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はつけんラボ(研究所)

所長ブログ

  • 所長ブログでは、発達障がいをできるだけ日常の体験に近いところからあまり専門用語を使わないで改めて考え直す、というスタンスで、いろんな角度から考えてみたいと思います。「障がいという条件を抱えて周囲の人々と共に生きる」とはどういうことか、その視点から見て「支援」とは何なのかをじっくり考えてみたいと思います。

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2020.07.05

二つのバーチャル世界

このところ、遠隔支援の意味を考えるために、VRやARなど、ネットを使ったバーチャルな世界について少しずつ現状を見ているのですが、バーチャルな世界というものの進展の仕方を考えるときに、リアルな世界との関係の取り方で二種類を区別して考える必要がありそうなことを感じ始めました。

考えるうえで前提にしておいていただくとわかりやすいかなと思うことは以下の事です(もう少し細かくは「リアルとバーチャルの関係(1)(2)(3)(4)」をご覧ください)。

まず第一に、人間はホモサピエンスとして地球上に登場したころにはすでに言葉などのバーチャルなツールを使っていたと考えられそうで、バーチャルな世界をどんなツールを使ってどう作り上げていくか、それをリアルな世界でどう活用するかが人間の社会の発達の中身だったと考えられることです。
第二には、バーチャルな世界は人間が作り出すイメージの世界なので、それをほかの人とどう共有するかによって、作り出される世界の性質がだいぶん変わっていくだろうということです。
第三には、現在のVR技術は、これまで人間がそれぞれの人の頭の中で作ってきた「バーチャルなイメージ世界」を、コンピューターを使って目に見える世界にして、そこに人間が入り込めるようにしたと言えます。ARはそれをリアルな世界に一部持ち込んだ感じでしょう。

この二番目のところから話を進めてみましょう。イメージの世界には、リアルな世界との関係でいうと、二つの極があると思います。ひとつは夢やファンタジー(物語)の世界。夢にしろ、ファンタジーにしろ、リアルな世界のものごとを利用する形で、それを変形しながらその世界に映しこむ形で成り立っています。たとえば夢の登場人物や場面はリアルな世界にあるようなものが中心ですし、ファンタジーの世界の登場人物もリアルな世界の人物をもとに、それに似せる形で妖精だの怪物だのとして成り立っています。

それはリアルな世界のものを利用はしますが、ただし全く同じわけではなく、リアルな世界の理屈は崩していきます。たとえば妖精は空を飛ぶことができる。怪獣は火を噴くことができる。ワープすることだって自由自在。夢の世界でも同じですね。私自身、空を飛ぶ夢を見たことがあります。現実の自分は50cmも飛べないでしょうけれど(笑)。ファンタジーの場合はそれを出版したり映画化したりしてリアルな世界に出すときに、その中身についてある程度リアルな世界での制約が生まれることがあって、何でもかんでも自由というわけではありませんが、夢になるともうなんでもありです。だからこそ、精神分析のフロイトは、夢の中に人は社会的には認められない隠れた欲望や葛藤を表現しているんだと考えて夢の分析を行ったのですね(※)。

ということで、このイメージ世界はリアルな世界とは別に作られ、言ってみれば基本的には何でもありの世界になります。

もうひとつの極は、たとえばIKEAの家具販売で用いられているように、商品の3DイメージをAR技術で実際にそれを使う予定の部屋に置いてみて、どうなるかを見てみるとか、会議に必要な資料をARでバーチャルにみんなで共有する、あるいはVRで作られたお店に行って商品を見て購入を決め、そして実際にお金を払ってそれが手元に届くなどの形で、リアルな世界にバーチャルな要素を取り込んで使う方向です。

この場合はあくまでリアルな世界の人間関係や社会関係がベースにあって、それに縛られて利用されるので、「なんでもあり」にはなりません。たとえばそこで商談を成立させたとした場合、契約を守る義務がリアルに発生しますし、それを破るとリアルに制裁がやってきます。騙せば詐欺になってリアルに牢屋に入らなければなりません。

というわけで、バーチャルな世界がリアルな世界から切り離されて「なんでもあり」になっていく方向と、リアルな世界の中にバーチャルな仕組みが利用されてリアルな世界が動いていくような、決して「なんでもあり」ではない方向の二つを区別できると考えられます。

実際、VRChatという、VR上にアバターで出現してその中でほかのアバターたちと話したりゲームを楽しんだり、いろんな設定場面を追加して遊べたりするネット上の場所での活動を、解説付きでyoutubeにアップしている動画などを見ていると、その場所を「なんでもありの自由なゲーム」と表現する人もいますし、あるいはそれこそ夢の中の世界のように、そこでは何をしてもいいような、ある種の「無法地帯」になっている場所もあります。

また、VRChatで知り合った人たちが、VRChatの中で短いドラマを演じて、それをVRChatの中で撮影して短編映画にする、というようなこともやられています(上:Guns and Knives – ナイフと拳銃。下:Girl and Robot – 少女とロボット)。そういう遊びのようなクラブ活動のようなものも少しずつ展開しながら、これからさらにいろんな新しい試みが少しずつ行われていくのでしょう。

便利で魅力的なツールであるほど、とくにそれが導入される時期にはそれを使いこなせないことでいろんな問題も起こりえます。そういう問題への対処も考えるうえで、いい意味でも悪い意味でもなんでもありにもなりうるVRの世界に比べると、ARの方はリアルな世界をベースに展開する点で「なんでもあり」には歯止めがかかりやすいのかもしれません。自由なイメージ世界が展開して自由度が高いけれど、リアルな世界を置き去りにして暴走しやすい面を持つVRと、リアルな世界を足場にするARと、そういうバーチャルな世界の性格の違いということを考えながら進むことが欠かせないことになりそうです。

※ ただし、夢の中でさえ、人は無意識に世の中の倫理には縛られるので、露骨にそれを表現できず、別のものに置き換えて表現するというカモフラージュをやっているのだ、と彼は考えました。だから夢を見た本人は荒唐無稽なその夢の意味がよくわからなかったりするので、分析家がそこに出てくる要素が何を本当は意味をしているのかについて解釈することで、その人の欲望や葛藤を読み解く、ということをやったわけです。もちろんそれを読み解くのは分析家の主観的な解釈なので、それが唯一の正しい解釈であるという根拠はないのですが。いずれにせよこの方法が絵画の分析、小説の分析などにも応用されて、一世を風靡したという展開になります。

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