はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

2020.05.27

新型コロナと発達障がい問題(2)遠隔支援が求められる状況の持続

 8割おじさん(西浦さん)の話をもう少し進めます。彼が今後の展開について危惧しているのは以下のようなことです。

 実効再生産数を完全に0にする確実な方法は、誰も誰にも接触しない極度の「自粛」状態を作ることです。でも当然それでは人々の生活は成り立たず、病死を免れても経済的に死んでしまうということが起こるので、経済的にも生きられるようにある程度の感染リスクは覚悟でそれを緩めなければならない。

 ではどこまで緩めたらいいか、ということを計算する方法は少なくとも今はありません(※)。つまり感染症の専門家の人が言うように、そこは確実なことが言えないことについての、最終的にはある意味でその人の総合的な勘に頼らざるを得ない「政治的な決断」の領域になるわけです。ということは、その人(たち)が「何を重要と考えるか」という価値観によって、その判断はずいぶん変わったものになります。価値観という、まさに文化が絡む領域の問題でもあります。

 多少感染による犠牲が増加しても経済の回復が先だ、と考えるか、経済はある程度犠牲にしても可能な限り感染を減らして犠牲を少なくするのが重要だ、と考えるかによってその政治的決断は大きく変わります。そして今は世界的に見て経済重視の方に揺り戻しが来はじめた段階ですが、それがどのレベルまで進むかという判断に影響する要因の一つが集団免疫を達成する抗体所持者の割合ということになります。

 西浦さんが説明するところでは、その割合がこれまでよりも低く見積もられていく可能性がかなりあるので、「それなら経済活動を元に戻して、早く自然に集団免疫を作ってしまった方がいい」という考え方が強まります。そうすると、たとえば今可能性が高そうなのは、アメリカがそういう政策を推し進め、その政策を他国に対しても要求してくることだと言います。

 そういうことになると、今はこれまでの対策でかなり低いレベルに感染拡大を抑え込んできた日本に、経済的な交流の増加とともにまた新たな感染源となる感染者が次々に入ってくることになります。日本では中国タイプのウイルスによる感染は早期に終息して、そのあとの欧米タイプのウイルスが帰国者によって持ち込まれて今回のかなり危ない増加になったということのようですが、そういう状況が再び発生するというシナリオが想定できるというわけです。

 これまで第二波や第三波の到来は、夏を過ぎて冬になるころ、という季節のサイクルによる想定が多いと思いますが、これに加えて経済活動の活発化に伴う人口の移動という社会的な要因による感染拡大が加わることになります。

 かなりリアリティのある想定だなと思ったのですが、そういう状況の中で、私たちはこれから生きていかなければなりません。

 これは安定した根拠はないので、あくまでひとつの仮定ですが、仮に集団免疫達成に必要な抗体保持者の比率が、これまで言われていた60%ではなく、西浦さんもイギリスの研究論文データをもとに可能性のうちの一つとしてあげている20~40%だったとしましょう。日本では検査が少ないのでさらに不確実ですが、比較的最近のデータでは抗体保有率が暫定で0.6%とするもの(厚労省)や6%程度とするもの(慶大病院)があるようですが、どちらをとっても20~40%に達するには、単純計算でこれまでのような感染状況を5回とか50回分繰り返さないといけないということになります。

 それまでにワクチンが開発されればそこまでのことにはなりませんが、ワクチンの開発と承認には時間がかなりかかるので、いずれにせよすぐに解決する問題ではなく、私たちは長くこの状況に対応した生き方を模索していくしかないわけです。つまりその状況に応じた新しいライフスタイル、新しい文化を作り上げていかなければならない。

 
 さて、経済活動を再開させつつ、接触を可能な限り減らす有力な方法にインターネットの利用があることももう常識になっているでしょう。人間は体をもって生きていますから、完全にインターネットの世界だけで生きるということはありえません。けれどもインターネットを使って経済活動を含む社会的な活動を行い、それによってこの生身の体を維持していく、という生き方はもう基本的には普通になっています。

 それがもっと本格的に世界に浸透していかざるを得ない、というのは上のような状況から考えてももう避けようもないことは明らかでしょう。学校でもITC教育がこれから加速度的に導入されていきますし、発達障がい児への支援も、従来の支援に加えてITCを組み込んだ支援がどうしても必要になってきます。それが身につかなければ社会で活躍できる範囲がかなり狭まってしまうからです(※※)。

 と同時に新しい生活スタイルの展開によって、その生活スタイルに向いている新しいタイプの人たちが生まれてくることも当然予想されます。これまでの社会では生きにくかった発達障がい者もその可能性を持っている人たちに入ります。そこでこれまでの社会で求められ居たものとは違う力を発揮する可能性が出てくるからです。

 もうひとつ私が大事なポイントかなと思っているのは、現在はいろんな形で「多様性」が重視され、また認められる社会になっています。発達障がいは持って生まれた特性と考えられており、発達障がい者はその特性にあった生き方や価値観を模索していくことが必要になります。それは定型発達者の生き方や価値観とは異なる部分も持っています。そのような異なる生き方、価値観を持った人間同士が、お互いを否定することなく、「多様性」の一つとして認めあえる関係を生み出していくことも大きな課題です。

 インターネットを通じた世界は、そういう異質な人たちとの出会いがたくさん生じる場でもあります。当然たくさんの衝突もそこで生まれてくるわけですが、だからといってインターネットの世界がなくなることはありません。それが無ければ経済活動を含む社会活動は崩壊してしまう状態になっているからです。交通事故が起こるから自動車をなくしてしまう、ということにならないように、衝突が起こるからそれを止めるのではなく、それを減らす工夫こそが最も現実的に必要になってくるわけです。

 発達障がいへの支援ということも、今は「支援者と支援されるもの」という、一方向的な表現になってしまいますが、やがてお互いにお互いの特性を生かしあって支援しあう形が生み出されてくれば素晴らしいですね。つまり、私たちは「新しい生き方」、「新しい文化」を模索しなければならない時代にどんどん入り込んでいて、今回のウィルスの問題はそれを加速させる原因の一つにすぎません。この変化はこれから世界規模でポストコロナ時代にもさらに進んでいくことはまず間違いないでしょう。

 そういう意味で、発達障がいの問題は、まさにこれからの社会全体の問題なのだと私は感じています。なお、この問題についてはすでに無料オンライン講座「これからの遠隔支援」でも述べてみました。少しデータが古くなった部分もありますが、大筋は変わりません。よろしければどうぞご覧ください。

 

※ 多分、将来にわたって無理だろうという気がします。計算は式を使って行いますが、現実の問題を理解するうえでどういう式が適切なのか、ということを確実に決める方法はありません。いろんな仮定を立てて、できるだけ実際のデータに近くなるように式を調整したり、作り直したり、あるいは仮定そのものを変えたりして模索して、「とりあえずこのあたりならまあ多少の誤差はいいか」と思えるところを探していくことになります。多くの経験に裏打ちされたものになるので、でたらめな勘で決めるよりは危険が少ないということもいえます(いわゆる「エビデンス」ですね)。ですから、前回書いた再生産数とか集団免疫という基本的な概念もそういう模索の中で作られていく概念になります。そこでの「みんなが同じような感染力を持っている」という基本的な仮定が今見直されている、というのもそういうことの例になります。
 記事の中で指摘されているもうひとつの面白いことで、まったく同じような問題が経済学でも発生しています。つまり、人の経済行動について「すべての人が同じような利潤動機をもって、自分の利益を最大化するように行動する」といった仮定の下に式を立てて経済の動きを計算するというのがオーソドックスなやり方になりますが、その限界がやはり問題になっているという話です。どちらも「同じ原因(ウイルスの感染力とか人の利潤動機の働き)」を単純に仮定して、それで全体を説明しようとする、というパターンがそこにあります。けれども実際にはそこに人の行動の「異質性」が絡んできてしまって、ちゃんとした予測ができないわけです。そしてそこに絡んでくるのがやはり「文化」ということになります。これも我田引水で恐縮ですが、人の経済的な行動を理解するうえで、「文化」というものを基本的な要素として考えることが必要だということについて、比較文化的なデータなどを元に、理論的にも検討したのが拙編著(共編者高橋登一般研究員)「子どもとお金:おこづかいの文化発達心理学」になります。

※※ もちろん「社会で活躍する」ということを単純に絶対的な価値であると言いたいのではありません。ただ、その人に合った形で、その人に可能な力を養っていくことは療育支援の大事な目的になるはずです。問題はその人に合わないことを無理やり押し付けて苦しめてしまうことで、その人にとって意味があって伸ばせる力を伸ばさないことではないと思っています。

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