2020.09.11
バーチャルな世界と発達障がい者の「生きやすさ」
子どもが「中毒」状態になるものに、アニメがあります。その代表的なものはやはり1988年に発表された「となりのトトロ」でしょう。お子さんがとりつかれたように何度も何度も繰り返してみる話を、何人かの友人から聞いた記憶があります。もちろんそれは「現実」の世界ではなく、絵によって作られた世界、その意味でバーチャルな世界です。
遡って考えてみても、日本人は昔からずいぶん「漫画」が好きだったようです。
しばしば例に挙げられるのが「鳥獣戯画」ですね。今から900年ほど前、平安末期から鎌倉初期にかけて、複数の人によって書かれたものがあとで集められたもののようです。この「漫画」は大人向けのものだったと思いますが、子ども向けに「絵本(絵草子)」が作られたのも、世界的に見れば非常に早く、17世紀には江戸ではやり始めています。
江戸の末期も親は普通に子どもに絵草子を買い与えていたようで、江村北海という漢学者が書いた子育ての本(授業編)には
「およそ小児二、三歳の頃より、父母、外へ出て家に帰れば、必ず土産みやげと求むる故、世にいう人形および様々のもて遊びを、その度毎につかわす事、世上皆同じ。そのみやげを遣わすに、二、三度に一度は、何にてもあれ、世にいう絵草子を求め帰りてつかわす。もちろん小児の事なれば、破りもする汚しもする。それに頓著なく、他のもてあそびと同じく、打ち委せ置くなり。」
と書かれています。つまり自分が外出すれば子どもが土産をねだるので、毎回土産を買っていってやるが、二、三回に一度は絵本を買い与えるというのです。
子どもの「漫画」好きは明治以降もずっと続き、戦後になると漫画「のらくろ」にも魅せられていた手塚治虫がいよいよ動く漫画、アニメの世界を本格的に切り開いていき、子どもたちの気持ちをわしづかみにして、やがて海外にも広がり始めます。
私も子どものころ、テレビで鉄腕アトムをはじめとして、いろいろなアニメを見て育った世代になります。そして自分の子どもの世代になると、宮崎駿のアニメの世界が広がり、私もナウシカからその世界に引き込まれていきました。
文字ではなくて映像を使って、私たちが生きている世界とは違う、もう一つの世界を作り出す。それがアニメの世界です。その世界の中に子どもたちが吸い込まれるように入り込んでいく。
その次に来るのが、今度はプレイステーションに代表されるようなゲームの世界です。アニメとゲームはどちらも「現実世界」ではない、「作られた世界」の話だという点では同じです。けれども決定的に違うことがあります。それはアニメの世界はその中に主人公が登場して、その主人公の物語を見る人が一緒に体験するのに対して、ゲームでは自分自身が主人公になってその物語の中で活躍するわけです。
たとえば「アドレナリン中毒者たち、ライダー共和国にようこそ。ここにはルールなんてないんだ。」というセリフで始まるこんなゲームの動画を見ていると、どんな世界でも自由に作ってどんな活動も自分が主人公になって自由に展開できそうな気分になってきます。
そして今、また新たな世界、VRやARの世界が広がりつつあります。以下の動画はVR仕立てで作られていて、焼け落ちてしまって今はないノートルダム寺院を360°の視野で自由に見ることができますし、19世紀くらいのノートルダム寺院やパリの街並みを見渡すことも可能です。(画面上にカーソルを置いて、左クリックしたまま好きな方向に動かすと、画面がそちらの方向を映してくれます)
この世界はゴーグルを使うことによって、画面の向こう側にアニメの世界があるのではなくて、自分の体がその世界に入り込んでしまう(VR)とか、自分の世界の中にアニメの世界が入り込んでくる(AR)という新しい世界を生み出します。(以前に「リアルとバーチャルの関係」シリーズでもご説明した通りです)
ARは現実世界の中にバーチャルに作られた映像を重ねて、あたかもそこにそれがあるように見せるものですが、今ではたとえばAR用のGoogle眼鏡が故宮博物館の収蔵物の補修作業など、およそ「最先端」のイメージのない地味な職場でも活躍しています。
さて、発達障がい者の「生きやすさ」についてです。
発達障がいの方はこの社会になじめずに、引きこもりがちになる人が少なくありません。引きこもらなくてもとても生きにくい、つらい生活を送られている方も多くあります。
引きこもるというのは、これまでは「みんなの世界」から切り離されてしまうことでした。ところが国立リハビリテーションセンター発達障害情報・支援センターが新型コロナによる「テレワーク」などの影響について行った発達障がい者当事者352名への調査に寄せられた声によると、「新しい生活様式が始まってよかったこと・楽になったこと」への答えとして
「人と接する機会が少なくなり、人間関係のストレスが減った」
「在宅勤務で通勤がなくなり(減り)、身体的な疲労が減った」
「在宅勤務で、自分の好きな環境、静かな環境で作業ができるようになり、集中力が上がった」
「公共交通機関や店内の人が少なく、距離も保たれるので、とても快適だった」
「家にずっといる状態でも、罪悪感を感じずに過ごすことができた」
「イベントがオンラインで行われるようになり、参加しやすくなった」
など、「引きこもり」的な生活ができるようになって、生きやすくなったり新たな社会参加がしやすくなったりするという声が拾われています。
同様に保護者家族500名から見ても、
「お店では、並ぶ位置など、視覚表示が増えてわかりやすくなった」
「お店や病院など、ソーシャルディスタンスで人との距離ができ、快適になったよう」
「在宅勤務で人と接触する機会が減り、楽になったよう」
「学校の欠席を気にせず過ごすことができ、ストレスが減ったよう」
「家でゆっくり過ごせて、本人にとっては良い時間だったよう」
「学校行事(集団活動)が減り、おだやかに過ごせるようになった」
「遠隔授業のおかげで、自宅の快適な環境で学習できるようになり、よかった」
「通学・通勤がなくなり、心身ともに楽になったよう」
と、この「ひきこもり」的とも言える環境が、逆にポジティヴな意味を発達障がい者に持った面も見えてきています。
ネットでつながるVRの世界がさらに進んでいくことで、少し時間がかかったとしても、やがてそういう「人と適度な距離を保ち、自分の場所(自宅など)で仕事をしていきたい」人たちの活躍の場がますます増えていくことが予想されます。
今までの常識がそのままは通用しない新たな世界として、ネットでつながるVR空間がこれから確実に大きくなっていく。そして人と人のつながりも、「同じ場所でつながる」形だけではなく、VR空間が仲立ちとなって新しい形で展開していくようになる。そのことでこれまでの世界で生きにくかった人たちが、新しい世界で別の生きやすい生き方を作り上げていく。
上にもご紹介したような動画をいくつか見ていく中で、調査に寄せられた声と共に、そういう「新しい現実」の可能性がそれこそよりリアルに感じられたのでした。
- 支援者こそが障がい者との対話に学ぶ
- 「笑顔が出てくること」がなぜ支援で大事なのか?
- ディスコミュニケーション論と逆SSTで変わる自閉理解
- 冤罪と当事者視点とディスコミュニケーション
- 当事者視点からの理解の波:質的心理学会
- 自閉的生き方と「ことば」2
- 自閉的生き方と「ことば」1
- 自分を「客観的に見られない」理由
- 「なんでこんなことで切れるの?」
- 当事者視点を踏まえた関係調整としての支援
- 「定型文化」と「自閉文化」
- 傷つける悲しみ
- 自閉と定型の「傷つけあい」
- 「社会モデル」から「対話モデル」へ
- 障がいと物語: 意味の世界を重ね合う試み
- 誰もが当事者:わたしごととしての障がい
- 規範意識のズレとこだわり
- 「コミュ力低い」で解雇は無効という判決
- 「カサンドラ現象」論
- 「嘘をつく」理由:それ本当に「嘘」なの?
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