はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

2020.08.26

怒りの理由がわからないのはなぜ?

子どもが激しく怒っているんだけど、なにを怒っているのかわからず、お手上げになる、というシーンが時々あります。そういう状態を「子どもがパニックになる」という風に表現する場合もしばしばあるように思います。

たしかに大人の目から見たときに、「理由もなく暴れている」などと見えたりするわけですが、たぶんほとんどの場合は「本人にとっては理由がある」んだけど、周りにはその理由がわからないし、本人もそれを相手に伝える方法がわからない状態なんだろうと思います。

ではなんでそれがわからないんでしょうか。「この子は障がいがあるから暴れているんだ」というような見方ではなく、わからなくなる理由について、ここでは「怒り」ということを進化や発達、文化という面を組み込んで考えてみたいと思います。

動物にとっては怒りというのは「威嚇」に現れています。威嚇というのは攻撃の一歩手前ですね。たとえば犬が激しく吠えるとき、相手が逃げだせばそれで収まります。逃げ出さなかったり、逆に吠え返したりすれば、やがて相手にかみつく、といった攻撃に発展していきます。猫なら毛を逆立てて(体を大きく見せるためのよくある方法のひとつ)「シャーッ」とか「ミヤウー(再現不能ですが(笑)」とか言って相手を威嚇します。

この威嚇というのは直接の攻撃ではなくて、あくまでも「警告」なんですね。たとえばネコの威嚇のこのシーンを見ていただくとわかりますが、本当に攻撃しあうのであれば、特に白い猫の方のこの威嚇の体勢はとても不利です。何しろ相手に一番弱いお腹をさらしているのですから。本当に攻撃しあうときにはこういう姿勢は禁物です。

けれども実際の喧嘩に進めばお互いに傷つくので、できるだけそこまでいかないように「威嚇」で済ませる、という方法を動物は進化の中で身に着けてきたのです。威嚇を含むそのような工夫を儀式的闘争という言い方で表すこともあります。

じゃあなんのために威嚇するのかと言えば、基本は何かを守ろうとするときですね。動物だと縄張りの奪い合いとか、オス同士の雌の奪い合いなどがあります。鳥が美しい声でさえずるのも、求愛のさえずりもありますが、なわばりの主張の場合もある。これも威嚇ですね。

動物の場合はコミュニケーションのパターンは人間に比べるととてもシンプルなので、その威嚇(そして怒り)の原因というのはお互いにわかりやすいので、「理由がわからなくて混乱する」というのはないわけです。

もうすこし正確に言えば、彼らは「原因」を自覚する必要もありません。人間の言葉に翻訳すればその威嚇や怒りは「あっちに行け」というようなシンプルなもので、「なぜか」を説明する必要がないし、もともとそんなに複雑な原因があるわけでもないからです。コミュニケーションが複雑になり、いろんなパターンができてくると、同じ怒りでも何が原因なのかが分かれてきます。そこに今の怒りはこれが原因、こんどのはこれが原因、という形でそれぞれの「理由」が発生するというわけです。

そういうわけですので、子どもが何を怒っているのかわからない、という状態が生まれるのは、人間だからこそ、とも言えます。人間は怒りの原因が複雑なんです。だから、たとえば家族が家に帰ってきたときにすごい不機嫌な顔をしていたりすると、「この人はなんで怒っているんだろう」と緊張してそれを探ろうとするわけですね。

自分にたいして怒っているのだろうか、それとも外でなにか腹の立つことがあったのだろうか。外であったことが原因ならなぐさめるとか一緒に腹を立てるなどの方向に進んでいくでしょうし、自分に対してだったらひたすらあやまるか、反撃して喧嘩になるかになるでしょう。もちろんそれぞれの場合でも、具体的に何を怒っているのかがわからないとうまく対応できません。

けれども少しいろいろな状況がわかってくれば、怒りの原因がわかることは多いですね。そうでなければ相手にどう対処していいかわからなくなりますから、ひたすら緊張した状態が続いてしまい困った状態になってしまいます(※)。これも「理由がわかる」場合が多いからこそ、理由がわからない時には混乱が起こる、ということで、「怒りの原因はたくさんある」というとても人間的な怒りの性格から生まれることなわけです。

 

他の動物と同じで、「相手が怒っている」こと自体は乳児の段階でも区別がつきます(たとえばお母さんが怒った表情で見つめるときと、笑って見つめるときで、赤ちゃんの表情が全く変わります)。ただ「何を怒っているか」を理解するのはむつかしいのですが、それでも「怒りの理由が大体の場合はわかる」のは、「人はどういうときに怒るか」ということについて、経験を通してだんだんわかっていくからです。

ということは、経験のしかたが違うと怒りの理解も変わってくることになりますよね。

たとえば、子どもを見て「かわいい!」と思って頭をなでたりする。私から見れば子どもをかわいがっているほほえましいシーンにしか見えませんが、ある人々にとってはそれは怒りを引き起こす原因になります。でも「かわいい!」と子どもの頭を撫でたときに、いきなり誰かが激しく怒りだしたらびっくりしますよね。そもそも「頭を撫でた」ことがその怒りの原因だとすらなかなか気づかないでしょう。

これは文化の違いによるものです。タイでは頭は精霊がやどる大事な場所という感覚があるようで、その大事な場所に他人が触れることは許しがたいようです。ただし子どもに対してなら大丈夫と説明しているところもあるので、タイの中でも個人や地域によっていろいろな感じ方の人がいるのでしょう。

文化によって怒りの原因が異なる、ということは、その「原因」は生物学的にとか遺伝的に体の中に最初から組み込まれたものではないということでもあります。それは周りの人たちの行動や考え方を見ながらだんだんと「学んでいく」ことで一人一人の子どもたちが知らず知らずに身につけていくものです。「周囲になんとなく合わせていくうちにそういうふうになっていく」と言ってもいいでしょう。

 

ということで、最初の問題に戻って考えます。人間はひとの怒りの理由を知りたがります。そしてその人が生きている社会の環境の中で、成長と共にだいたい「こういう時には人は怒るものだ」という「相場」のようなものを学んでいきます。だいたいの「相場」ですから、個人によっても感じ方に違いはありますし、周囲の中でも完全に一致するわけではないのですが、それぞれの人が持つ相場観(※※)によって「まあ普通はこうだろう」という感覚が作られていくわけですね。それが怒りの文化的理解ということになります。

けれども何らかの理由でその人が持つ「相場観」が周囲の人たちとズレてしまうことがあります。そもそもこの「相場観」はだんだん経験を通して作られていきますから、たまたまその経験をする機会が少なかったり、あるいは発達レベルの問題で経験をうまく理解することがむつかしかったり、家庭の中など身近な人と周囲の多数派の人との「相場観」がずれていて、家の中ではお互いに理解しやすいけど、家の外の人たちとはうまく通じなくなる場合とか、いくつかのパターンを考えることができます。

ようするに人間の怒りの原因は複雑で多様なので、「相場観のすり合わせ」にどこかでうまくいかないことが起こると、「なんで怒るの?」がわからなくなるわけです。そうすると、子どもの頭を「かわいいねえ」と撫でたら怒られる場合のように、異なる「相場観のすり合わせ」の仕方をしたもの同士では、相手が何で怒っているのか(なんで怒らないのか)がちんぷんかんぷんになる、ということが起こります。

「子どもが激しく怒っているんだけど、なにを怒っているのかわからず、お手上げになる」というシーンは、そういう面から考えてみる必要があります。つまり子ども自身には「これは怒るべきことだ」という子どもなりの「相場観」があって腹を立てているのですが、周囲の大人が持っている「相場観」とそれがズレてしまっているために、周りに理解されない状態が怒っているのだ、という可能性を考えてみる必要があるわけです。

そうなる理由は上にも書いたことを使えばとりあえず三つ思いつきます。

① 家庭環境の中ですり合わせて作られた「相場観」が周囲の人たちの「相場観」とズレてしまっていて理解しにくい場合。

たとえば異なる文化的な背景を持つ家庭の子どもである場合、家の中の相場観で「当然」とされていることが周囲の「相場観」とズレることがあります。

② 基本的なものの感じ方に感覚レベルからずれがあって、自分の感覚から「相場観」を作っても、周りの人に理解してもらえない場合。

たとえば感覚過敏など、平均的には気にならない人が多いことで強い不快感を持っている時、周囲が無理解であるために怒りが爆発するケースなどです。周囲からすると「原因」が思い当たらないことが起こります。

③ そもそも「相場観」の作り方にその子に独特の特性があって、周囲の相場観との調整・すり合わせがうまくいかない場合。

このタイプのズレ方は定型発達者と自閉系の子どもや大人の間に生まれやすいものです。「「切れる」のはなぜ?:「理由」をめぐるすれ違い」でご紹介した、「怒って弟にいきなり水をぶっかける」という事例などもその一つでしょう。こういうケースでは周囲から「なんでそんなひどいことするの!」と怒られたりすることが多く、「なぜ兄が怒ったのか」「なぜそういう行動をとったのか」が理解されにくいということが起こります。

兄の立場から言えば、大人に教わったことをちゃんと「正しく」実践しているだけだと思うのでしょうから、それがわけもわからず否定されることは大変にショックな事態ということになります。

 

というわけで、子どもがよくわからない理由で怒っている場合には、お互いの「相場観」のどこかにずれがあるのではないか、という視点からその原因を考えてみる必要があるのだと思います。当然これも「当事者視点」を重視した療育支援に必要なことの例になります。

 

※ 逆にこの「原因がわからない」状態が悲惨な結果を生むことも起きるわけです。たとえばDV的な状態で支配される立場に置かれてしまった側は、相手が何に怒るのかがわからない状態に置かれている場合があって、ひたすらびくびくしながら相手を怒らせないようにその顔色を窺いつづけるということになります。そのことがつまり「支配されている」状態、自分には決定権が無くて、相手の言いなりになっている状態ということでもあります。怒りの理由がわかっていれば、うまく対処したり、あしらったりもできますが、そういうことが不可能な状態です。歴史ドラマとか見ていても、だいたい暴君というのは突然激しく怒りだし、周囲がびくびくしています。そういう暴君は「理由がわからない状態」を支配の道具に使っているわけです。

※※ ここでは直観的にわかりやすいかもと思って「相場観」という用語で書いていきますが、理論的にはEMS概念での「規範的媒介項」がそれにあたります。

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