める力をつけ始めているのです。

⑧  ⇒「はいどうぞ」と上の一枚を渡す
K.R君は「載せる→崩す」を4~5回繰り返す。

【山】 さらに複雑になりました。

「渡す」→「(受け取って)載せる→崩す」→「渡す」→「(受け取って)載せる→崩す」→……

という展開がみられるからです。ここで大事なことは「渡す」→「受け取る」というやり取りが遊びに組み込まれていることです(そこで受け取る時に「相手を見る」ことが加わるかどうかも注目点)。単にそこに作っておいてあるものを使う、というレベルを超えています。「渡す」という人の働きかけを積極的に受け入れ始めているのですね。

さらに「受け取った後載せる」というステップが入っていることも注目です。これを③と比べてみましょう。

③ 「積む」→「(結果として)崩れる」
⑧ 「受け取る」→「載せる」→「(自分から)崩す」

「渡す」という人の働きかけを受けながら、それを自分の積極的な遊びに組み込んでいます。「崩れる」と「崩す」は本人の活動の「意図」がどこまではっきり入っているかの違いでもあります。ある状態(崩れる)を作り出すことを積極的に行っているかどうかは、以前に書いた「結果に注目する」力の発達そのものにかかわっています。

⑨ K.R君はその後、写真のように、崩されず上に載せはじめ、周りにも並べてる。
 「このように上に載せられたのは初めてです。」

【山】 「崩す」と「作る」とは、「作る」方が何倍もむつかしいことです。しかも大人の作ったものをベースに、それに積み木を積むというそれまでの自分の遊びを加えているのです。ほんとに感動するくらい、大きな展開がみられていますね。

<次の日、入室後>

⑩ K.R君はすぐにつみきの箱を下ろす。
そして、写真のように積み上げ始める。
 「お母さまと「昨日の事覚えていたんだ」「楽しかったのかな」とお話ししました。」

【山】 お母さんや先生と始めた新しい展開を自分から次の日に再現する。つまり、ここで「大人の働きかけを取り込んだ新しい遊び方」がR君の中で楽しい活動としてちゃんと定着したことが見て取れるわけです。

前に紹介したように、R君はすでに大人に要求するようなふるまいはいろいろ見られていました。その次のステップは、大人の要求にこたえられるようになることでした。その重要なステップが確実にR君の中に作られていることがここで確認できるわけです。

さらに、そのR君の成長をお母さんと先生が共有される。そのこともとても重要ですね。

<次の活動日(翌々日)>

⑪ K.R君は一番手前(取りやすいところ)にあったつみきには触れず、しない。
 「一日あいたからなのでしょうか。わからないのですが、この日は粘土を長い時間されておられました。」

【山】 もちろんR君は「自分のペース」が大事なので、日が替わったり状況が替わったりすれば、また同じ遊びを、それを期待している大人に合わせて行うというわけではありません。その意味では「期待が裏切られた」という感じをもしかすると大人は持つかもしれません。

でも、そういう揺れ動きの中で、R君は自分のペースでひとつひとつ歩んでいくのでしょう。積み木と粘土と、いろんな遊びが育っていって、それらが組み合わさっていくようなことがあれば、それもまた楽しみですね。
 
 
※ 間主観性や共同主観性といった言葉はいろいろに使われていますが、ここでは自分の主観的な認識が、相手の主観的な認識との関係で成り立っている場合の主観の在り方(たとえば「私が見ているこのおもちゃを、相手も見ている(あるいは相手の人も見ることができる)」という理解のもとで、それを見るような場合)を間主観的な見方といい、自分以外の主観からもそれを見ていることを理解する、という意味で「客観的」な見方の基本と考えています。さらに私は間主観性を足場として、第三者的な見方(主観)からも同じようにそれを見ることができる場合を共同主観的と言い、両者を区別して使っています。発達的に言うと、この共同主観的な認識の枠組みが安定してできはじめるのが、EMS(拡張された媒介構造)が安定して成立する3歳ごろからだと考えます。科学的な認識もこのような第三者的な「客観的」視点から物を理解する、という見方を足場に成り立っています。文化の認識もこのレベルから成り立ち始めます。

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