2020.01.24
受容と従属(続)
受容と従属では、こどもの要求が「誰にでも認められるべき公平で正当と認められるもの」か、「自分の個人的な欲求を満たすだけの特別扱いを求める」ものなのか、という違いから考えてみました。
もちろんこの区別だけでは「受容」という大事な考え方についてはまったく不十分な説明ですし、「従属」についてもこの言い方だけだと「その人たちが抱えた特別の条件に基づく合理的配慮」までもがわがままで理不尽な要求ととらえられてしまう危険があります。
まず受容について言うと、例えばカウンセリングでは、社会的には容認されないようなクライアントの思いも「受容」することが必要な場合があります(※)。例えば「あいつを殺してやりたい!」とクライアントが語ったとしても、その思いはいったん受容しなければならない。
ただそこで特に大事なことはそのときの「受容」はその意見に賛成することではないし、ましてや「その通りだね、一緒に殺しにいこう」と言うことでもありません。
「私はそうは考えないけど」という大前提を自分がしっかり持った上で、「あなたがそういう気持ちになったことはわかった」と言うことであり、さらにそこから「なぜあなたはそういう気持ちになるのか」を考え続け、「なるほどあなたの立場やあなたの経験から考えれば、そう思ったとしても無理はない」とか「むしろ当然にも思える」という風に「共感」することです。
大事なことと思うので繰り返しますが、このような共感を伴う受容の大前提にあるのは「私自身はそう考えるわけでもないし、別の考え方もする」という自分の立場をしっかり持てていることです。
つまり共感は相手との区別がなくなってしまうこと、相手に飲み込まれてしまうことではなく、相手とは違う自分をしっかり保ちながら、「相手の立場、視点に可能な限り接近して」、「(自分ではない)相手の思いを理解すること」で、そうしようとする姿勢のなかで相手の思いをそのままに受け止めようとすることが「受容」になるわけです(※※)。
このことを少し違う視点から言うと、「受容的な共感」ができるには、相手の理解と共に、「相手とは違う自分自身の理解」が必要になる、という風にも言えます。
少し話が抽象的になりすぎたかもしれません。もう少し簡単に言えば、必要な「受容」というのは相手に飲み込まれることなく、相手の思いをそのままに受け止めようとすることと言えます。
ここで受け止めるのではなく、おかしな要求を受け入れてしまったときは、それは相手に飲み込まれること、支配されることです。子どもの状態によってはいったん「譲ってあげる」ことが必要なこともあると思いますが、それはあくまでその子の気持ちを一度落ち着かせて次のステップに繋げるための一時的な工夫です。
子どもの主体性を無視して大人が子どもを支配することはいけないのと同じで、一人の主体性を持った人としての大人を無視して子どもが大人を支配することもおかしなことです。
なぜそれがおかしいかと言えば、「相手を自分と同じ人として尊重し、お互いに納得できるところ、折り合いのつくところを目指して生きていく」という社会性の基礎が失われてしまうからです。相手に飲み込まれ、支配されるということは、相手が他者を認めて人と人との関係を作ることを不可能にすることでもあるわけです。そういう関わりからは子どもが相手を認めることができなくなり、その社会性は育たないでしょう。
子どもを飲み込んでしまうのでもなく、子どもに飲み込まれてしまうのでもない関係を模索していくこと。自分が「暴君」にならず、相手も「暴君」にしないこと。実際にはとても微妙で難しさを伴うことですが、行きつ戻りつその事を目指すことが大事だと私は感じます。
※ 特にロジャース派はここを重視すると思います。
※※ ただしこのような説明の仕方はおそらくとても定型的というか、非自閉的な感覚からの説明になっていると思います。自閉的な感覚からいうと、「そもそも相手の感情をちゃんと理解することなどできるはずがないし、自分と相手が違う人間だなどということは当たり前すぎて、何でそんなことをわざわざ言わなければならないのか、理解できない」ということが大前提になる方が多いように思えるからです。この点はまた改めて考えてみたいことです。
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- 障がいと物語: 意味の世界を重ね合う試み
- 誰もが当事者:わたしごととしての障がい
- 規範意識のズレとこだわり
- 「コミュ力低い」で解雇は無効という判決
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