2019.12.21
三十余年ぶりの再会
この所長ブログの書き始めの頃に、二度ほどご紹介したK君との事です(障がい児が通常級にともにいることの意味、自閉のK君に支えられる)。
そこでも書きましたが、初めてカナータイプの子どもとじっくり付き合う機会を持てたのは、大学院浪人の時でした。それがK君です。彼とは二年余りの付き合いがありました。でもいまから思うともう少なくとも数年は付き合ったような気がします。いや、私にとっては彼との付き合いが、障がいの問題を考える原点としてあり続けてきたのですから、彼とはその後の自分の人生でずっと付き合い続けて来たようにも感じます。
でも実際にはお母さんに毎年年賀状を送り、そこで彼が散歩するときお酒の看板を見ていつも大きな声で言う言葉「ね~の~ひ!」を書き添えていた位で、なかなか会えなかったのです。その彼のお宅にお邪魔して、三十年ぶり位に会うことができました。
知的な発達の限界で、言葉は二語文程度を時々ポツリという位で2ターンのやり取りは今も困難な彼に、私はもうとっくに忘れられているだろうと覚悟をして行きました。
ところが玄関に出迎えてくれたお母さんがおっしゃるには、私が来ると分かった日から、毎日何回も私が来ることを確認してくれていたのだそうです。
表情で表現することは少ないので、読み取りは難しくもありますが、私も当時からはすっかり様子が変わってしまいましたし、最初、私がお母さんと昔話やその後のことを楽しく語り合っている間、彼は私が誰なのか少し戸惑っているようにも感じられました。
写真を撮って見せてあげると初めて昔の彼の笑顔で嬉しそうにニコッとしました。それから、緊張してしまわないか心配しながら、「一緒に写真を撮ろうか」とソファーの横に並んで座っても、全然固くなりません。肩に手を回してもとても自然体で一緒に写真に写ってくれました。
小学生だった彼ももうすっかり中年です。お互いスリムだった昔があったことが忘れられるくらい、太ってしまって髪の毛も薄くなっています(笑)。言ってみればいいおじさんが二人並んで、奇妙なことにウサギのぬいぐるみを抱いて写真に写っているという、ちょっとふしぎといえばふしぎな写真ですね(笑)
前に書きましたが、私が何か訓練のようなことをしなければならないのではないかとお尋ねしたときに、きっぱりとそれを断られて一緒に遊ぶことを望まれたお母さんです。芯は強い方ですが、とても柔らかく、いつも優しい笑顔のお母さんで、ほんとにゆったりした雰囲気でK君に接してこられました。
だからだと思います。K君には二次障がいのようなことが全くと言っていいほどに感じられません。ただ、お話を聞くと、一時支援施設に通っているときに気持ちがあれたことがあったそうです。環境が合わなかったのでしょうね。それで、そこに無理に通わせることもしなくなったとの事でした。
写真を見た時、写真を写したときを除いて、基本的にはいつものようにまじめな、どちらかというとむすっとした表情をずっとしているK君です。愛想笑いと言う発想はありません。笑顔はだからごく自然に湧き上がってくる笑顔になります。
やはり三十余年ぶりに一緒に食事をして別れるとき、「またね」と言って彼に近づいて握手をしようとしました。握手を受けてくれるかどうか、心のうちはちょっと緊張しながらの事でした。その時、彼は私が手を出すよりも少し早いくらいのタイミングで手をだして、柔らかい笑顔で握手をしてくれました。
私の中にこの三十余年の間、彼が生き続けていたように、彼の中で私も生かしてもらえていたのだ。そのことがほんとうにとてもうれしい夜でした。
(補)お母さんからこんなメールを頂きました。
「ブログ、読ませていただきました。『先生に会えて良かったね。』と言うと、『嬉しかった!』と、笑顔で答えていました。皆さんのためにも、お身体に気を付けて、ご活躍下さい(^^)」
- 支援者こそが障がい者との対話に学ぶ
- 「笑顔が出てくること」がなぜ支援で大事なのか?
- ディスコミュニケーション論と逆SSTで変わる自閉理解
- 冤罪と当事者視点とディスコミュニケーション
- 当事者視点からの理解の波:質的心理学会
- 自閉的生き方と「ことば」2
- 自閉的生き方と「ことば」1
- 自分を「客観的に見られない」理由
- 「なんでこんなことで切れるの?」
- 当事者視点を踏まえた関係調整としての支援
- 「定型文化」と「自閉文化」
- 傷つける悲しみ
- 自閉と定型の「傷つけあい」
- 「社会モデル」から「対話モデル」へ
- 障がいと物語: 意味の世界を重ね合う試み
- 誰もが当事者:わたしごととしての障がい
- 規範意識のズレとこだわり
- 「コミュ力低い」で解雇は無効という判決
- 「カサンドラ現象」論
- 「嘘をつく」理由:それ本当に「嘘」なの?
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