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はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

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2020.11.20

孤立した二つの世界をつなぐもの

このところ重度身障者の岩村和斗さんとの間で、パソコンを通してコミュニケーションが開かれていく話を何度か書いてきました(重度身障者の言語発達発達の道筋はひとつではない重度身体障がいの方への講義)。

この和斗さんとのコミュニケーションは、交わした言葉の数からすればまだ10にも満たないようなほんの小さなやり取りですが、私にとってはなにか新しい世界が切り開かれていくような喜びがあります。

ずいぶん昔に見た映画で、題名も覚えていないのですが(あるいは予告編を見ただけだったかもしれないという程度の記憶です)、戦争で両手両足、そして視力聴力を失った兵士の物語がありました。

ですから、周囲の人とコミュニケートするルートをほぼ完全に失ってしまった状態なのです。ただひたすらベッドの上に寝ていて、生命を維持するための最低限の世話を受けるだけの状態。人に訴えかけることも、人から語り掛けられることもない。光も音もない闇の世界にただ生き続ける状態。もちろん「絶望して自殺する」ことも許されません。

私には想像するのが恐ろしいくらいの状態なのですが、そこで転機が訪れます。その彼にも皮膚の感覚は残っていたのですね。それでいつも世話をしてくれる看護婦さんが体に触れることがわかる。また彼はモールス信号を学んでいました。

それで確か首を動かすか何かでその看護婦さんにモールス信号で話しかけたのです。看護婦さんがそのことに気づき、やがて二人の間で看護婦さんが皮膚を叩いてモールス信号を送り、彼は首の動きでモールス信号を発して答える。そんなコミュニケーションができるようになったのでした。

この場合、たとえモールス信号でやりとりができる前でも、彼には意識があって、何かを思っているということは周囲は想像できたでしょう。ただ何を考えているのかは全く分からない。完全に孤立した世界に閉じ込められた状態でした。それが開かれた。

岩村さんははじめ私にとってはその兵士以上に遠くわからない存在でした。つまり伝えるべき意識や意思をお持ちなのかどうかもわからない。闇の中のような感じです。

ところがパソコンを通して伝えあうルートがあることを知り、実際に短い会話が成立したことで、彼の意識の世界に私が一挙につながったと感じたのですね。そして彼もいろんな思いをもって、いろんなことを考えて生きていることを実感できたわけです。

思いはあった。でもそれを私に伝える方法が私には見えなかっただけなのだということが分かったわけです。

そして今日、ちょっとした必要があって過去の記事を見ていて、重度の自閉症の子とも同じことが起こっていることに気づいてはっとしました。それはカナータイプの自閉のお子さんへの支援の中で、それまで言語的な指示も通らず、ただひとりで動き回るだけのようにも見えたその子と、支援スタッフである大内雅登さんがコミュニケートできるようになる感動的な展開の話(自閉の子が言語的コミュニケーションを獲得する瞬間1当事者による療育支援の意義)です。(※)

詳しくは上の記事をご覧いただければと思いますが、ここで強調したいのは、「自閉」という言葉がつけられたように、「自分の世界」に閉じこもって人とまったくつながろうとしない、というイメージでとらえられたその子が、実は全然そうではなかったことが「手を握る」という小さな合図の共有をきっかけにわかってきたことなのです。

彼の中には思いはたくさんあった。ただそれをどう表現してよいか、そのルートが見つからなかった。そのルートを大内さんが鋭敏に気づき、すぐにそこを手掛かりにつながりを広げていった。そのことでその子も大きく変化し、お母さんも驚くような力を発揮するようになったのです。

そう考えてみると、先ほどの兵士と同じという風に見えないでしょうか。思いはあるがそれを伝える方法がない。兵士はそこで残された皮膚感覚を使い、モールス信号というツールで思いを看護婦さんと共有できた。自閉の子は思いはあっても伝えられず、周りも理解してくれなかった。そこに「手を握る」というルートが見つかって思いを大内さんと共有できるようになった。

自閉の子は人とのかかわりを拒否して孤独に閉じこもっているのではないわけです。ただ人とつながるすべが見えてこないために、自分の中に豊かに育っていく思いが孤立してしまう。

岩村さんとの関係も似ています。私にとって彼は私の思いとはつながらない人、内面世界があるかどうかもわからない人だったわけです。それがパソコンと言うツールを通してつながることができた。そのことで前回書いたように、彼の中の思いが生き生きと広がり始めたように感じられる。

さらに広げて考えてみたいのですが、この自閉の子の問題は、重たいカナータイプの子に限るわけではないと思えるのです。そうではなくアスペルガータイプの自閉性の方たちも、多かれ少なかれ同じ状態に置かれている。

アスペルガータイプの方の場合、一見通じ合う言葉を持っているようですが、実は同じ言葉で何を意味しているのか、ということに往々にして定型と大きなズレがある。だから同じ言葉を話していても、実際はよく通じ合わないために、お互いに混乱してしんどい状態になることが繰り返されます。

言葉だけではありません。定型が非常に重視する表情などもお互いにうまく通じ合えない形になる。そのことで定型の側もアスペルガーの側もお互いにつらい状態が生まれていきます。定型の側はその状態を「アスペルガーの人は共感性に乏しい」などと言ったりします。でもそれはまず大きな誤解でしょう。アスペルガーの人の立場から言えば、定型こそ自分たちの気持ちを全く理解してくれない人たちであり、「共感性に乏しく、自分の感情を身勝手に押し付けてくる人たち」なのです。

兵士と看護婦さんにとってのモールス信号、自閉の子と大内さんにとっての手を握る合図、岩村さんと私にとってのパソコンの文字。それら自分には謎だった、見えない相手の世界を共有するルートあるいはツールを見つけ出させたとき、お互いの孤立した世界がつながっていくのですね。

※ この事例は今も引き続きまた大内さんとその子の世界のつながりが拡がり、深まっていくような新たな展開をしていて、その内容はいずれ大内さんから紹介していただけると思います。

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