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はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

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2020.10.29

ネットコミュニケーションが開く発達障がい者の世界

この間の日曜日、第17回に本質的心理学会が今年はzoomを使って開催され、そこで横山草介さん(東京都市大)の企画で「『リアル』と『ヴァーチャル』の境界を超えて:直接経験と間接経験の議論の先へ」というシンポジウムが開催されました。私と、北大で科学教育や宇宙を舞台にした民間プロジェクト(初音ミクに宇宙空間でネギを振らせる)などを参与研究されている若手の渡辺謙仁さんが話題提供、研究所の客員研究員で生態心理学、認知心理学などをやられている森直久さん(札幌学院大学)がコメンテーターということで、以下のようなタイトルで話をしました。

山本登志哉 私が見ているリンゴは<現実>か?
渡辺謙仁  直接経験と間接経験の二分法に再考を迫るN次創作
森直久   霊が見えたり、狐や狸に馬鹿されていた時代

私の発表は、今進行中の「遠隔支援」がリアリティの喪失につながらないかどうかを、現場支援スタッフの皆さんの具体的な実践例や理論的な検討などを通して説明したものです。全体に直接経験と間接経験は機械的に分離して考えられないよね、という理解ではおよそ共有されていたかと思います。

会場(zoomの部屋)には若いころ三項関係研究という大きな仕事をされて、その後物語論で活躍されてきたやまだようこさん(京大を経て現在立命)、会話分析などで活躍されている細馬宏通さん(早大)など、面白い研究や議論を展開されている方たちが多く集まってくださって、時間が足りなくなるような活発な議論の展開となりました。

議論の内容はかなり抽象的な理論的な話が多く、発達障がいの問題には少し距離があったので、ここではご紹介を控えますが、ただ細馬さんから頂いた質問から、ネットでのコミュニケーションが発達障がい者、特に自閉傾向の方たちに持つ意味について、大事な話があったので、そこだけご紹介したいと思います。

zoomなどを使った遠隔支援では、対面支援に比べて「伝わる情報が限られる」ということがあります。たとえば画面に映っているのは体の一部です。対面だとみている人が体を動かせば相手の人の背中だって見ることができますが、zoomだと相手の人が後ろを向かない限り、見えるのは相手の正面だけです。

細かい表情や息遣いなども伝わりません。対面なら触れ合うこともできますが、それも不可能です。画面を通してだと、視線も微妙にずれてしまうこともよく起こります。

いろんな意味で対面状況よりも情報が少なかったり、ちょっと調子が狂うようなことがあったりするわけです。そう考えると、やっぱり対面状況の方が豊かなより自然なコミュニケーションが成り立っていいじゃない、ということになりそうです。

そこで細馬さんが尋ねてこられたのは、「逆に情報が少ないことで、自閉的な子には有利になったりはしないのか」ということでした。(※)

そうなんですね。そこがとても大事なポイントの一つになると思います。コミュニケーションをするときは、私たちはたくさんの情報を活用して相手の意図を推測しています。言葉もそうですし、言葉以外に声のトーン、視線の動き、顔の緊張具合、顔色、顔の向き、体の向き、体の動き、手の動きなどなど。そして定型的なコミュニケーションではしばしばそれが矛盾していることがあります。にこにこしているのに、実は体がすごく緊張していて、視線が揺れ動いたり、体に落ち着きが無かったり、少し斜に構えたり。

言葉で言うことと本当に思っていることが大きくずれていることもよくあります。そういう矛盾したたくさんの情報を受け取りながら、その時その時で判断しているのが定型的なコミュニケーションに多く見られるパターンです。

これに対して自閉系の人の場合、定型的に使われる「裏の意味」とか、矛盾した情報によるあいまいな表現を読み取ることがむつかしいことがあります。コミュニケーションの時に注目するポイントにずれがあるのですね。その結果、とてもつらい思いをされることがある。

ところが画面越しのコミュニケーションはそういう複雑さがかなりそぎ落とされて、シンプルな伝え方になりやすいわけです。そうすると、特に自閉的な人にとってはかなり楽なコミュニケーションになりやすいということが起こる(いつも絶対とは言いませんが)。

また対面的な状況では相手の体の動きや声のトーンなどに影響されて、こちらがその動きに合わせることが重要になる場合が良くあります。「息があっている状態」というのもそこでうまくお互いの動きがあっている状況ですね。いい話し合いになると、体の動きが同期したりもします。ある種の共感的な一体化が起こるわけですね。

これに対して自閉傾向の人は、そういうタイプの同期や一体化が苦手な人が少なくありません。でも画面越しのやりとりだと、そういうふうに同期しなくてもいい関係が作りやすいと思われます。その分、無理なことを要求されずに楽になるはずです。

自閉傾向の方の中には、「相手が自分に迫ってくる」感じがとても苦手な方もあり、「相手に自己が侵襲される」感覚を持たれてつらい思いをされる方もあるようですが、この点も似たような理由でだと思いますが、画面越しのやりとりは楽になりやすいように思います。(考えてみれば映画の「貞子」の一番怖いシーンは、画面から貞子が這い出して来るところですよね。それがないという確信をもって安心しているところを打ち破られてしまう怖さなのでしょう)

そういったことで、対面的な状況に比べ、あまり相手に振り回されずに、画面によるへだたりによって自分が守られ、自分のペースを崩さずに対応しやすくなる面がある。

もう一つ言えば、zoomの場合は集団でやっていても、議論になると話しているのはだいたい常にだれか一人だけで、あちこちでいろんな人がいろんなことを話して全体として何が言われているのかが混乱しやすい状況にもなりにくい、という点も「1対1ならなんとか話についていけるけれど、二人三人と参加者が増えて誰が誰に話しているのかもわかりにくくなっていくと、話についていけなくなる」という自閉傾向の人には楽でしょう。

そんなこんなで「情報が限定される」ことが逆にコミュニケーションへの積極的な参加を促進する、ということも十分にありうるわけです。実際そういう風に理解できる事例にも出会います。

画面を通したネットコミュニケーション、さらには今後はアバターを通したVR空間やAR技術を用いてのコミュニケーションが増えていきますが、そういうところで自閉系の方をはじめとした発達障がい特性の方たちが、さらに活躍できる空間が広がっていく可能性があるのだと思えます。

 

※ ちなみにご本人がシンガーソングライターでもある細馬さんは、自閉の人たちと一緒に演奏などをやったりして、障がい者の問題にもいろいろ関心を持たれたり、関わられたりしている方でもあります。

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