はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

2020.07.24

SSTで応用力が育たないことがあるのはなぜ?

SSTで問題とされていることの一つに、課題として設定された場面では「正解」を言えるのに、実際の場面ではうまくいかない、ということがしばしば言われています。なぜでしょうか?そしてどうすればいいのでしょうか。

たとえば自閉系のお子さんについて、おそらくこういうことが大きくかかわっていると考えられることがあります。

説明の前に、ちょっとこんな場面を考えてみてください。

 Aさんのお隣の方が、自分が作ったおかずをおすそ分けとしてわざわざ持ってきてくれる、ということがありました。まだそれほど親しくもない時でもあり、ちょっと驚きましたが、いただいて食べてみたらとてもおいしいおかずでした。

 それでうれしくなっておかずを載せていたお皿をきれいに洗って、そこにちょっとしたお礼の気持ちで家にあったお菓子を少し載せてお隣に行き、「先ほどはどうもありがとうございました。とてもおいしかったです。これ、つまらないものですが、よろしければ召し上がってください。」と丁寧にお返ししました。

 ところがしばらくして、ちょっとした機会に、その隣の方がそういうふうにお皿を返されて、とても傷ついたみたい、ということが人づてに伝わってきました。その事を教えてくれた人も「なんで傷ついたんだかよくわからないけれど……」と言いながら、「その人が言うにはなんだかせっかくおかずを食べてほしくて持って行ったのに、突っ返された気持ちになった」と説明してくれました。

 そういうことを聞いたので、Aさんは相手の人を不快にしてはいけないですし、お返しはしてはダメなんだと学び、それ以降、ときどき隣の人が何かを持ってきてくれても、その時ありがとうというだけで、もうお返しするのはやめにしました。

 どうでしょうか? Aさんはこれで正しい対応ができたでしょうか?

これがたとえば隣の人が中国の人であった場合、正しくない可能性がかなり高くなります。なぜでしょう?

多分これを読まれた日本人の方は、なんだかわけがわからなくなった方が多いと思います。少なくとも私がこのような話を中国の方から聞いたときには、なんのことかわからなくなりました。それでその方にじゃあどうすればいいのか尋ねてみました。その答えはこうでした。

「すぐに返すのは良くない。なんだか物々交換をしているような気持になってしまう。」

私が「じゃあ、お返しを中国の人はしないの?」と尋ねると、

「するんだけど、それは本当に自分が相手の人にあげたいものが出来たりしたときとか、その人が何かに困っているときに、お返しをするのがいい」

ということでした。

ここまで説明されると、少しわかった感じになるでしょうか。ただ、頭でわかって気を付けてはいても私の場合は感覚的にどうも受け付けにくいところがあり、この「お返し」の仕方は今もむつかしく思います。そう簡単に中国の(多くの)人の感覚にうまくフィットする感じでやり取りすることがむつかしく感じます。

つまり、私が日本人の感覚で「こういうことかな?ああいうことかな?」と理解しても、なかなかぴったりとはいかないということです。だから、理由を聞いてもぴったりとうまくは立ち回れないし、理由を聞かなければさらにちんぷんかんぷんになります。そして「お返しをしなければいいんだ」という大きな誤解で行動してしまうでしょう。

特にアスペルガー系の方で、定型発達者との間にこういうことがしばしば起こります。この場合で言えば中国の人が定型発達で、アスペルガーの人がAさん、という風に置き換えて考えてもらうとわかると思います。

つまり、「定型発達者にとっては当たり前のやり方」について、アスペルガーの人は「なんでそれが当たり前なの?」ということがわからずに苦しむことがしばしばあるのです。

さて、SSTの中には、しばしばそういう形で問題と答えが「定型発達者にとっては当たり前」という基準でつくられているものがあります。そしてその理由もまた定型発達者にとっての「当たり前」を前提にした理由になっています。

そうすると、それを課題として出された子どもは、なぜそれが当たり前なのかがぴんときません。ただ、大人がそうしなければいけないというから自分が理解できた形でそうふるまいます。ちょうどAさんが「お返しをされてあの人が傷ついていた」といわれたときに「そうか、お返しをしてはいけないんだ」と誤解したように。

でもそれはその子の見方で誤解しただけなので、実際の場面ではその子の理解でやるとうまくいかないことが繰り返されます。応用が利かないのはそういうわけです。

それで「なぜそうしなければいけないのか」を大人が、これも定型の感覚と理屈で説明したとします。ところがその言葉の意味がまたピンとこなかったりして、結局見よう見まねで対応しても、うまくいかなかったりするわけです。

少し別の例で説明すれば、数学では公式というものを使いますよね。頑張れば公式を丸暗記することは多くの子ではできないことはありません。でもなぜそうしなければいけないのか、その理由までわかるのはやはりちょっとむつかしい。

そうすると、応用が利かないということが起こるわけです。私も数学が苦手なので(数学の考え方は面白いと思うのですが)、心理学を学ぶときに統計という応用数学を学ばされても、その式を実際のデータにどう使ったらいいのかがよくわからない。また似たような式がいろいろある中で、このデータを検定するにはどの式を使ったらいいのかの区別がつかない。そんなことが良くありました。

それも「理由がわかっていない」からです。

数学の場合は頭がいいか悪いか、という問題で片付けられそうですが (‘◇’)ゞ、 SSTで問題にされるような「ひととのやりとりのしかた」についてはそう簡単ではありません。上のお返しの例でいえば、多くの日本人はなかなかピンとこないでしょうから、中国の人から見れば「なんでこんな当たり前のことをこの人はわからないのか?」と不思議になるでしょう。でもそれは日本人が頭が悪いという話ではありません。逆に言えば日本のお返しのやり方について、中国の人はなかなか理解しにくい。理由を説明をしても「日本人は冷たいんだね」と言われることもあります。いや、そうじゃなくって……、となるのですが、これも別に中国の人が頭が悪いからということではありません。

発達支援の現場の方たちがそんなふうに子どもの「不正解」に出会ったときにどう対応しているかを聞いていると、自分の方で準備した「正解」とは違う答えを子どもがしたときに、「それは間違い。正解はこう」という風に教える方が結構多いように感じます。でもしばしばそれは上の話でいえばAさんが中国の人に、「あたなのお返しは間違っている」と言われるような、それと同じようなパターンに陥ってしまっていることになります。それは「正解」の「おしつけ」であって、子どもの理解力と応用力を伸ばす働きかけにはならないわけです。

じゃあどうしたらいいのか、というと、ある意味では簡単なことだと思います。それは自分が予定していた答えと違うときに、「え?どうしてそう思ったの?」などと、その「まちがい」に興味を持って尋ねてみることです。もちろんでたらめに答えているだけということもあるでしょうが、その場合は考え方を教えてあげるか、あるいはそれも理解がむつかしいようならもう少し基本的なところに戻って学びなおす、ということをすればいい。

そうではなくて、それをうまく説明できるかどうかはわかりませんが、その子なりの理由があって「間違っている」こともあります。そう思えたら、もっといろいろ聞き出してみると意外に面白い考え方をその子がしていることもあります。そしてもしそれが面白いなと思えたら、「そうか、面白いね!」と言ってあげたらいいでしょう。

そのうえで、その子に教えようとしていた「正解」を説明してあげればいいのだと思います。もし可能なら、どうしてその子の考え方より、「正解」の考え方の方がよりよいのかを、その子にわかりやすく説明できたら大成功です。実際にはそこまでは結構むつかしかったりするので、少なくとも一応その子の考え方も「面白い考え方」と楽しんで受け止めたうえで、「でもこういう考え方もあるよ」と別の「正解」を教えてあげる。

そうすると、子どもの立場からすれば、自分の考え方、感じ方が頭から否定されることはなくなり、そこは大事にしたうえで、「別の可能性もあるんだ」ということに気づきやすくなるでしょう。もしそれができれば、「自分を否定せず、かつ柔軟に人の意見を聞く」という力が育つきっかけにもなります。

そういう対応の仕方を繰り返していくと、「教える」立場の大人の側にも柔軟性が育っていきます。大人の側も「自分の思っている正解」をただ決めつけるのではなく、「なんでこれが正解なんだろう?」ともう一度考え直してみる作業がそこに必要になるからです。「当たり前」をいろんな角度から柔軟に考え直してみる。自分の当たり前を考え直すのは結構大変ではありますが、それができたときにはかなり大きな成長感が生まれるものです。

ニュートンはリンゴがなぜ落ちるのだろう?と「当たり前」のことを不思議に思って考えました。そしてリンゴが落ちるのと、月が地球の周りをまわるのは同じ理由なんだということに気づいたようです。そうやって近代の物理学の基本的な考え方の一つである万有引力という概念が生まれました。

ピアジェは赤ちゃんがおもちゃをハンカチでおおわれると、もうとることができなくなる、というのを見て、「ハンカチをとればおもちゃがとれる」という「当たり前」がどうして当たり前なんだろうと考えました。その疑問は「人はどうやって空間を理解するんだろう?」という問いにつながり、やがて時間の理解と空間の理解がどうやって作られていくんだろうという研究に結びつきました。

その話を現代物理学の中でニュートン的な時間と空間の概念の「常識」を根本から変えてしまう新しい考え方を作って現代物理学の大きな基礎の一つを作ったアインシュタインにしたら、大変に興味を持たれたそうです。

発達障がいの人の中には、単に「理解力不足」の問題では片づけられない、「基本的な感覚や考え方の違い」を持っているのに、それが理解されずに苦しんでいるケースがたくさんあると私は感じています。もし目の前の子どもが「正解」を言えず、いつも同じような「間違い」を繰り返していたら、その子がどういう風に考えてそういう「間違い」をしているか、素朴に聞いてみたらいいでしょう。そこから意外な発見があり、子どもとの面白い対話が可能になることもきっとあるはずです。

26日からはじまる公開講座の2回目(8月2日からの分)は、発達障がい当事者の方たちにいろいろお話を伺う回です。そんなふうにいろんなお話を少しずつ伺いながら、お互いの感じ方、考え方のずれの理解を模索し、しばしば困難を生み出すお互いのずれについて、その調整の仕方を考えていければと思っています。※

※この公開講座は第一回の開始後も、講座全体の終了までは必要な回だけいつでも申し込むことができます。はつけんラボの個人会員は無料で、無料メルマガ会員は申し込みの時に登録すれば半額で受講可能です。第一回目の冒頭部分(23分)は現在でも誰でも自由にご覧いただけます。よろしければどんな内容か、一度ご覧になってみてください。

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